黒澤明と三船敏郎: 日本映画の黄金時代を創造した二人の関係Akira Kurosawa and Toshiro Mifune: The Relationship That Shaped the Golden Age of Japanese Cinema
今回は、戦後日本映画を代表する黒澤明と、俳優の三船敏郎の関係をホスピタリティーの観点から洞察します。
前回触れたホスピタリティーにおける主人と客人の関係において、相互に高め合うための場所環境をしつらえるのは主人の側ですが、その主人からの歓待に決して浮かれず、しっかりと恩義を感受しながら、独自に高めていく技術を客人は持たなければなりません。そうしなければ、斬り殺されてお終いです。
文字通り全てが一変した戦後、日本映画の代表的な映画監督である黒澤明と、代表的な俳優である三船敏郎の関係は、まさにホスピタリティーを体現した映画文化を創造しました。
敵意を持つ客人を迎える映画監督と、主人の非在を持ち込む俳優。そこにおいて主人である黒澤は、徹底的に客人である三船との対等な関係を創造します。
それは作中でも緊張感を感じるほどですが、同時に若き三船を腐らせないためにも、両者の関係を緩衝するもう一人の重要な俳優を配置します。それが、黒澤映画に欠かせない志村喬です。
多くの監督が俳優を下に見る時代。黒澤は決して俳優を下に見ず、まるで武士の立ち合いのように、対等に映画を愛するお互いの存在だけを信頼し、共に高め合い、かつそこから先の俳優の人生までをも創造しました。ここに黒澤映画の真髄があります。
三船に対して次々と試練を課す黒澤は、親が子を見守るような優しい関係ではなく、常に主人と客人と言う緊張感のある対の関係で作品作りを行いました。戦争経験を持つ若き三船に対して、焦らず、驕らず、時代の変容に飲み込まれて我を見失わないように、黒澤は各作品ごとに試練を設定します。
そして、次々と課せられる試練に三船は全力で格闘します。
黒澤映画で俳優としての三船が輝きを放つ時、それは黒澤的領域において<主人公>を生成する時です。実際、黒澤は頑なに主人公を無化する格闘を映画において為していますが、それは戦後日本社会における近代主体の不穏な問題を熟知していたからです。
黒澤映画に三船が初めて登場したのは1948年の『酔いどれ天使』ですが、そこから1949年の『静かなる決闘』、『野良犬』と立て続けに出演します。ですがこの頃、三船は高度な俳優技術を持つ志村喬の存在に包摂されているため、全く主人公化していません。
志村は多様な作品に出演しましたが、主人公であるようで、主人公化することを無化するという、当時としては最高水準の技術を持つ素晴らしい俳優でした。
さらに1950年の『醜聞』、『羅生門』で戦後日本人の期待を受けて主人公化する運命を避けられない三船の旺盛な心情を分散的に無化しながら、黒澤はその技術を1951年の『白痴』において研ぎ澄まし、続く1952年の『生きる』で三船が登場しないことを以って一呼吸を置き、遂に1954年の『七人の侍』において、主人公化する時代潮流を無化する成熟した技術へ達します。
同作が一つの分岐点となり、1955年の『生きものの記録』で三船を主人公化へ至らせる技術を磨いた後、敗戦ムードを終えた戦後日本の再生が始まる時代の風を受けて、これまでに試練を乗り越えて逞しくなった三船に対して、今度は三船に匹敵する天敵を次々とキャスティングで送り込みます。
これは、戦国武士時代で言うところの宮本武蔵と佐々木小次郎の関係です。いつの時代も天敵に巡り会うかどうかが人生の転機となります。
1957年の『蜘蛛の巣城』で千秋実を凌駕する主人公化を果たした三船は、同年の『どん底』で主人公的存在感を高め、1958年の『隠し砦の三悪人』では、前年に打ち克った千秋を超えた主人公化を果たします。
この1950年代を通じた黒澤と三船の関係が、1958年に自律的になったことを以って、彼らは全く時代状況が一変する1960年代に進むための切符を手にします。同年代の優れた映画監督たちは、この1960年代に入ることができませんでした。
そこで1960年に発表したのが、『悪い奴ほどよく眠る』です。
同作は時代を代表する錚々たる俳優陣をキャスティングし、しかも作中で三船の役は静かに目立たぬように演じる制限を抱えさせます。そのような中で、圧倒的な主人公化を果たすための試練を黒澤は与えたのです。
そして見事にこの難しい試練を超克した三船は、遂に黒澤との絶対的信頼を確立。こうして三船が主人公化する1961年の『用心棒』、1962年の『椿三十郎』へと入り、侍映画における主人公化の布置に三船を置く初の試みを行います。
この時、黒澤は三船にとっての異人の布置に仲代達矢を配置します。仲代は時代映画から現代映画までを多様に演じる最高峰の俳優です。三船にとっては一瞬の気の緩みも許さない天敵です。
こうして1961年の『用心棒』、1962年の『椿三十郎』、さらに1963年の『天国と地獄』で三船と仲代は3年続けて共演し、厳しい試練を三船は超克します。
戦後から少しも気を緩めず、少しも驕り高ぶらず、我を見失わなかった人格者の三船に敬意を示した主人である黒澤は、遂に通過儀礼を終えた三船のために、最高の舞台を用意します。それが1965年の名作『赤ひげ』だったのです。
この作品の三船の圧倒的な存在感は、言うまでもありません。
こうして、客人として主人の歓待を受け、その恩義を決して忘れなかった三船は、見事に与えられた試練を全て乗り越え、名実ともに日本を代表する俳優となり、時代を代表する人格者となりました。そしてこの『赤ひげ』を以って、三船は黒澤作品には登場しなくなります。
結果、三船は黒澤の試練を超克して世界的な俳優の一人に君臨しました。
今やこうした映画監督と俳優の緊張感ある関係は日本から消えましたが、本当に素晴らしい映画を製作していた1950年代の日本では、このような関係が随所にあったのです。