東アジアの分岐と統治のかたち:日本と中国Divided East Asia and Governance Models in China and Japan
日本に暮らしていると、かつては多くの分野で世界を先行する位置に立っていた日本が、どうして短い期間でここまで衰退したのだろうかと感じることが多々あります。私は1991年生まれなので、ちょうど日本のバブル経済がピークに達した時代に生まれた世代です。そのため、今日までの34年の生涯を振り返っても理解できるのですが、まさに現代日本の栄枯盛衰を全て体験している世代に思えます。
自身が生きている時代を考察することほど難解なものはありませんが、私自身の記憶を遡っても、かつての日本人はかなりエネルギッシュで、それなりに自由を謳歌しており、経済的にも豊かでした。しかし、ある時代以降に強固な日本式システムに亀裂が入り、そこから一気に転落して今日に至ります。私自身の経験でも、それはバブル経済崩壊から連なる2011年の東日本大震災だったと思います。そこから14年が経ちましたが、現在の日本はかつての面影をなくして気力を失い、自由は存在せず、経済的にも貧困国へ年々転落しており、私や周囲の日本人も日本人の貧困化を実感して驚いています。
一般論で考えると、通常はこうした境地に国家が陥ると大きな社会変動が生じるものです。しかし、なぜか日本では社会変動が生じることはなく、むしろ大きな二極化もなく、全体的に衰退している上、国家統治としても完全に不全状態でありながら、なぜか一億人を超える国民統治は高度に機能し続けています。これは単純に超高齢化社会の影響だけとは言い難く、社会の底に流れる精神の型が関与しているように思えます。というのも、歴史的に日本と関係が最も深い中国は、対照的に現代の国家統治に先端テクノロジーをどの国よりも積極的に導入しており、良し悪しの議論を脇に置いて考えるならば、なぜ日本はこの潮流に至らなかったのだろうかと考えずにはいられないからです。
この点を私は『先端テクノロジーによる国民統治を不要とする日本』と位置付けて私考を続けているのですが、その奇妙な統治の鍵を精神性に見ています。つまり別の視方をすれば、国の規模や歴史の重なり方によって、大きな社会を保つ仕組みが異なる形に育ったということです。中国は巨大な国家のシステムを維持するために先端テクノロジーを駆使する道を選び、日本は社会の内側に流れる精神によって秩序を保ってきました。この構図を『先端テクノロジーによる国民統治を不要とする日本』と、『先端テクノロジーによる国民統治を必要とする中国』として捉えると、東アジアにおいて分岐した大きな二つの流れが生まれていることが見えてきます。逆に言えば、統治を支える力が精神に宿るのか、技術に宿るのかという違いがここに現れており、ここが私の考えたい要点です。
なぜならば、日本の現代統治においても強く作用し続けているのは、中国に由来する儒教の一種・朱子学だからです。江戸時代の始まりとともに、徳川幕府は林羅山ら朱子学者を積極的に登用し、主君への忠義や上下の秩序を重んじる倫理観を体系化して統治システムに組み込みます。庶民レベルでも、幕府は5戸を1組として連帯責任を課し、年貢納入や犯罪防止に当たらせていたのですが、これは『相互扶助』ではなく、江戸時代の『相互監視』システムです。ここに関与してくるのが共同体内での『同調圧力』です。この同調圧力が後にシステム化したことで、上下関係に背かず、周囲に合わせることが社会の常態となります。これを伝統概念の『和』として美化し続けてきたのが近代史です。
また朱子学を統治システムに転用した根源も、かつての中国にありました。そもそも朱子学は孔子の『論語』とは異なる儒教哲学を有する特異な学派であり、中国の皇帝たちに用いられて最高の統治哲学へと昇華した歴史を持ちます。この点を次世代のシステム樹立を画策していた徳川家康を含めた為政者たちが継承し、自らの権力を正当化、さらには絶対化するために中国に倣って利用し始めたのが日本です。つまり朱子学とは、孔子の説いた儒教の精神とは全く別である点に注意が要されます。基本的に日本の儒教と言えば、圧倒的な影響力を誇ったのは孔子ではなく朱子学です。
