内省と、ドーパミンの世界からの脱出Introspection and Escaping the Dopamine World
「人はそれぞれ異なる」。あらゆるものが個別化する現代では、誰もが自分と内省する時間・空間を意識的に確保し、中長期的な計画をもって取り組む必要性に迫られています。もはや内省は、過酷な現代を生き抜くための必須スキルの一つと言えますが、一方で世の中は綺麗事ではありませんから、人々が内省に向かうことで困る人々が一定数いることも事実です。「覚醒」という言い方は大袈裟にしても、とにかく現代世界におけるマーケティングの基本である「ドーパミン中毒」構造の内部に一度取り込まれると、容易に抜け出すことはできず、個々にとって何よりも重要な資源である時間(そしてお金)を収奪されます。これは、今では人類全てが直面している深刻な問題です。
「内省」に向かいたくとも、既に現代の構造内に取り込まれており、その「外」を知らない人々・知ろうともしない人々にとっては、このドーパミン世界こそが現実なわけですが、今後、この観点での極端な二極化が進むと、一方は内省を踏まえて自分の人生・可能性を再設計し、加速的に未来へ進む層となり、もう一方は心身ともにドーパミン過剰で支配され、自分を一度も取り戻すことなく人生を終える層となるでしょう。この場合、両層の中間を結ぶ地点が重要となることは自明で、呼び方は変わるでしょうが、新たな哲学・宗教の類が次々と勃興することになるでしょう。
ただ内省とは言っても、容易なことではないことは誰もが知る通り。何しろ内省は一時的な快楽(ドーパミン誘発)ではなく、生涯に渡って変容しながら続くものです。いかに歴史的に著名な僧侶であっても神道家であっても、当時の時勢の煽りを受けながら、それでも内省を止めることなく未来を自らの内側からデザインしたことによって、彼らは先駆的な存在となったことを忘れてはならないはずです。特に高度に脳科学などが発展した現代において、これらを悪用したドーパミン世界の構築から、個人が脱することは極めて困難です。視方を変えれば、現在の世界で起きている様々な出来事は、このドーパミン増幅を与える効果を持っており、出来事に直接関係のない人々に対しても、ドーパミンを誘発できる上、その収奪した資源(時間・お金)を一元的に回収できる画期的な時代とも言えます。
だからこそ、日常の小さなところで言えば、ソーシャルメディアを辞めることや、距離を取ることが執拗に提唱されているわけですが、ソーシャルメディアは面白いもので、私のようにInstagramやX, Tiktokなどをやっておらず、アカウントも持っていない人々は、そもそもアクセスすることさえ許されていません。ですが、多数の人々はソーシャルメディアなしに生活することはできない世界となっています。実際、日本を旅行した方なら分かるでしょうが、ドーパミン世界の先頭とも言える日本では、良質な食事を見つけることは極めて難しい。ドーパミン世界の住人は、そうしたことを気にせずに世界一のレストラン「数」を誇る日本の食事を楽しむのでしょうが、実は日本の食の質は極めて問題が多いのが現実であり、その実態は「粗雑氾濫」です。
日本でグルテンフリーや、乳製品・白砂糖・添加物不使用の美味しいお菓子を求めた場合、都市部では買えず、大抵は地方に住む個人が小さな店舗を構えているか、あるいは店舗を持たずに移動販売することが多いため、営業日・営業場所なども頻繁に変わります。各地を来訪した際には、こうしたところにも足を運んでいますが、時に厄介だと感じるのは、こうした営業情報が基本的にInstagram経由でしか分からないことです。つまり、個人的には不思議な構造に思えるのですが、健康を維持・向上する場合であっても、なぜかInstagramというドーパミン世界へ足を踏み入れなければならない「入会儀式」のようなシステムが蔓延しており、健康促進を担う人々自体が、そもそもドーパミン世界から脱却できていないのです。正直、ここに日本の無惨なオーガニック文化の実態があるだろうと、5年程度巡った末に感じています。
人類の99%が、程度はさておきドーパミン依存となっている現代において、最優先に取り組むことは「内省」ではなく、それ以前に食生活を見直し、歳月をかけて健康を回復することが先決です。なぜならば、この心身の健康を取り戻す前に、いかに様々な瞑想法などを試しても、ノイズを除去する準備自体ができていないため、本質的な内省に向かうことはあり得ないからです。農薬・添加物・化学化合物などを筆頭に、現代人の体内は毒にまみれているわけですから、これらを排出する本来の姿を取り戻し、あとはできるだけ食事を筆頭に生活全般を考えて、毒を多量に入れないための努力が求められます。ある意味では、これが現代人にとっての「精進」です。いつの時代も精進することは世相に抗い、逆らうため、この精進を続けることが内省に至る道に思えてなりませんが、ここに日本人であるか否かは問題ではないはずです。むしろ、人類規模の問題だと位置付けられます。
