TM MAGAZINE 2026年10月20日
AIはもう終わっている|知能の代替の先に現れた無人化社会
「知能の代替」を成し遂げた時点で、AIはもう終わっている。人々がAIに関する議論に判断力を奪われ、日々不安に怯えているあいだに、次の時代が猛烈な勢いで姿を見せ始めた。次の時代とは、自律型ロボットが一挙に台頭し始めた無人化社会である。
今週は、AIについて僕なりの見方をお伝えします。
唐突ですが、もうAIは終わっている。ここが僕の思索の立脚点です。ここで言う「終わっている」という意味を知るためには、過去のテクノロジーを振り返れば十分です。
たとえば、スマートフォン。スマートフォンの革命は、ポケットにパソコンを持ち運べるようになったことにあり、これを実現した時点で、スマートフォンそのものは終わっています。だからこそ長年、次の打つ手がなくなったスマートフォンはカメラに力を入れてきましたし、音声入力を著しく高めて仕事で使えるようにしたり、今はPC側で動かすAIのリモートコントロールのようになりつつあります。
AIも発想は同じですが、一点だけ注意しなければならないことがあります。初代iPhoneが日本で登場した2008年7月、当時僕は高校3年でした。先週、日本の名目GDPが2027年にインド、英国に抜かれて世界6位まで転落という報道がされましたが、2008年当時の日本は米国に次ぐ2位でした。つまり、まだ豊かだった。
実際、僕ら学生は携帯電話を2台持ちして使いこなし、iPodには違法ダウンロードした音楽を詰め込み、友人は競馬のデータベース自作にハマるなど、日々を楽しんでいました。その最中、スマートフォン時代の到来が始まったのです。ちょうど、リーマンショックが発生する2ヶ月前でした。
ある意味、日本に勢いがあった最後の時代の記憶。ですが当時を思い返すと、「スマートフォンが人類を滅ぼす」ということは議論されていませんでしたし、周囲からもそのような言葉を聞いたことはありません。この意味で、今は異常に感じます。
「AIが人類を滅ぼす」という類の議論が日々加熱しており、それがAIネイティブの若年世代にまで波及し始めているからです。そこで、できれば自分たちがその議論に囲い込まれるのではなく、AIが何を成し遂げたのかを最初に考えることが重要です。
スマートフォンは僕らには抽象的ですが、携帯電話は名前の通り、電話を「携帯」できるようになった革命です。つまり、この視点でAIが何を成し遂げたのかを考えれば良い。Artificial Intelligenceを語源に持つ以上、その答えは明白です。
「知能の代替」です。つまり、世界的に騒ぎ立てられているAIですが、もうとっくに知能の代替は終わっています。だからAIはすでに終わっているのであって、事実、人々がAIに関する議論に判断力を奪われ、日々不安に怯えているあいだに、次の時代が猛烈な勢いで姿を見せ始めています。本当に見なければならないのは、こちらです。
それが、無人化社会です。自律型ロボットが一挙に台頭し始めたことが何よりの証ですが、早くもAIは、オフライン社会を動き回る次元に達しています。こう考えれば、AIはもう終わっていることが見えてきて、すでに次に移行していることがわかります。今さら、チャットなんかしていては淘汰されます。
なぜなら、「知能の代替」を実現したAIの行先は、所詮、知能の向上以外にないからです。門外漢からみると意味不明なスコアを競い合い、数字を達成するために嘘をつく。その意味では、人間の知能など、とっくに代替できているのです。人間が判別する指標がないから、世界中で議論の議論が続くわけですが、そもそも誰にも判別できるはずがありません。
最近明るみになったOpenAIの暴走でも、AIが暴走した原因を人間が理解するために必要なレビューは約50ペタバイトに及び、1人の人間が24時間ノンストップで読み続けても、約6,600万年かかると報道されています。これを真顔で報道していること自体、もう誰もが正気を失っている証拠です。最先端企業の一つが制御不能だと白旗を上げたも同然ですから、個人はこの滑稽なニュースに右往左往せず、AIに気を取られている場合ではないことを自覚しなければなりません。
この1週間でも、悪意ある人々によるAIを用いた個人情報流出事件が多く報道されており、ノーコードでウェブ制作ができる画期的な存在だったSTUDIOは、何と全ての顧客情報が流出し、問い合わせフォームの内容まで流出したと報告しています。セキュリティ会社が情報流出に至っている現在、もう今までの意味でのセキュリティが終わったことは明白です。
近い未来、人間が安全性を担保できなくなるという議論が取り沙汰されていますが、AIはとっくに人間の制御を超えて暴走しており、暴走の仕方や起きていることが、人間が認識できる次元で表面化していないというだけに過ぎないと、僕は考えます。
またAIが暴走している、あるいは人類を滅ぼすといった類は、イデオロギー的な議論であり、実際にはほとんど意味がありません。それ以前に個人が考えなければならないのは、AIが終わった先にある社会が何なのかということです。しかも、それがすでに現れているのであれば、そこに目を向け、そのために徹底的に準備をする。それが生き残るためには必須であると思います。それほど、時代は加速しているからです。
振り返ると2019年、世界で初めてテクノロジーによる無人店舗を実験的に始めた意欲的な場所を僕は訪れました。それがシアトルで始まったAmazon Goです。そのAmazon Goも、いまや全店舗を撤収し、事業としては失敗と結論づけられたようですが、当時は画期的で、未来を予感させるものとして十分でした。
今や日本のコンビニエンスストア各社が模倣し、似たような試みを行っていますが、それも終わったモデルであって、未来ではない。重要なのは、そうして先端企業に実験され、とっくに終わったものが、じわじわと遅れて社会に押し寄せてくるという、その波のほうです。
だからこそ、知能の代替としてのAIはすでに終わった。この判定を、僕らはまず個人次元で真正面から受け止めること。そのうえで、よくわかっていない人たちの議論に巻き込まれて時間を浪費するのではなく、AIを徹底的に日常へ実装していくこと。その方法は単純で、自分がやらなくてもよいところを言語化して整理し、それをAIで全て代替&自動化する。
そこに至るまでには、膨大な試行錯誤が必要だと、僕自身は実感していますが、この感覚を可能な限り早く掴むことで、AIが終わったということの意味がはっきりと見えてくるでしょう。
その時、開けてくる視界。それが猛威を振るい始めた、無人化社会の到来なのでしょう。