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KINEMA 2400
日本の心を映像から学ぶ
- 小津安二郎の墓石に刻まれた「無」は戦場で手に入れたものである日本の墓石は「何某家之墓」と彫るのが慣習で、そこに刻まれるのは家系の連続性の保証です。ところが北鎌倉にある円覚寺の丘上、映画のスクリーンを模った黒御影石には、「無」の一字だけが刻み込まれています。刻んだのは円覚寺管長だった朝比奈宗源老師で、そこに埋葬されている人物が、生前からこの字を老師に頼んでいたといいます。
- 宮川一夫の「銀残し」は市川崑『おとうと』(1960)で生まれた今回は、90年代にハリウッド映画『セブン』(1995年)や『プライベート・ライアン』(1998年)をはじめ、世界中で使われた「一つの技法」についてです。
- 山下耕作『博奕打ち 総長賭博』(1968)は日本の心を描き切った今週は、一本の映画をセレクトします。
- 若松孝二のピンク映画と赤バス上映隊 上映される自由の三つの解法前回、独立プロがぶつかった壁は「作る自由」ではなく、「上映される自由」だったと書きました。今やあらゆる最先端技術などを駆使すれば、誰でも作ることは可能です。しかも、YouTube、Amazon Prime、Vimeo、TikTokを始めとする多くのプラットフォームが用意されています。
- 独立プロの戦いは作る自由ではなく上映される自由を巡るものだった先週、敗戦直後に東宝が、戦後最大の労働争議に至った流れを書きました。では、なぜ映画界の労働争議に、米軍まで出動しなければならなかったのか。
- 撮影所システムと五社協定 大手六社は製作から興行まで独占した私たちは今、映画会社という言葉を、なんとなく「映画を作る会社」という意味で使っています。ですが、かつてこの言葉は、まったく違う規模のものを指していました。
- ATGはなぜ終わったか 全額出資でATGはATGでなくなった文化が終わるとき、たいてい誰も気づきません。
- ATGの一千万円映画 出資は半分、製作には一切干渉しない三条項輸入するだけでなく、自分たちで作れる時が来たのではないか。1966年の三島由紀夫『憂国』の成功が生んだATGの構想は、翌1967年、思わぬ形で現実になります。
- アートシアター新宿文化と葛井欣士郎 地下の蝎座と1960年代新宿半世紀以上前の六〇年代、新宿。催涙ガスと角材と、地下劇場の熱気と、その真ん中で起きた芸術映画の誕生は、単なる現象ではなく、文化でした。
- 日本アート・シアター・ギルドはなぜ生まれたか 安保敗北と川喜多かしこ芸術映画。多くの方々には馴染みのない映画ジャンルですが、無理もありません。なぜなら芸術映画は、特定の時代の渦中で咲いた一輪の花であり、その後、濁流に流されてしまったからです。
- 川喜多かしこはフィルム保存とATG設立で「伝える」を実践した前回、映画を「作る」のではなく「伝える」使命を全うし、次々と日本映画を世界に提起した川喜多かしこに触れました。最初に伝えたいことは、川喜多かしこと映画界の関係を知ることは、私たちにとって無関係ではありません。むしろ、今日のように「作る」と「伝える」ことが分離しなくなった現在、理解の重要性が増していると感じます。
- 川喜多かしこ 日本映画を世界の映画祭へ運んだ東和の媒介者映画は、基本的に作る人と撮る人しか名前が残らない。一方で、あの人がいなければ、日本映画は世界の誰にも見られなかったと今も語り継がれている人物がいます。
- 東映任侠映画『人生劇場 飛車角』 鶴田浩二の静と高倉健の動かつて、映画界にはスターと呼ばれた花形がいました。今、私たちがスターと聞いても、特定の俳優が脳裏をよぎることはありません。しかし、確かに20世紀の映画黄金期には、スターが多くの観客を魅了し、彼らの人生や心に深く刻み込まれていったのです。
- 五社協定はなぜ結ばれたか 日活の製作再開を封じる引き抜き防止石原裕次郎、吉永小百合、渡哲也、和泉雅子、芦川いづみ、松原智恵子、小林旭。1960年代の日本映画において、独自の存在感を放った日活。
- 「銀幕」の語源は銀やアルミを塗ったスクリーン 写し絵と活動弁士スマートフォンやテレビで大量の映画を、好きな時に観ることが可能になった時代では想像つきませんが、かつての映画には特有の色気があり、多くの人々を心から魅了する力がありました。
- 山中貞雄 28歳で戦病死した1930年代最高の監督と現存する3本第二次世界大戦を生き残り、戦後日本映画に息を吹き込んだ黒澤明、溝口健二、小津安二郎などの巨匠たち。彼らの創作の背後には、戦時を生き延びられず、惜しくも亡くなった多数の映画人たちの無念があります。
- 杉村春子は日本映画史上最高の俳優 小津安二郎の「組」が見出した演技どのように映画を辿っていけば良いか?
- 成瀬巳喜男はなぜ研究されないのか コンテを見せず87本を撮った職人SCENE5は、成瀬巳喜男です。
- 良い映画とは最後まで見続けられる映画 小林正樹『人間の条件』良い映画とは何でしょうか?
- 1950年代の日本映画黄金期は検閲の空白が生んだ表現の爆発1930年代中期から後期と、1950年代前期から中期。第二次世界大戦を前後に起きた「ふたつの黄金期」は、その後の日本映画史に大きな影響を及ぼすため、理解が欠かせません。
- 往年の日本映画は『東京物語』『七人の侍』『雨月物語』から観る「何から観れば良いかわからない」。この言葉を、ほとんどすべての人々が口にします。
- 日本映画は万葉集の映像表現 国学者に倣い「日本の心」を探る改めて、日本は不思議な国だと思います。1896-1897年にかけて、はじめて映画技術が入ってきてから、あっという間に世界有数の映画大国になった歴史は、その不思議を象徴しています。見たこともなければ、扱ったこともない機材、映像の原理に悪戦苦闘しながら、あっという間に映画を理解して吸収し、日本固有の映画表現を切り開いていった先人たち。