視点を変えれば、現代のドーパミン世界の構造は、まるでディズニーランドのシステム同様に感じます。日本でも若年層がディズニーランド中毒になってから10年ほど経ちますが、あれは単純な現実逃避なのではなく、大半の若年層にとっては、彼らの世界そのものであるドーパミン世界と極めて相性が良い世界だからでしょう。
そして個人的な問題意識としては、このドーパミン世界の構造内において、現代の日本文化も動いていると考えます。本来、このような日本文化なるものは存在せず、ひたすら場所において多元的に育まれてきた文化が無数に蠢いていた姿があり、Shitsuraeでは都度そこを主張しています。戦後最高の思想家・吉本隆明は、この構造を「自己幻想」「対幻想」「共同幻想」として提示しましたが、理論化には至りませんでした。そのため、この思想家の提示した諸概念を理論化する難題を引き継ぐ人物が現れるのですが、それが私の最も敬愛する哲学者・山本哲士です。この人の理解なき日本理解はない、そう私は常に捉えています。現在、80歳を前にしてもなお、山本は自らの使命を全うするべく、日々思考を研ぎ澄まし、次々と意欲的な著作を発表し続けていますが、こうして吉本の『共同幻想論』は山本によって理論形成が行われていき、そこからそれを活用する人々が登場する時代を迎えることで、現在理解されている意味での「日本文化」は瓦解し、本質的な日本文化が顕現するでしょう。そこは、私も常に思案して動いている領域ですが、まだまだ歳月を要するでしょう。しかし、本質的な日本文化は既に始動しているのです。
この観点で言えば、現代世界ほど、外のドーパミン世界に惑わされて人生を毀損・損失せずに、自分自身を内省することが重大となった時代もないかもしれません。自分と向き合い、自分の内側から人生(可能性)を設計することの強度は、多数を一斉にドーパミン誘発させるシステム化を遂げている世界の構造とは全く異なり、言い方を変えれば個々に異なるドーパミン体質といかに付き合っていくかが問われている個別事案と言えます。前述の日本文化もそうですが、ドーパミン世界とは言っても、ドーパミン代謝は個々それぞれ異なります。個別化というよりも、こうした個々が異なることの自覚を人々に気付かせないことがドーパミン世界の基本ルールですが、そこから脱することは可能です。なぜならば、システム構築者は、まだこのドーパミン世界を一元的な枠組みでしか構築できておらず、個別化されたドーパミン世界への回収は完成していないからです。ただし、この完成も時間の問題でしょう。それが完成する前に、先に徹底的に理解を深めることこそが、現代以上に未来を生き抜く最重要の要素となるはずです。
そこで理解しておきたいのが、自らのドーパミン代謝です。自らの遺伝子を理解し、ドーパミン代謝を熟知することで、ドーパミン世界からの離脱・距離を取ることは十分に可能となります。そして前述の通り、このドーパミン世界からの脱出は、同様に日本・日本人・日本文化などからの脱出となり、本当の意味での日本・日本人・日本文化を見つめるための基本的な土台となります。ここが、出発点であり、本来の日本文化の素晴らしさはここに広大無辺に存在しています。
ですが視方を変えれば、ドーパミン世界の構築者にとっても、世界に取り込んでいる人々の遺伝子情報を獲得すれば、二度と彼らが世界を脱出できないシステムにアップデートすることも可能です。つまり、彼らがこのシステムを樹立する前に、私たちは個人次元において、自らの遺伝子・代謝を理解し、それに応じた内省を徹底的に深めておく準備が必要だということです。この準備を行なった者と行わなかった者の未来は、現在言われている二極化などのレベルではなく、生命の危機に関わる次元で影響するでしょう。そして今後、個人が準備を行う前に、ドーパミン世界がアップデートされてしまえば、そこから離脱することは不可能となる近未来が到来します。
ただ、この辺りは分かりにくいでしょうから、一般に日本文化の象徴とも考えられている抹茶を考えてみます。今や世界的に抹茶は消費されており、今月もバンコクに行った際、そこら中に抹茶を冠した製品が氾濫していましたが、日本に来訪する旅行者も抹茶中毒と言えるほど消費しています(そもそも、日本人はそこまで抹茶を消費しないことさえ、知られていません)。ちょうどこの一ヶ月、欧州に住む私の弟が彼女と共に帰国していますが、欧州出身の彼女も日常的に抹茶を飲んで中毒化しています。
さて、この抹茶は今では日本文化の代表格として世界的に知られるようになっていますが、その内実はどうなのかを考えたことはあるでしょうか。つまり、日本人全体を内包した日本文化と言えるほど、本当に抹茶は日本人と密接な関係にあったのかということを問いたいのです。
