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夏越の祓と二つの暦法のズレ(見出し行なし。英語の H1 から付けた題)Spiritual Restoration in Japanese Culture

今年の暑さは、私が生まれてから34年間で最も過酷で、既に日本の夏はサバイバルが鍵になってきたと年々感じます。昨日は6月中旬にして全国の観測点で異例の36-40度を記録しました。さらにこの時期の日本は梅雨の高湿度が重なるため、まるで蒸籠の中に閉じ込められたかのような息苦しさが続き、人々の心身に深刻なダメージを与えます。こうした極端な気象は特に都市部では避けようがありませんが、だからこそ古代から伝わる『夏越の祓』が持つ知恵が、現代のサバイバルを生き抜く上で改めて意味を帯びてきているように感じます。今回は、この点について見ていきます。

以前、旧暦における二十四節気の『穀雨』を迎えた際に、この時期から農業が本格化に始まる点について伝えましたが、そこから2ヶ月ほどを経た今の時期になると、今度は雨が降る期間が長引くため、大きな仕事を終えた農家を含めて人々は内省の時期を迎えます。ここで半年間かけて蓄積された『穢れ』について内省し、それまでに生まれた課題としっかり向き合うことこそが、残りの半分を豊かに過ごすために重要なファクターとなります。この重要性は今では慌ただしい現代社会の生活で忘れられていますが、私は非常に重要だと考えています。ただし、明治時代に政府の財政的理由から、従来の旧暦を破棄して西洋のグレゴリオ暦(新暦)に強制的に変更して以降、この時期の洞察は常に混乱する傾向にあります。

例えば、新暦ではもうすぐ6月30日を迎えるため、一年の折り返し地点が迫っていることを示します。ですが、この節目に全国的に神社で行われる『夏越の祓』は、旧暦に基づくと大きなズレが生じます。明治以前まで、夏越の祓は旧暦の6月30日であるため、そこに基づくと旧暦で6月を意味する『水無月』の最終日を意味します。私は今も新暦と旧暦のカレンダーを両方見ながらミックスした生活を送っていますので気付くのですが、すると新暦で6月30日はあと12日ほどになりますが、旧暦の6月30日とは大きくズレが生じることが分かります。例えば、本日2025年6月18日は旧暦の『皐月23日』であり、6月30日は旧暦では『水無月6日』となります。明治以前であれば、この夏越の祓は旧暦の6月30日、つまり水無月の最終日に行われる慣わしでした。すると今年の水無月最終日は新暦では7月24日にあたるため、「新暦ー旧暦」では、およそ24日ものズレが生じていることが見えてきます(今年に限らず例年ズレが起きます)。

確かに、社会的に新暦が採用されている現代日本であれば、新暦の6月30日に夏越の祓を行うことは妥当ですが、古代日本が中国の高度な文化に学んで始まった旧暦に基づくと、実はまだ夏越の祓を行う時期には達していません。これは単純で馬鹿げた問題ではなく、視方を変えれば、『祓え』の時期を誤ることから異なる問題が生じる根源になっていると考えています。そのため、私は社会的には新暦に基づき生活をしていますが、個人的には旧暦で心身の状態を見る『二重の暦法』という時空の中に暮らしながら調整しています。この二重性を往来することが現代社会を生き抜き、同時に心身というよりも霊力を持続的に維持するためには必要不可欠だと、現代日本人の疲弊を見ていると感じます。現代日本の衰退の理由は当然多面的ですが、私はその根源的理由の一つに「新暦ー旧暦」のズレがあると見ています。『二つの暦法に引き裂かれた日本の霊性』ということです。

とは言っても、社会的には日本でも新暦が基盤ですから、夏越の祓も基本的には6月30日に行われます。そして夏越の祓は暦法の観点からは古法との大きなズレが生じていますが、儀礼そのものは旧暦由来の季節感・穢れの観念を色濃く残しており、大変興味深いものです。

読者の理解が進むように夏越の祓を独自に言い換えれば、半年間で蓄積した『霊的穢れ』をデトックスし、残る半年を清浄な状態で過ごすために必要不可欠な神事です。歴史的な起源は古く、既に701年の大宝律令でも原型が国家祭祀に組み込まれています。当時から夏は疫病の時期と考えられていましたから、特に疫病鎮護が政治の最重要課題となる平安期に入ると、宮中のみならず京都の官社でも盛んに行われています。そのため、古式の作法などは京都の神社に比較的よく残っています。

