『見えない質感』を求めてIn Pursuit of Invisible Texture
『未来を喪失した未来』へ揺れ動く80年代の日本人
行き過ぎたデジタルへの反動として、レコード、フィルムカメラ、紙の書籍などに象徴される非デジタル回帰のトレンドがこの10年で顕著になってきました。これは、ある意味で『デジタル以前の郷愁』を求める新しい世代による、失われた時代を希求する重要な精神的転換点だと言えるでしょう。私自身、都市部を歩くと、使い古されたフィルムカメラで写真を撮る人や、レコードを「ディグる」観光客の姿を頻繁に目にします。こうした光景を見ていると、日本映画をこよなく愛する私の脳裏に浮かぶ1本の映画があります。それが、今回紹介したい『夢みるように眠りたい』です。
本作が発表されたのは、1985年のプラザ合意を機にバブル経済へと突入した翌年の1986年です。当時は、第二次世界大戦後の焼け野原から驚異的な経済成長を遂げた日本が、高度経済成長期を終えて安定期に入り、1億人を超える国民が初めて豊かさを享受する最初で最後の時代でした。この鮮烈な経済成長の記憶を持つ世代の独特なエネルギーが社会を包み込み、誰もが「日本が世界のトップに立つ」と信じて疑わなかった時代です。今ではその面影がないことから記憶する人も少ないかもしれませんが、当時世界のトップ企業の多くは日本企業であり、日本の資本が海外の不動産を買い漁る行動が激化していました。これによって、アメリカではハーバード大学社会学者のエズラ・F・ヴォーゲルによる『Japan as Number One: Lessons for America』が1979年に発表した日本賛美の潮流から一転し、「ジャパン・バッシング」という激しい反発を生み出すことになります。そこでアメリカは台頭する日本の勢いを阻止するために、プラザ合意の締結へと向かいました。
そんな経済発展の夢に酔いしれる時代に翻弄される人々の揺れ動く心を掴み、そこに秘められた郷愁を見事に描き出したのが、当時29歳で無名の林海象です。特筆すべきは、彼がほぼ独学で映画を学び、映画を深く愛する一人の若者でありながら、時代を洞察する感性が非常に優れていたことです。誰もが刹那的に生き、熱狂を装い、『未来を喪失した未来』で生きることを余儀なくされた1980年代後半の日本人。この独特なエネルギーを90年代生まれの私は体験することはできませんが、林の映画に込められたメッセージから、多くを読み解くことができます。
この日本の未来を決する重要な転換期に発表された『夢みるように眠りたい』は、私にとって日本映画の中でも特に思い入れの深い作品です。現在では熱心な映画ファン以外にはあまり知られていないかもしれませんが、インディペンデント映画でありながら、公開当時は大きな反響を呼び、国際的にも高く評価されました。ただし商業作品ではなかったため、長らく観る機会が限られ、“幻の映画”とも呼ばれるようになります。状況が変わったのは、2020年に林の監修でオリジナルネガフィルムをもとにデジタルリマスター版が制作され、初めてブルーレイが販売、同年にリバイバル上映が行われて以降ですから、それほど昔の話ではありません。またパンデミックと共に同作がリバイバルされた点も、どこか示唆的に思えます。
この作品の最大の特徴は、バブル経済が絶頂に向かう日本において、過去と現在を巧みに“リミックス”し、当時、誰も提示できなかった新たな未来への視座を映画界だけでなく日本社会に突きつけた点にあります。全編モノクロ、かつサイレント映画風という古風な手法を採用し、画面のアスペクト比も当時の映画と同じスタンダードサイズ(1.37:1)で撮影されています。細部に至るまで往年の日本映画の『質感』を再現しようとする若者の強い意図が、作品の美学の核心をなしています。
これを『見えない質感』と捉えると、当時の事情が良く見えてきます。『見えない質感』は1980年代半ばの日本人の感覚に深く共鳴する要素であり、現在世界中で起きている非デジタル回帰の動きとも本質的に通じる部分があると私は感じています。なぜなら、レコード、フィルムカメラ、紙の本といったものは、言葉では表せない「手触り」や「実感」を求める心的な行為であり、現代人が何か大切なものを取り戻そうとする潮流だからです。この『見えない質感』を重んじる感覚は、日本の伝統的な美学における『もののあはれ』に由来します。ここを巧みに捉えてパンデミック以降のLo-fi Hip Hopの世界的ブームの礎を作ったのがNujabesです。
『夢みるように眠りたい』については無数に論じることができますが、例えば会話シーンでは、俳優のセリフは音声ではなく無声映画時代の字幕で示されます。これは既に自律的な思考を放棄し始めていた日本の観客に対して、『見る映画=大量消費文化』ではなく、『読む映画』としての体験を優しく回復しようとする試みです。ただし、完全な無音では現代の人々は最後まで見れませんから、場面転換や登場人物の感情に応じて音楽や効果音が巧みに挿入され、映像と共に情緒を支えて無声映画に慣れていない人々も最後まで見れる高度な工夫が凝らされています。そして注目すべきは、かつて日本に実在した『活動弁士』と呼ばれた無声映画時代にスクリーン脇で物語の語りを務めた職人の声が録音として使用されている点です。本作では、実際に無声映画時代に活躍した松田春翠の語りが用いられ、作品に一層の臨場感とレトロな奥行きをもたらしています。