実際、これまで私は歴史的な角度を重点的に調べてきましたが、抹茶が日本全国で歴史的に消費されていたことはあり得ず、極めて限られた一部の嗜好品であったことは事実だと考えています。ゆえに、私は大半の日本人にとって、実は抹茶はそこまで健康に寄与せず、むしろ反対に悪影響を与えることも多いのではないかと考えています。これは歴史的に抹茶を飲む習慣を大半の日本人が持っていなかったことを考えると、考慮するに値することです。ここで注目したいのが、抹茶を含むカテゴリーの最上位概念と言える緑茶に多く含まれるEGCG(エピガロカテキンガレート)です。このEGCGは近年、抗ウイルス作用を持つなど多様な視点で注目されていますが、要するに日本人の歴史的なお茶文化(緑茶文化とも言えます)において、外来の紅茶やウーロン茶よりも遥かにEGCGの含有量が多い緑茶は、本当に日本人(さらには外国人)にとって有用なのか。実際、現在ではそうした言説が目立ちますが、ここには大きな落とし穴があります。
特に今回扱いたいのが、kCOMT(カテコールーOーメチル転移酵素)の存在です。神経伝達物質のドーパミン・ノルエピネフリン(ノルアドレナリン)・エピネフリン(アドレナリン)をカテコールアミンと言いますが、ここで食事由来のフェニルアラニンから合成されたドーパミンは、三つの主要な方向へ向かいます。それが「受容体で働く」「再取り込みされる」「分解される」の三つの経路です。このドーパミンが分解される経路は複数ありますが、中でも重要なのがCOMT経路です。これは合成されたドーパミンが過剰にならないために、分解してどんどん尿で捨てるための代謝経路ですが、大きく見れば、この経路は以下となります。
ドーパミン
↓COMT + SAMe + Mg
3-MT(3-メトキシチラミン)
↓MSOB + B2(FAD)
HVA(ホモバニリン酸)→尿として排泄
この時、ドーパミンを3-MTに分解するために重要となるのが、COMTですが、この遺伝子に変異があるか否かは、一つの指標となります。特に重視されているのはVal158Met(rs4680)と呼ばれる遺伝子多型の一つですが、これがVal/Val型(GG型)だとCOMTが高活性でドーパミン分解が早く、前頭前皮質のドーパミン濃度が低め、Met/Met型(AA型)だとCOMTが低活性でドーパミン分解が遅く、前頭前皮質のドーパミン濃度が高めと位置付けられます。そしてGG型はストレスに強い、痛みに強い、集中力維持がやや苦手、ワーキングメモリが低いなどが特徴とされており、AA型は認知機能・記憶力優秀、ワーキングメモリ優秀、ストレスに弱い、痛みに敏感、不安傾向などが特徴とされています。
COMT活性型
・高活性型(HEA)
・中活性型(MEA)
・低活性型(LEA)
このような活性型のハプロタイプの分布を見ると、現状、日本で調べられた分布ではHEAが約33%、MEAが約24%、LEAが約39%となっており、比較的COMT低活性型(つまりドーパミン分解が遅い)の割合が高いことが分かります(個人によっても、場所によっても大きく異なります)。このCOMT低活性型は前頭前皮質のドーパミンが高めに維持される傾向にあり、生活習慣・他の遺伝要因などを踏まえる必要があるものの、一般に疲労感・頭痛・カフェイン感受性の変化・リラックスしにくい(交感神経優位)などが主な特徴として考えられています。
このCOMT低活性型の場合、生活習慣次元で言えば、COMTの活性を阻害する作用のある要素を避けることが必要となりますが、この制限が推奨される食品の中に、実は日本人と歴史的に根強い関係があると信じられている緑茶の含有成分であるEGCGが関与してきます。しかも、このEGCGは最も強力なCOMT阻害物質です。万人に通用する健康法はないという真理が、ここから見えてきます。つまり私は現段階の想定として、「日本人=お茶文化(緑茶文化)」とは、かなり誤った認識として一般化した代表的な事例に思えており、この従来の既成概念の再考を研ぎ澄ますことによって、全体的な日本文化総体の瓦解への糸口が見つかるのではないかと考えています。
このため、COMT低活性型の人々は、基本的に緑茶を摂取するにしても、一日に2-3杯に抑えることが望ましく、逆に低活性型ではない人々は5-6杯飲んでも平気だと言われていますが、これは一般論であり、現代においては通用しないとも感じます。なぜならば、現代の観光客レベルでアクセスできる緑茶は質が極めて劣悪であり、COMT高活性型であればある程度問題ないでしょうが、COMT低活性型の人々はかなり気をつける必要があります。なぜならば、仮にCOMT低活性型の観光客が、日本に来たからと言って毎日好き勝手にお茶を摂取すれば、過剰なEGCGによってCOMT阻害が強烈に作用してしまい、ドーパミン代謝が崩れて不調に陥るリスクが高いからです。