ただし、これは律令制の観点から見た場合の話であり、起源自体はさらに遡ります。それが『古事記』に記されるイザナギ(伊耶那岐命)の『禊(みそぎ)』という説話です。詳細は今回省きますが、イザナギは黄泉国で妻・イザナミ(伊耶那美命)と決別した後、『橘小戸阿波岐原』という古代日向(現・宮崎)の川砂を踏み、海潮を浴びて穢れを洗い流します。このイザナギが穢れを祓った際に、イザナギの左眼からアマテラス(天照大神)、右眼からツクヨミ(月読命)、鼻からスサノオ(須佐之男命)が生まれます。この穢れの除去が新たな霊力・神を生むという神話構造は、現在の夏越の祓にも通底しており、ここに『清祓(きよはらえ)—再生』を繰り返す霊的な日本的時間観が芽生えた根源が見えてきます。

ここが一つの主な源流ですが、夏越の祓にはもう一つの要素があります。それがこの時期に限って境内に設置される『茅の輪』です。こちらは古事記や日本書紀ではなく、同時期に各地で編纂された風土記の中の『備後国風土記』の『蘇民将来』という説話に由来します。この説話には、旅人姿のスサノオに宿を提供した「蘇民」と呼ばれる存在が、茅で作った輪を腰に付けて疫病を免れたという古い逸話が残っています。この部分がいつの時代からか参照されるようになり、夏越の祓で茅の輪を境内に設置して、参拝者は八の字に三度くぐることで厄災を避けるという現在に繋がる習俗の原型が成立したのです。

一方で、この習俗は古代から現在まで持続的に継承されてきたわけではありません。実は長期間に渡って断絶していた歴史があったのですが、その要因が仏教の隆盛です。平安末期から中世にかけて、仏教勢力の台頭と戦乱が頻発したことにより、神道の古式に基づく宮中祭祀が重視されなくなり、夏越の祓の皇室側の儀式であった『大祓』が途絶えます。この時代は朝廷の政治的正統性が激しく揺らいだ影響から、皇位継承者が天皇として即位する最重要の儀礼である『大嘗祭』、さらには天皇が年に一度霊力を回復する『新嘗祭』も縮小を余儀なくされ、後にほぼ断絶しています。

ここで朝廷側に強く由来していた祭祀の儀式・儀礼が、個人的には宮中から外に流れて存続をはかった結果、民間の村落共同体次元で継承されたと洞察しています。やがて仏教勢力が衰退する江戸時代中期頃に入ると、今度は国学の勃興、さらに幕末に至る水戸学を経由した尊王攘夷運動が高まる過程で、「神道」の再評価と復古が急速に促進されていき、明治維新後に樹立した新政府は神道を国家アイデンティティの基軸に据える新たな体制を形成します。これにより古来の大嘗祭・新嘗祭の古式復元がようやく実行されて今日に至るのですが、ここに並行して『大祓』が全国規模で統一祭式として国家的に整備されていった点も見逃せません。つまり、日本が統一国家としての形を整えていくために必要不可欠だった一つの要素が、祭式の統一だったという点です。夏越の祓もこの転換点から影響を受けており、現在の全国ほぼ同日に行われる土台が築かれることになりました。

ちなみに、一応ここでは夏越の祓の複雑な起源を示すために天皇の大嘗祭・新嘗祭を参照していますが、性質が異なることについても最後に簡潔に触れておきます。夏越の祓が「穢れのリセット」であるのに対して、皇位継承者が天皇として即位する時に一度だけ行う大嘗祭は「霊力の同化」、天皇として毎年11月に行う新嘗祭は「霊力のチャージ」です。

大嘗祭は皇位継承者が清めた心身で『空(くう)』になった器に、『神穀(しんこく)』の霊を取り込み、皇祖神・アマテラスと同化して『スメラミコト(天皇)』として生まれ変わる儀式です。そこで登場した天皇は霊力を活用して国民を治めるため、その衰退する霊力を回復するために、年に一度は新嘗祭が行われて霊力を満たします(充霊)。天皇に限らず、私が考える日本人にとって最重要なことは『霊力の持続的充溢』です。無論、この天皇に関わる祭礼を利用して、近代以降の統一国家樹立に関連して、国家・共同体・個人の生命エネルギーが天皇のもとで循環するという独自のイデオロギーが成立し、日本の年中行事体系を貫く要因となったことは事実ですが、ここも多面的に見る必要があります。

ここまで簡潔に基礎を見てきたところで、明日にでも私が撮影した写真を用いて京都の夏越の祓についてもう少し詳細に見ていくことにします。