山人譚をめぐってOn the Folk Tales of the Mountain People
日本各地を巡っていると、山岳国に固有な「山人譚」と呼ばれる民俗譚に出逢うことが多々あります。民俗学者が百年程度かけて各地で採集した膨大な量の民俗譚のアーカイブは、いつも私の心を魅了し、その点も独自に探究を続けてきました。不思議な感覚ですが、こうした山人譚に触発されて山間部へ踏み入れていくと、現在の日本の全体像へと拡張されていく奇妙な撹乱を感じることがあります。この違和感がどこに由来するのかは察し難いですが、今回はひとつの推論としてその姿を見ていきます。なぜこのようなことを考えるのかと言えば、「日本は島国である」という国内外に共通する一般的な見方が、真理からは大きく歪曲していることを常に問題視しているからです。個人的には、調査旅を通じて日本を「海に閉ざされた島国」という閉鎖的なイメージのみで語るのではなく、「海へ開かれた島国」という逆方向のイメージを同時に持って思考しなければ、深層を掴み得ないことを実感しています。
最も単純化すれば、一方方向の見方はあり得ないのが島国の性格です。大陸側の感覚を持つ人や、或いは島国に長く定住する人からすれば、海に隔てられた島国は直接的に閉鎖的だと結び付けられます。しかし、日本の場合は1868年の革命後に明治政府が発足して以降の歴史において、江戸時代への全否定という形で新時代を担う存在という自らの正統性を担保する国家的動きが、恣意的に新政府の人々によって展開されています。この時、彼らは流入し始めたばかりの西洋の学問思考を日本の土着的な姿を全無視して援用し、極めて恣意的な論理を形成しました。典型的なのが二元論の対立構造を捏造し、「江戸時代=鎖国/封建主義」に対する「明治時代=開国/自由主義」です。この明治政府由来の二元論に基づいた構造は、実は今も日本を見る国内外の人々の視線に無自覚に配備されています。
この結果、江戸時代の実像はその姿を一方的に排斥され、大きく歪められていきます。江戸時代の姿は悪しき封建主義で専横的な徳川将軍家による体制であり、鎖国という閉鎖的な国が三百年続いたという前提が創作された時、この閉鎖的な世界を開いた救世主が黒船来航に始まるという分かりやすい物語へと平坦化されてしまったのです。しかし、これが事実ではないことについては多角的に論じることができます。ただし、今回はそこは一旦置いておき、「閉鎖的である」と言える日本の特徴が、現在もかなり強い強度で起きていることに注視してみます。それがパスポートの保有率です。
日本のパスポートが世界有数のメリットを持つことは知られた事実ですが、日本人のパスポート保有率は中長期的に見るとかなりの下落傾向を強めています。昨年2月に外務省が発表した資料では、2024年末時点で有効なパスポートの累計は2164万冊で、その保有率は17.5%だと提示されています。同年の総人口は約1億2380万人程度ですから、2166万人程度となります。これは大きく見れば国民の6人の1人しかパスポートを持っていないということであって、日本から「外」へ目を向けるという感覚自体を失っているや、或いは無関心という現状として解釈できます。現に昨年一年を想起しても、世界各地で起きている諸問題に対して、日本国内で連動する動きは私の記憶する限り一度も起きていません。これはガザで何が起ころうとも、ウクライナで何が起ころうとも、或いは台湾問題がどうなろうとも、自分たちの外の出来事は知ったことではないという態度として表れているように感じます。もちろん、それはデモを行うべきだとかそういう短絡的な意味ではないのですが、少なくとも日本人のGenZが、世界の諸問題にどのような形であっても参画しようとするGenZの動きからは明らかに乖離し、反転していることは事実に思えます。