特にこれはCOMTに限らず誰もが注意すべきですが、コンビニなどで販売されているペットボトル飲料の緑茶商品は、そもそもEGCG効果を高める目的で開発されているため、COMT低活性の人々は避けた方が良いでしょう。なぜならば、かつての緑茶と現代の緑茶は全く異なるからです。驚くかもしれませんが、日本に約5万6,700店あると言われるコンビニに私が入るのは一年に一度程度であり、しかもコンビニ商品を買うことはありません(ATM利用か水購入だけ)。つまり個人的には、COMT低活性型の人々は、簡易に入手できる緑茶であれば、基本的に摂取しない方が良いのではないかと考えています。むしろその労力を良質な緑茶を探すために使用し、そこで見つけた逸品を1杯程度飲むのが理想であり、それを求める旅こそが本当に素晴らしい日本の経験だろうとも考えています。もちろんEGCGに限らず、他にコーヒーのクロロゲン酸、カカオ70%以上のダークチョコレート(カカオポリフェノール)、赤ワインなどもCOMT阻害物質として有名です。
これらは非常に複雑かつ多様な要因から個別に導き出すものですが、大きく見ても、COMT低活性型の人々にとって、実は緑茶(EGCG)は日本文化の象徴として摂取が推奨されるものではなく、むしろ気をつける必要のある食品であり、本当に「日本人=緑茶を飲む習慣」が歴史的にあったか否かについては、かなり疑問を呈する問題が浮上してきます。実際、一般にお茶文化と呼ばれていますが、その内実はあまりに多元的です。歴史的に文化としてのお茶の始まりは、禅僧・栄西などが唐より持ち込んだ中国文化に始まると言われており、基本的には九州で始まった潮流です。ただし、個人的には茶葉自体は人為的な生産の有無を問わなければ、それ以前から日本に自生していたと考えており、縄文時代から続いた焼畑農耕などでは、焼き払った後に茶葉が自生していた事実を私も九州で確認しています。
さらに貴族から武士時代へ入る頃、武士の哲学と相性の良かった禅が勃興する過程でお茶文化は各地へ広がりますが、基本的には大阪の堺から京都にかけて西日本が主要な文化拠点であり、生産としては各地に広がったものの、その茶葉生産の北限は晩夏に来訪した新潟県村上市に位置しているように、日本全土で見た場合、茶葉生産ーお茶文化は極めて限定的であり、かつ場所ごとに栽培方法・製造工程・飲み方が異なっていたため、含有量にも相当な違いがあったと考えられます。
私の最大の調査テーマである、元々日本では場所ごとに異なる多元的な部族集団が存在していたことを考慮しても、遺伝的な関係自体が場所によって大きく異なるため、その場所(住む人々の遺伝子)に応じて、お茶文化も異なっていただろうと夢想しています。COMTなどの遺伝子を知らずとも、祖先は高度な知恵を活用して、自分たちに最適化されたお茶を飲んでいただろうし、反対に来訪先で振る舞われるお茶は自分たち(遺伝子)に合っていないお茶だった可能性も考えられます。
実際、日本人ではお茶ではなく「味噌汁の味」にこの系譜が強く結びついています。味噌汁とは言っても、非常に多元的であり、かつ母親が作った味噌汁の味でなければ、味噌汁は食べられないという人々は相当数います。この味噌汁の味は、代々母親から子へ継承されていきましたが、これは遺伝的にその人の系譜に対応した適切な「味噌汁の味」とも言える大変興味深い事例です。だから今でも、都市部から実家に帰った際、母親の味噌汁を食べてリラックスする人々が多いのです。ここはお茶文化の洞察の際、かなり参考になると考えています。
今日は、このような遺伝子から考える日本文化について夢想していたのですが、私が考えていることは「ドーパミン世界から脱出した人々が体験する近未来の日本文化とは、どのようなものだろうか」という問いです。もしかすると、ここに次の未来へのヒントがあり、可能性があるかもしれず、ドーパミン世界を脱しつつある私にとっても、どんどん考えていかなければならない問題のように感じています。単純な「日本文化=お茶」というドーパミン世界を脱した時、はじめて見えてくる「個別化された日本文化」の姿。ここに至った時、もはや言語を超越した本質的な体験が可能になる未来が到来するかもしれません。それは霊的体験の世界であり、内省を続けた者たちが集う最後の世界です。
あなたが旅行で来訪する日本の体験は、まるでディズニーランドのように、全てが管理・設計されたドーパミン世界によって、ただ満足させられているだけなのかもしれないのですから。ドーパミン世界の仕組みがとりわけ濃く現れている場所のひとつ、日本。興味があれば、ドーパミン世界を脱した視点から、その仕組みを客観的に眺めてみてください。