神武東征を内なる葛藤として再解釈するReading Jimmu's Eastward Expedition as an Inner Struggle
長い日本の天皇史において、初代天皇として即位し、日本自体を形成する原動力を築き上げた神武天皇。これまで初代天皇の姿は伝説、空想、史実など様々な観点で語られてきましたが、神話が伝える叡智はそこにはありません。
神武天皇は、私にとっても深い思い入れのある人物です。私が今日のように日本の歴史、神話、文化、さらには縄文、弥生、古墳などの古代史から、宗教の歴史や信仰、そして民俗学に至るまで、多元的に日本を深く理解しようと思う最初の契機となったのは、この神武天皇の探求に始まったからです。2018年の夏、私は日本神話の舞台として知られる九州に入り、そこから人生をかけた長大なジャーニーが始まりました。
日本で神話の舞台と言えば、九州の宮崎県が有名です。しかし、山間部にある観光地・高千穂峡を有する高千穂は、神話の舞台として広く知られる一方で、宮崎の沿岸部には、神武天皇の事績が様々な形で点在していることは、あまり注目されません。神武天皇の痕跡が宮崎沿岸部に多い理由は、かつて神武天皇の故郷がヒムカの国と言われたからです。後に宮崎県の古い国名がヒュウガの国と呼ばれたことから、この地に神武天皇のルーツがあったという認識が広く一般的になっていきました。
確かに、そうした歴史はあり得るでしょうが、問題はこの国名の解読自体にあります。ヒムカもヒュウガも、漢字では同じく「日向」と書きます。そして勘違いされやすいのですが、これは特定の国を指す名称ではなく、「日に向かう国」という意味であって、古代では日に向かって自分たちの生活圏があることを指していたものです。ゆえに、太陽が昇る方角から見た場合に、ものヒムカは大抵は西に位置しており、無数のヒムカの国があったと考えるのが古代日本の姿では正しい。
改めて考えれば、天皇史に関わるヒムカの国が宮崎沿岸部にあったという古伝承に加えて、そこが神武天皇のルーツだと前提するならば、東から昇る太陽の位置は宮崎沿岸部から見た場合、瀬戸内海を超えた先の未知の場所となります。この太陽の動きを軸に歳月をかけて生まれたのが神武東征です。元々、この神武が天皇として即位する以前の名前は、カムヤマトイワレヒコですが、このカムヤマトイワレヒコという呼称は、ヒムカの国に存在したある部族の首長名だったと私は考えています。
つまり、歴史に実在したカムヤマトイワレヒコなる特定の人物が、たった一世代でヒムカから東へ東征し、彼らがユートピアと考えたヤマト(現・奈良県南部)を征服して初代天皇として即位したことから天皇史は始まったのではなく、個人的には数十世代から数百世代を経ながら起きた、ある部族の動きが古い伝承として蓄積されていき、やがて8世紀前半に古事記や日本書紀の編纂事業に入るときに、それらが一つの物語として集約されたと見ています。この時に、カムヤマトイワレヒコから神武天皇の流れが直結されたのであって、古代日本に英雄のような人物が存在し、その人物が一人で成し遂げたのではありません。
私は神武東征は神話の記述にあるように数年で行われたものではなく、数百年規模、あるいは千年以上かかっただろうと考えていますが、すると当然、その東征の背景には故郷を捨ててまで新天地へ向かわなければならないという、何かしらの絶対的な動因があったはずです。これが何なのかは未だ定かではありませんが、この動因を求めて日本各地を探求する過程で見えてきた一つの可能性は、自然災害です。
現代同様、私は自然災害の激増に神武東征の鍵を見ています。実際、九州は桜島、阿蘇山、霧島、沖合の鬼界カルデラなどに代表されるように、日本有数の火山が密集する特異な地帯であって、古くからこの火山の噴火が大きな歴史の転換点となってきました。
実際、あまり知られていませんが、日本人の原型を築いた太古の縄文時代初期の文化の起点は、九州最南部にありました。実際に考古学的痕跡も発見されていたのですが、一つ考古学者にとって最大の謎が現れます。何しろ不思議なことに、ある時点でこの九州最南部に居住していた縄文時代の文化の源流を築いた人々が、忽然と姿を消したからです。この一斉に起きた部族消失は長年考古学者の間でも最大の謎だったのですが、近年、その原因が少しずつ明らかになってきました。その主因となったのが、九州最南端から南方沖の海底火山・鬼界カルデラの大噴火です。鬼界アカホヤ噴火と呼ばれており、今から約7,300年前の紀元前5,300年頃に発生したことが判明しているのですが、2024年に神戸大学などの研究グループは、この噴火は地球が完新世に入ってからの過去1万年で、世界最大規模の噴火であったことを明らかにしています。要するに、この大規模な噴火によって、南九州で高度に発達していた縄文文化が壊滅的打撃を受けたということです。事実、南九州や四国の一部では、その後1,000年近く無人の地になったと考えられており、考古学における空白の千年が存在します。