しかし、グローバリゼーションを一度通過した世界は、現在のように反転する動きに向かっているにせよ、もはや一カ国だけで問題に対処できるような次元にはありません。それはパンデミックが暴いた世界の不都合な姿とも言えますが、少なくとも私たちは誰もが直面しているように、ある地域で起きた問題を共時的に考えなければならないという、圧縮された時空の中で生きることを余儀なくされています。この問題に対しては、現在世界に生きる誰もがそれぞれの生活において対峙しなければならないはずですが、逆に日本はこの閉鎖傾向だけを過度に強めており、世界の潮流から完全に孤立しています。仮にパスポートが強い日本というメリットを日本人が生かせば、世界で最もあらゆる国々へ入ることができ、体験できる機会を得ることができる恩恵を受けて、知恵などを豊かにすることができる契機が無条件に付与されているということです。言い換えれば、現在の潮流として高まっているデジタルノマドの先端に立てるのは日本人であり、最も世界の諸問題に対峙する先頭に立てるはずですが、実際の傾向は反転しており、極めて少数の者しか実行されていない奇妙なズレが見えてきます。この現象はこれまで様々に語られてきましたが、私は民俗伝承における山人譚が、ひとつの考え方としては参考になるだろうと考えています。
山人譚には複数のパターンがありますが、基本は山に入って暮らす猟師の話として構成されており、大抵は山中で山人に遭遇することや、山人の存在を予兆させる女の出現に典型的です。特に伝承の中で重要なことは、語り手として登場する猟師と同じ村落共同体に出自を持っていた女との出会いです。これは女が何かしらの理由で外部の村落へ嫁いだ後、偶然にも猟師と山中で再会し、現状を語る話をする具合に展開されます。ただ興味深いのは、他の村落へ嫁いだ女は自分の暮らしがいかに酷いか、いかに恐ろしいものであるかという異質性を語るものとなっていることです。外部の村落共同体での暮らしが豊かで幸福に満ちたものだという説話は、私が知る限りひとつもありません。なぜこうした共通したパターンが生まれてくるのかというと、それは一般的に民俗学者たちが考える説話のパターンの分布的な動きがあったからではなく、ある共同性においてその幻想が共有されているからです。
日本は海に囲まれた島国という強い印象が前提されていますが、実際に海から見ると視座は一変します。本当の姿は無数の山岳が連なる島であって、海と同じ程度に山を見ることに重要性があります。かつては、山をひとつ越えれば別世界だった時代が非常に長い期間続いていたからです。ゆえに重要なことは、山岳に暮らす人々に共通する共同的な幻想が、山中で狩猟生活を営む猟師の共同性として、幻想次元において共有されているということです。これは学者が考えるように、ルーツとなる説話を各地に運んだ何者かが移動した痕跡ではなく、山に入って生活を行う猟師の共同性が、幻想次元において共有されているということです。ゆえに日本南部の九州の猟師であっても、北部の東北の猟師であっても、全く同じような伝承や同じような心的な体験をベースとする伝承を持っていることは不思議なことではないのです。
特に村落共同体から離れた者は恐ろしい目に遭い、必ず不幸になるという「恐怖の共同性」が象徴されていることを見逃してはなりません。つまり、村落共同体から出離することへのタブーが、この種の山人譚の根幹に潜む恐怖の共同性として現れているのです。村落共同体に暮らす村民にとっては、共同体の境域を固めるタブーの外部と見做される土地や異族は、その存在自体が分からないことへの未知の恐怖が付きまとう異空間と同一視されます。これを心の体験として見た場合、それは他界の概念に等しい世界だったと言えます。他界概念については、民俗譚よりも神話の方が高度に語ります。なぜならば、習俗や土着性を含有する民俗譚と比べると、神話は権力的な編纂作業が伴う高度な技術的性格を有するからです。