1980年代半ば、既に映画界ではカラー作品が主流となっていた時代において、『夢みるように眠りたい』は敢えて白黒での撮影を選び、セリフを字幕で表示するサイレント映画風の構成を貫きながらも、環境音や効果音を巧みに取り入れるという斬新なアプローチで観客の感性に訴えました。古いフィルム上映の風合いを再体験させつつ、同時に現代的な感覚を融合させる日本の創作が得意としてきた文化のミックスを前提とするスタイルは、バブル経済への静かなアンチテーゼであり、終わりの見えない経済成長の幻想に対して、「一度立ち止まって考えよう」という問いかけでもありました。
林はモノクロ映画への郷愁を持ちつつも、単なる懐古主義ではなく、現代的な技術や美意識を積極的に取り入れる独自の姿勢を持っていました。一方で従来の映画技法から大胆に逸脱できたのは、若さと、独学で作品を完成させた情熱によるところが大きく、また当時の日本では若者のアイデアが採用される時代であったことも幸いし、林に賛同する優れた人々が集って映画制作が行われました。
本作は、「無声映画」「浅草」「幻のフィルム」という3つのモチーフが柱として据えられた探偵物語です。舞台は1950年代の東京・浅草で、ストーリーは私立探偵が老女から、誘拐された娘の捜索を依頼されることから始まります。しかし物語が進むにつれて時空が混淆していく不思議な印象を提示しながら、大正時代に製作されながら、未完成のまま検閲によって闇に葬られた幻の無声映画『永遠の謎』の存在が浮かび上がってきます。この『永遠の謎』という映画自体は林のフィクションですが、作中では日本初の女優主演映画とされる実在作の『生の輝き』(1918年)に言及し、そこで現実感を持たせて、それより前に『月島桜主演の映画が検閲で消された』というフィクションが加えられています。このように史実と虚構を巧みにミックスし、日本映画史そのものに対するオマージュとして機能させている点も見どころです。
『生の輝き』の監督・帰山教正(1893-1964)は、当時の日本映画が記録映像や歌舞伎の舞台撮影が中心だった時代に、映画は総合芸術だと捉えて次々と物語を軸にした映画制作を行なったことで知られています。活動時期が1919-1926年であったことから、彼の作品はわずかにスチル写真や台本などの資料は残っていますが、作品自体は全て失われて見ることはできません。注目すべき点は、彼の映画活動は大正時代(1912-1926)だったことです。
『夢みるように眠りたい』の時代背景ともなっている大正時代は、明治維新を経て軍国主義に向かう傾向に対抗する新しい世代の躍動と、陸軍の台頭による国民統制という不穏な空気が二重に混在する複雑な時代でした。映画を通じてその時代特有の空気感を再構成する点にも、林の鋭い洞察がうかがえます。ゆえに字幕の書体は大正時代に流行ったスタイルが採用されており、セットなども非常に慎重に選定されています。
そしてキャスティングにも特筆すべき点があります。同作で老女・月島桜を演じた深水藤子は、戦前から活躍した実在の女優です。また美術や撮影もかつての映画制作を知り尽くした熟練の職人たちによって手がけられました。さらに探偵作品を愛する林らしく、随所に暗号のようなメッセージが込められているのですが、これも初期日本映画の歴史を知る者の心に響く深いテーマとなっています。例えば、作品を解読する鍵を握る組織『Mパテー商会』とは、明治の1906年に日本に実在した映画関連会社で、フランスの映画会社Pathé Frèresの日本支社の役割を担った初期の日本映画に関わる重要な会社でした。さらに後半の物語の鍵となる『浅草電気館』も、明治にMパテー商会の社長だった小林喜三郎などによって開館した初期日本の映画館の一つであり、映画専用の劇場というイメージを日本で定着させた先駆的存在でした。
こうした天才とも呼べる林の哲学が、随所にモチーフとして見事に表現された同作は、日本映画史でもトップクラスの優れた作品であり、同時に時代に対する強いメッセージを持っています。まさに行き過ぎたバブル経済への静かなアンチテーゼとして、林の理想に共鳴した才能が結集して生み出された作品と言えますが、私にとってこの映画は、高度経済成長期の終焉と、そこから始まる新しい時代への静かな移行を象徴する重要なターニングポイントだったと感じています。同時に、日本が若者のアイデアを採用する最後の時代に入ったとも言える象徴であり、林の意図とは異なる懐古主義的な姿勢に固執する全体主義的傾向が生まれる予兆とも捉えています。この作品以降、日本映画は極端な衰退と、技術・表現の側面での鎖国状態を構築する流れに向かい、あっという間に隣の韓国に音楽・映画の世界的流行のポジションを譲ってしまったのです。
私は基本的に1930年代後半、1950年代ー70年代初頭までの日本映画しか見ませんが、この作品だけは例外であり、今も頻繁に見直す重要な作品です。読者も一度、機会があれば今日の非デジタル回帰の先駆的作品とも言える『夢みるように眠りたい』を鑑賞してみてください。きっと、そこには言葉で表現できない複雑な感性が潜んでいることに気付くでしょう。