この鬼界アカホヤ噴火で噴出された火山灰は、何と九州から遠く離れた東北に達して甚大な被害を及ぼしています。こちらも個人的に調査を続けていますが、縄文時代の文化の力点が九州南部から東北北部に転移する転換点になったのは、この時代の九州の火山噴火の可能性を考えています。事実、この大噴火で九州南部に居住していた僅かな生存者は北へ向かうのですが、同時に大陸や半島、あるいは別の地域から海を渡ってくる新たな部族たちの主要交差点は九州北部であったため、これまで温和に関係性を形成していた異族同士の接触密度が高まり、どんどん住む地域が狭まっていく新時代の問題が生じます。いわば、立て続く自然災害と、人々の移動が密集する状況が交差する時代の中で、一部の部族が新天地を求めて移動せざるを得なくなったのです。
こうした複雑な古代の見えない事情、歴史では決して描かれない世界が、神武東征の根底に潜んでいる可能性をロマンを持って考えると、私の関心はカムヤマトイワレヒコとして描かれた部族の長が、どういう心持ちで自らの故郷を捨てて、東という未知のユートピアへ東征することを決意したのかという一点にあります。
そして東征の過程では、どのような無数の生涯があったのか。最近、数日かけて中世日本の大変動期である貴族から皇族、そして武家の台頭という流れを詳細に見る過程で、平忠盛と平清盛というたった二人の親子に注目しながら進めてきました。そしてその背景に絡み合いながら生まれてきているのが、新時代の信仰だと見ているのですが、歴史には何かしらの通底する動きがあるため、これらを参照すれば、当時の神武東征のルーツとなるような出来事にしても、その渦中には必ず心の動きや葛藤というものがあったはずです。この歴史に残らない心の格闘を、遥か後代を生きる私たちはどのようにして汲み取っていくのか。
そこで今回の動画では、神武東征のカムヤマトイワレヒコを主人公として扱いながらも、それを歴史で実際に起きた東征の史実という従来の解釈ではなく、神武東征とはカムヤマトイワレヒコの心の中の葛藤であり、彼の内的世界における葛藤が後に神話化したと再解釈して制作しました。
ここで用いたのが、私が敬愛している明代の儒者・王陽明の考え方です。主人公に設定したカムヤマトイワレヒコは、ヒムカにいる時代は、知識と行動を分離する傾向を持っていたと捉え、それが容赦ない火山噴火などの予測不能な真の危機に直面したとき、従来の知識が全く無意味となり、何の実用性もないことに気づき、自らの抱える部族の民の命を救うことさえできない己の無力に屈する挫折を前提に構成を組みました。
神話では、カムヤマトイワレヒコは天皇の祖神に位置づけられるアマテラスなどの神の血筋を引く人物ですが、そうした神の末裔であっても、こうした未曾有の危機に直面した時、従来の知識などが何の役にも立たないことを痛感するということです。ここには、神をいかに考えるかという個人的な解釈を提示しています。この時、誰もがそのまま知識に固執するか、あるいは一歩踏み出して未知の世界へ向かうかという大いなる決断を迫られるのが人生です。そして歴史を鑑みれば、まさにこの決断の連続です。人類史は輝かしく語られていますが、要するに決断する時に決断したか否かだけです。常に一歩踏み出した者が次の時代を築き、その先の数千年の歴史を形成する原動力となってきたことは、歴史を鑑みれば明らかです。
例えば、ホモ・サピエンスが地球規模に広がる出発点となった出アフリカを考えても、あの時に一部の者たちが海を渡る決断を行なったことによって、人類は生存を可能としました。人類史で歴史に残らずとも、このようなことは無数に起きていたのであって、この動きから歴史を捉え返す必要があります。こうした決断が神武東征という神話の中に凝縮されているわけですから、カムヤマトイワレヒコにとっても、そうした危機に際して一歩をふみ出す決意と覚悟が必要だったはずです。
重要なことは、その決断の時に、自らが抱える部族の多数を捨てなければならないということです。つまり、いつの時代も、多数を犠牲にしても一人で進まなければならないことが必ずあります。この時、多数を救うという大義名分によって自らの私欲(特に承認欲求)を隠すならば、その人物は先に進むことはできない。冷徹だと言われても、未来のために一歩踏み出す大いなる決断ができるか否かが歴史を決めます。これはまさに現代も同じです。カムヤマトイワレヒコは部族の多数を捨てて、一部の人だけで新たなユートピアを目指して東へ向かったのですが、ヤマトへ至る過程は神話でも無数の障害が語られており、神武東征の間に兄弟三人が死去するほどの甚大な打撃に直面しています。