実際、日本神話で他界の概念は重要な位置に配備されています。幾つかありますが、最初に国や神を生み出す母体となる男神・イサナキと、女神・イサナミの対関係の神の説話に登場します。この対関係による共同体の協働が行われていた途中、火神のカグツチに象徴される異族の登場によって、この協働関係は断ち切られてしまいますが、神話ではイサナミがカグツチの炎で女陰を火傷して病み伏せてしまい、そこから黄泉国へと去ったと語られます。この黄泉国が日本神話では他界の原初的な位置に設置されたものですが、この他界を巡る解釈は常に時代の規制を被りながら変様します。
例えば他界という概念は、通常は死者の国として考えられています。しかし、この解釈は歴史的な普遍の他界概念ではなく、江戸時代中期から後半にかけて台頭した国学者が再解釈した理解に強く基づいており、本来は死者の国として語られるものではありませんでした。私たちがこの説に納得し得るのは、死生観が現代の私たちと同質な次元にまで接近したことが関与しますが、本来この他界概念は死者の世界として語られるものではなく、生者の世界です。この生者の世界から死者の世界への転移は、日本人の心の問題としては衝撃的だったと言えます。
「他界=死者の国」と関係付けた新たな解釈の登場には、国学の台頭を先導した本居宣長(1730-1801)の門弟の服部中庸(1757-1824)が深く関わっています。基本だけ書いておくと、712年成立の古事記と720年成立の日本書紀は、同時期に編纂・成立した神話などを広範囲に収めた現存日本固有の書物に位置付けられますが、大半の歴史期間では日本書紀側が頂点に据えて重宝されており、古事記は学問としては裏に隠れた存在として研究されていませんでした。これを問題視した本居宣長は、30数年もの歳月をかけて古事記の解釈を徹底した『古事記傳』を完成させたのですが、ここが日本の古事記研究の出立点となります。つまり、古事記の研究は成立から1000年以上もの歳月を経て、ようやく本格的なスタートを迎えたのです。
ただこの画期的な瞬間は反対の側面も考慮しなければなりません。1000年以上もまともに研究されてこなかった古事記の解釈が、学者の裁量で自由に行える余地が豊富に残されていたからです。ゆえに本居宣長自身もそうだったのですが、自らのイデオロギーを介入させて解釈することが行われます。この古事記研究の流れを継承した門弟の服部中庸も、師匠の解釈を独自発展させて古事記の世界観を展開しました。それを象徴する文書が『三大考』です。この書物は当時の国学者の間で激しい論争の原因となったのですが、それは服部が西洋の天文学的視座から解釈したからです。つまり、服部は古事記を宇宙の成り立ちを語る古代の叡智と捉え返し、そこに部分的に輸入されていた西洋的な科学的考察を持ち込み、それをベースに宇宙論として展開したのです。何より、この世界観の提示に最も感激したのが師匠の本居宣長でした。
これは本居宣長が自身では理解し得なかった宇宙の成り立ち、さらには事物が生まれる由来を弟子の服部中庸が示したからですが、ゆえに三大考は古事記傳に付随して刊行されて多くの読者に読まれて一時代の基礎を形成しました。この時、服部の思考のもとで古事記の世界観は「天・地・泉」へと次元を設定されるのですが、「天=天上世界」「地=地上世界」「泉=黄泉国」となります。噛み砕いて言えば、天上世界ー地上世界ー地下世界の三層構造が宇宙の真理と見做され、地下に他界が存在するという論理をベースに、古事記が描く他界は死者が住まう地下世界だと理解されたのです。この三層構造は、ほとんど近代に接近していた時代に生まれた新たな価値観から組み立てられたものであり、それ以前の時代に通じるものではないことには注意が要されます。
