TM MAGAZINE 2026年10月27日
オオゲツヒメと幡多の大月|黒潮に起源を持つ女神
阿波国の神山町では、上一宮大粟神社に女神オオゲツヒメが祀られている。神名を考えれば、この神は「オオゲツなる何かしらの部族の姫」である。四国南西の幡多郡には大月町があり、阿波国の女神は、意外にもその起源を黒潮に持っていたかもしれない。
日本神話が語るイザナギとイザナミの国生み。この中でさまざまな国が生まれますが、僕が長らく関心を抱いてきたのが阿波国のオオゲツヒメ(大宜都比売)です。
オオゲツヒメは、食物の神であるウケモチ(保食神)、トヨウケ(豊受大神)と習合した神として同一視される傾向もありますが、徳島県の山間に入った神山町では、今もなおオオゲツヒメを祀る聖域が残っており、上一宮大粟神社にこの女神が祀られています。実際、大粟山に一歩足を踏み入れると、古来の神聖を強く感じます。
個人的に興味を抱いてきたのは、オオゲツヒメという文字が当てられる以前の音の響きです。単純に神名を考えれば、この神は「オオゲツなる何かしらの部族の姫」であり、言わば、その部族を率いてきた女王的な存在が阿波国にまで入り、そこに根差していた歴史を彷彿とさせます。
ある意味では、8世紀前半に『古事記』や『日本書紀』の編纂事業が行われる頃、ヤマト朝廷側にいた皇族や古代氏族の視点で、阿波国をオオゲツヒメの名で語ったようにも思えます。つまりオオゲツという部族が入り込んできたこと、そしてその混淆の歴史を、後にヤマトから語ったものではないでしょうか。
というのも、高知県南西部付近には今も幡多郡という地名が残っており、幡多郡の中に大月町という町があるのですが、大月町は四国南西部に位置しており、僕が追いかけてきた黒潮ルートの最初の接岸地付近にあります。
単純化すれば、黒潮をたどってこの地に到達した人々が、後にさらに東征し、阿波国の神山町のほうへ移って栄えた古代史とも言えるのです。また面白いことに幡多という郡名は、古墳時代に渡来し、平安京遷都の実質的な資金提供者となった秦氏の痕跡を強く語っています。つまり、この地域には秦氏の痕跡を伝えながら、大月という世界が並行して存在しているのです。個人的には、最もおもしろいパラレルワールドです。
また付近は、前述の通り黒潮が最初に日本列島にぶつかる地点ですが、ここに今もなお色濃く残っているのが、賀茂と物部という2つの氏族の足跡です。賀茂氏はここから阿波国へ向かって東征し、吉野川奥地に集落を構え、剣山を聖域として信仰した部族であり、やがて平安京遷都の時代になると、現在の下鴨神社や上賀茂神社の付近に拠点を構え、在来の出雲系部族たちを追いやりました。
一方で物部氏は古代氏族の筆頭格ですが、先週のブログにも書いたように、意外にも高知県には物部川が残っており、祖神ニギハヤヒを祀った聖域を今も伝えています。このことから、どうも古代氏族たちの動きが黒潮に沿って東征している視点を、一つ持たなければならないように感じます。というのも、これまで神武東征に象徴される瀬戸内東征ルートしか見ていないからです。
そして幡多の大月。大月とは、古代の中東から中央アジアに存在した大月氏という部族集団を示唆していますが、今もなお彼らについてはほとんど分かりません。ですが歴史の中の移動や戦乱から逃れる過程で、やがて日本列島へ渡ってきた可能性があります。
実際、秦氏が後に日本列島へ渡り、それなりの勢力を築いた歴史を考えると、同じ時代に大月氏として語られる部族が日本へ渡ってきた可能性を排除できません。その後、彼ら渡来人がどうなったか僕にはわかりませんが、歴史にはそれなりに噛んでいるのでしょう。
すると、彼らの渡来と東征ルートは九州を経由し、瀬戸内を東へ向かったのではなく、むしろ黒潮に乗ったのではないかという新たな可能性も見えてきます。
今もなお阿波国に残るオオゲツヒメという神の名は、その起源において、四国南西の大月という地名が残した足跡と深く関係しているのではないでしょうか。そういう移動の歴史が、ここに浮上してくることを侮ってはなりません。
もちろん、この辺り一帯は謎に包まれており、ほとんど調査がされなかったこともあり、何が何だかわかりません。それでも阿波国の女神は、意外にもその起源を黒潮に持っていたかもしれないのです。