今回の動画では、カムヤマトイワレヒコの知識と行動の分離という点にフォーカスを当て、その対抗軸として知識と行動が分離していない非分離の存在として、天敵にナガスネヒコという人物を立てました。ナガスネヒコは神話において、カムヤマトイワレヒコ率いる一行が大阪の生駒山付近に達した時に対峙した天敵なのですが、ここでカムヤマトイワレヒコの軍勢はナガスネヒコの軍勢に大敗しています。その時、兄のイツセがナガスネヒコの放った矢に倒れてしまったのです。これは、相変わらず旧来の知識に固執する自らの心が、兄の死へと結びついたということです。
死を間近にした時、イツセは自分たちが太陽の御子(祖神のアマテラスは太陽神だと考えられるからです)だという観点を強調しながら、太陽に向かって戦うことが敗北の理由だと述べます。これによって、カムヤマトイワレヒコは生駒山を直接進軍することを諦めて、大阪南部を経由して和歌山の紀伊半島を南下していきます。つまり、半島を迂回しながら太陽が昇る方向を目指し、そこから太陽を背に進む形でナガスネヒコがいる大和へ進攻することを考えたのです。
しかし、この過程でも紀伊半島沿岸部には、古代より多数の在地部族がいましたから、ここで戦いが起きたり、協力者が現れたりと様々な過程が生じます。ここでは、嵐に遭って遭難してしまい、二人の兄が命を落とします。こうした苦境を乗り越えて、カムヤマトイワレヒコはついに太陽が昇る方角へ達するのですが、ここからナガスネヒコの拠点であるヤマトへ進攻しようとした場合、目の前に立ちはだかるのは自然の要塞・紀伊山地です。
有名な熊野古道は、この紀伊山地の中を横断している道です。現在はある程度開かれているため横断することは可能ですが、古代にここを横断することは道を知っている僅かな部族以外には不可能でした。ここで途方に暮れた時に、カムヤマトイワレヒコに助けを願い出たのが、神話で三本足のカラスとして描かれるヤタガラスです。
ヤタガラスは神話では動物になっていますが、ある部族が神話で三本足のカラスとして形を変えて登場しているということです。実際に紀伊山地を調査すれば、このヤタガラスが部族だったことを示唆する古伝承が随所に残っています。こうしてヤタガラスという部族の手ほどきを受けて、太陽が昇る方角から紀伊山地を横断し、ナガスネヒコのいる大和へ背後から進攻したのです。この時、ついにカムヤマトイワレヒコは知識と行動の分離が消失し、初めて知行合一を成し遂げました。その象徴が、カムヤマトイワレヒコが放った矢の金色の鳥です。
そしてこの瞬間、彼はナガスネヒコとは外に存在する天敵なのではなく、実は自らの内に存在する幻影であったことを悟り、やっと打ち倒すことができたのです。
神話では、大和にある橿原宮(現・橿原市の橿原神宮)の地で、カムヤマトイワレヒコは神武天皇として即位したことを伝えています。この神武東征という大好きな神話を原作に、自分の関心を様々に組み合わせて再解釈した映像という位置づけで今回作品を作ったのですが、もう一つ個人的に非常に意欲的で、さらに面白いと感じているのは、歴史を通じた現代世界への批判です。
現代は様々な国で無数の処理しきれない問題が日常的に多発し、真に世界を思う人々の心は苦しみ、病んでしまうほど、容易には解きほぐせない世界になっています。こうした中で、現代の世界、国、政治、企業、社会、テクノロジーに対して様々な批判が日夜膨大な数行われていますが、私たちは現在そのものを生きている以上、完全にこの時代のフレームワークを客観的に捉えることはできません。ここに、現代批判の限界があります。
問題は、批判を為す人々がこの限界を理解しているか否かですが、あらゆる現代の問題を批判しようとした場合、かなり思慮深い人物でなければ、すぐに蔓延しているイデオロギーに絡め取られて転倒してしまいます。こうしたことが横行しているため、何も物事が進まずに世界は疲弊していると考えていますが、一方で直接的にそうした批判を攻撃として持ち出してしまうと、さらに問題が深刻になります。
この場合、最も有効なのは歴史を扱うことです。私はShitsuraeにおいて、様々な歴史を扱っていますが、日本の歴史という外国人にとって馴染みのない素材を扱い、知られてない部分を掘り出して伝えようという意図は全くありません。むしろ、歴史や文化などを掘り下げて独自に探求することが、ひいては私にとって現代世界の批判になっているということです。むしろ、強烈な憤怒として根底にあるのはこちらです。
例えば、数日かけて行っている武家の台頭を軸とする平安時代末期の流れなどは、読んで頂くと察知できると思いますが、歴史自体をただ解説しているのではなく、何よりも現代に対する痛烈な批判を歴史を応用して行っているに過ぎません。こうした手法は非常に有効で、現代への批判を明言しなくても、歴史考究の中に現代への批判が強烈に含まれているため、分かる人には分かるという強いメッセージになって伝播していきます。
こうした観点をテキストに限らず、さらに映像に取り込むことができないだろうかということが今回の試みでしたが、かなり手応えを掴んだので、次々と制作していこうと思います。