ここを前提して、少なくとも私たちが掴み取れることは、村民の生活する村落共同体におけるタブーにおいて最も重要だったのは、自分たちが所属する村落共同体から出離することへのタブーが、かなり強い意味での恐怖の共同性として長大な歳月をかけて形成されていたということです。この外部へベクトルを持つ出離へのタブーという村落共同体の性格は、日本列島各地に無数の村落があった時代、そうした考え方を持った特定の者が伝播させずとも、共同性の中で到達する幻想としては同質のものとなります。そして重要なことは次です。村落共同体のタブーが持続した歴史の歳月に比べれば、そのタブーを忌々しい旧習だと見做して排斥したつもりでいる近代日本の歴史の歳月など、生まれたばかりの赤子の域を出ない極めて未熟なものでしかない。1868年の明治維新を契機としても、日本の近代化などは所詮160年程度の歴史しか持っていません。つまり、産業化や資本主義と一般的に呼ばれるような近代システムが、高度に完成した後の老朽化時代を迎えているように見えてしまう日本の現在ですが、実際の問題はむしろそこに撹乱されてはならないように私には思えるのです。
むしろ、日本人という1億2000万人ほど存在する一人一人の個体の心の中の問題や歴史体験を素直に見るならば、近代以前に育まれた数千年から数万年規模をかけて形成された心的な問題や体験は、今も日本人に様々な形で流れ込んでいることを考えなければならないはずです。しかし、私たちはこの問題を完全に無視して考え続けています。これは一つには、進化論の右肩上がりの線形的世界を信じなければ発展し得なかった近代世界に今も生きる私たちが、どうしても近代以前を認めることができないこと。さらに、そもそも近代の尺度で近代以前を知る自体が不可能であるという絶対的な真理を無視してきた態度それ自体に由来します。このズレた文脈から生産される日本・日本人論が、私から見て的外れに思えてならないのは、いずれの考察も心的な問題を除外して展開されているからです。或いは心的な問題に焦点はあてていても、近代の尺度が近代以前に通用しないことまでは理解していない。人類史を巨視的に見れば、おそらくほぼ99%の期間は、むしろここまで述べてきた段階にあったわけです。ただし、この観点では村落共同体から出離することのタブーは、確かに自然環境的に見ると、海に囲まれた島国に暮らす人々の方が傾向としては強まるとは言えます。この時、異民族が混合する大陸的な歴史と比べた場合、おそらく同じ位相で理解し合うことはできないという問題が浮上します。
仮にこの視点を前提して大きく東洋と西洋の対比を行うならば、東洋の海に囲まれた島国の日本に対して、西洋の海に囲まれた島国のイギリスを考えることが妥当でしょう。ただし、条件が違います。確かに日本人と英国人は性格が似ていると言われる印象から、島国に共通する性格があるとは言い得ます。しかし、実際に私も滞在して感じたのですが、英国を取り巻く周囲の状況と日本を取り巻く周囲の状況は、全く違うと感じました。英国が隣接している大陸側は、ヨーロッパのように多民族が入り乱れて形成された複雑な歴史を持っている地域ですが、日本の隣は漢民族の統治による歴史を強く展開してきた中国だからです。もちろん、その内部を詳細に見ればヨーロッパ同様に複雑な民族構成になっていたことは自明ですが、それらが国家的に巨大な統治としてある程度緩衝されてきたというのがヨーロッパと中国の大きな違いと言えます。その意味で言えば、日本と英国は島国としての性格は近似していますが、隣国から与えられる影響はかなり異なったものだったと思われます。また英国は、日本の山岳というイメージはありません。
かなりざっくり見ましたが、この観点からは、日本における恐怖の共同性が英国における恐怖の共同性とは相当違った性質になることが考えられます。なぜならば、英国の外部は日本と比較すると、多種多様な異族によって構成される傾向が高いからです。これは特に海を渡ってきた異族に言い得ることですが、日本の場合は海を渡ってくる異族の大半も、英国と比較すれば自分たちと見た目が近似した存在になる可能性が高い。ゆえに日本の場合、この異族の観念が育まれた古層には、中国や韓国側から海を越えてきた移民以上に、同じ島国の内部で起きた可能性が高いと言えるのです。その代表的な存在が縄文人です。縄文人が現代の一般的な日本人とは見た目がかなり異なったことは、もはや知られた事実ですが、今もこの縄文人の遺伝子を強く引き継いでいる地域の人々は、この古層の面影を強く残しています。これが日本の多元的世界の入り口となるのですが、ただもう一つ忘れてはならないことは、確かに海を渡ってくる移民の大半は中国や韓国に由来する人々であっても、一部はそうではなかったことです。むしろ全体的に見た目が似た集団が移民として流入する中、一部の見た目が明らかに異なるならば、当然日本列島側に在地していた集団にとっては異質な異族像としては適したものだったはずです。
