紀元前660年と日本書紀の成立The Myth of 660 BCE: How China's Influence Shaped Japan's Earliest History
日本の歴史にとって重要な「紀元前660年」という特定の年代に関して、古代天皇家の思惑と、絶大な中国の影響を受けて執筆された『日本書紀』の成立事情についてです。
今も存在する日本の天皇ですが、その歴史は何と「紀元前660年」にまで遡ると言われています。現在でも、毎年2月11日(紀元前660年を祝う日)は祝日になっており、この「紀元前660年」説は日本人に広く知られています。ただし、この特定の年代に定まった歴史事情を知る人は、非常に少ないのが現実です。
第一に、「紀元前660年」という大昔の出来事を、どのようにして知ることができたのでしょうか。しかも、この年代算出は、西洋のグレゴリオ暦に従った算出方法という不自然さがあります。
まず、日本では明治時代初期まで自国で開発した太陰太陽暦を使用しており、太陽暦であるグレゴリオ暦とは根本的に性質が異なります。そして、グレゴリオ暦が日本で採用されたのは、かなり最近の1872年からです。
はっきり言ってしまえば、この「紀元前660年」には根拠はなく、非常に雑な算出方法で作られました。ただし、特に第二次世界大戦以前、国民高揚を目的とした天皇崇拝の潮流が生まれたことから、この年代が大きな注目を集め、修正することができなくなります。
この太古の年代を根拠として、いつしか天皇の「万世一系」という考え方が形成されました。万世一系とは、天皇家は初代・神武天皇から永久に一つの系統が続いたとする考えですが、これは完全なイデオロギーです。
この時代は、大日本帝国の精神的支柱に設定された天皇への批判に限らず、天皇家のルーツへの探求や調査、発言が一切禁じられます。そのため、長らく神武天皇が「紀元前660年」に即位したことをもって日本が始まったとみなす説に、反対意見を唱えることができませんでした。この影響は、不思議なことに戦後も続き、今日も変わりません。
では、「紀元前660年」(グレゴリオ暦)に換算された源流には、どのような根拠があったのでしょうか?
そこには、日本最古の書物の1つである『日本書紀』(720年成立)の記述が深く関与しています。日本書紀によると、最初の天皇として神武天皇が即位したのは、「辛酉の年」と記されています。ここは西洋読者には馴染みのない箇所でしょうが、古代中国の暦法算出方法です。
最初に前提として、長らく日本は天文学も暦法も持っていませんでした。暦法は、602年頃に百済の僧侶によって初めてもたらされました。ただ、朝鮮半島も中国の影響を受けていたため、彼が持ち込んだのは実際には中国暦です。
基本的にこの時代、中国の影響は朝鮮を介して日本に輸入されました。仏教や漢字も同じです。
その後も、中国側でアップデートされる暦法を随時輸入しながら、日本では使用してきた歴史があります。その期間は、初の国産暦法である「貞享暦」(使用: 1685-1755)が発明されるまで、1000年以上にも及びました。
このことから、日本にとって暦法技術は遅くとも7世紀頃に伝わった新しい技術であり、当時、最も影響を受けた中国から輸入される多様な文化の1つとして自然に受容されました。つまり、その時代から1000年以上も前の「紀元前660年」のことなど、誰も知ってるはずがないのです。
当然、暦法が伝来する以前の日本人は、暦法の算出方法を知りません。根拠となっている日本書紀は、最古の『古事記』(712年成立)と同様に、各地に伝えられていた古い伝承を集めて、天皇の下で、1つの書物として編纂する国家プロジェクトから生まれました。
この時、日本の歴史は始まったと言えます。
すると当然、それらの語り継がれてきた古い伝承は、正確な年代測定技術を持っていなかったことは明白です。ただし、全く異なる方法で、比喩的に遥か昔の時代を語っていた痕跡が他の書物では見られますので、別途紹介します。おそらく、世界各地の古い伝承は同質の性格を持っているでしょう。
しかし、日本書紀には古事記とは異なる重要な性格があります。それが、崇拝していた中国のような高度なシステムを樹立することでした。例えば、皇帝を立てて、皇帝を中心とした一元的な統治システムを形成することは、時の天皇家や氏族と呼ばれた為政者にとっての悲願でした。
そのためには、天皇が唯一の歴史的な覇者であることを証明しなければなりません。
しかも、その物語を絶対的に正当化する必要があります。そこで、中国から多くを学ぶ中で、特に中国が歴史的に多数執筆してきた「歴史書」を参考にして、それを参考にしながら、日本初の体系的な歴史書を編纂する事業を始めたのです。