こうした観点を総合的に考えると、村落共同体から出離することのタブーという「共同の意識」(個体ではない)は、明治政府によって村落共同体が抽象化されて一元的に国家に回収されたことを契機として、100年以上の歳月をかけて形成された虚像であることが見えてきます。特に抽象化された「村社会」的な心の体験が近代史で一般化された時、同時に古めかしい封建主義的な村落共同体には、近代に生きる日本人から放棄されるべきだという新たな意識が介入しています。これは都市部への集中的流入現象として現れますが、この時に重要なことは、個人の個体としては村落共同体を放棄して都市部という非村落共同体の近代的かつ西洋的な気風の中で生きたとしても、それは所詮は個体の話でしかないことです。つまり、この記事で論じているように、幾ら個体が近代化を演じたところで、長大な歳月によって形成された共同の幻想次元は効力を失っておらず、実は現在の日本人の国民の大半の心の原体験の底部には、この記憶が生々しく新しいものとして残っているということなのです。そしてそれは共同幻想の位相であるため、日本人である以上、絶対に無視することのできない心的な問題となります。
事実、私は現在の日本人にもこの心的な共同性は露骨に発露する場面が多々あると見ています。中でも、海外生活を送る日本人がその体験を語る際に顕著に現れます。それは私の見立てでは、村落共同体という次元を「日本」という国家次元にまで恣意的に拡張されていることを、当事者たちが疑うことなく前提にした時に露骨に現れます。ここでは「村落共同体から出離することのタブー」が、そのまま「日本から出国することのタブー」へと転移し、そこにおいて国外で生きようとする日本人と、国内で生きようとする日本人における大きな断絶として現れるからです。この問題が私にとって興味深いのは、国外に出て暮らす日本人が日本に対して発言する際には、常にこのタブーに基づいているということです。つまり、外部へ向かうことのタブーを犯した者が、必ず恐ろしい目に遭って不幸になると信じられた恐怖の共同性が、かつての村落次元でしか共有されていなかった次元を脱して、国家・日本から出国することのタブーとして捉えられているということです。
重要な点は、このタブーに基づいて語る態度が、国内で暮らす日本人側以上に、国外で暮らす日本人側の心的に強い強度を持って発現することです。そしてこの恐怖の共同性を軸に、国外へ出離することのタブーに対する良し悪しが語られているということが重要なのです。ゆえに、国外に在住する日本人や国外に出て経験を積んだ日本人が、国内に留まる多数の日本人に対して発言する在り方は、異質になります。なぜならば、国外に出ると必ず恐ろしい目に遭って不幸になるという恐怖の共同性を前提に、「そうではない」と主張するグループと、「その通りだ」と主張するグループに大きく分かれるからです。
極言すれば、国外で暮らす日本人の心理において、個人次元ではその生活に幸福に感じていようが、或いは幸福を演じていようが、この恐怖の共同性という共同幻想の位相からは、全く脱していないという心的な問題が潜んでいるということです。そしてこれに対して、人々はあまりに無自覚だと言えます。仮にこの辺りに閉鎖的な性格を洞察するヒントがあるならば、一体それはどこに潜んでいるのか。それは私にもまだ分かりませんが、この角度から周囲の日本人を見れば、異質さの根拠が掴めるかもしれません。