この観点から見ると、朱子学の絶大な効果は既に中国と日本が歴史的に証明している通り、国民統治において最も優れた体制哲学だと言えます。朱子学が根付いたからこそ、江戸時代の徳川幕府は260年も続いたからです。そして江戸時代後期の時点で幕府による統治は不全となっていたにも関わらず、大きな社会変動は起きず、結果的に1868年の明治維新が起きるまでシステムは堅持されました。この歴史が現在の日本に酷似しているように私は感じており、今後、似たような出来事が繰り返されると考えています。
そして重要なことは、明治維新が起きて新政府が樹立しても、徳川家の築いた強固な統治システムは近代国家の国民管理の観点で都合が良かったことから、新政府で権力を獲得した長州藩出身の山縣有朋の主導のもとで、強固な官僚制度として引き継がれたことです。つまり日本の官僚制国家の源流には、西洋の制度の取り入れに重なって、江戸時代の朱子学が流れているのであって、この点が儒教圏と呼ばれる東アジア特有の文化になっています。東アジアの国家の成り立ちは、西洋の枠組みとは別の文脈を併せて見ることで、はじめて立体的に見えてきます。
そして江戸時代の朱子学から明治時代の官僚制への流れは、第二次世界大戦の国家総動員体制による国民統合へと一旦は帰結します。例えば『隣組』や『大政翼賛会』などの下部組織は全国各地に浸透したのですが、そこでは住民同士が互いを監視・報告し合う社会が形成されました。例えば隣組では、戦争批判を口にする者がいれば住民が憲兵や特高警察に密告し、それを『国のため、全体のため』に行うことは通例として美化されました。また大政翼賛会は様々なプロパガンダを駆使して人々の戦争に対する自発的協力を促し、個人の自由を犠牲にすることを美徳としました。こうした動員の仕組みは、江戸時代から続く相互監視と上下の秩序という土台の上に成り立っていました。
こうして戦時中に培われた「国のため」に個を犠牲にする精神、そして地域での相互監視と同調圧力は、敗戦後も社会意識に痕跡を残しましたが、ここにも朱子学の影響は発見されずに継承されています。戦後は民主化が進められたものの、制度の上では大きく変わっても、実質的にはシステムの完全な刷新は起こりませんでした。表面的には大きく変わったように見えても、内部の秩序意識は変わらずに受け継がれていたため、後のバブル経済崩壊と共に一度消えたように見えた旧体制が復古したのです。この背景には、長年にわたって培われた秩序順守の朱子学に由来する精神である精神の層があり、これは容易には消えず、現在まで社会の基層に流れ続けています。
つまり、朱子学を通じた日本の洞察こそが最大の鍵となりますが、これは現代日本も同じです。歴史的経緯を経て形作られた日本の規範意識の基本構造は、「権威に逆らわず、周囲と『和』を乱さない」ことを重んじるものです。現代日本では、中国のように最先端テクノロジーによる露骨な国民監視システムは導入されていないと冒頭で触れましたが、それでも社会は大きな混乱もなく安定しています。これは国家が先端テクノロジーで国民を一元管理しなくても、人々が互いを見守り、個人の行動を整え合う作用が高度に働いているからです。この仕組みは歴史に由来する精神と、この土地の成り立ちに根ざしているため、ほかの土地へそのまま移すことはできません。
何しろこの同調圧力という、日本社会が歴史的に育ててきた作用は、一億人規模になっても機能することが二十世紀を通じて示されたことから、統治の側が多くの予算を投じなくても、社会の秩序が保たれてきたからです。ちなみに同じ儒教圏の韓国で社会の大きな動きが起きるのは、1997年のアジア通貨危機で国家財政破綻を経験しているからです。この時に旧体制が消失しているため、現在では東アジアの中では唯一社会システムの刷新を可能としています。
ただし、既に日本の堅牢なシステムも瓦解を始めています。ですが日本は他国とは異なり、社会の新陳代謝に速度がないことから、停滞しているように見える社会情勢はまだしばらくは続くことが予想されます。何度か指摘しているように、これを打破する原動力は地震大国の日本らしく、大都市圏を襲う巨大地震です。つまり視方を変えれば、本当に日本の社会変革を考える僅かな人々にとって、地震は一時的に必要なグレートリセットであり、数世紀後に今の時代を振り返った時、次に起きる地震がトリガーになったと見られるようになるでしょう。
では一体、統治の観点で袂を分けた日本と中国は、今後お互いにどの未来に進んでいくのでしょうか?中国は日本の経験を真横で見ながら学び、同じ道を踏まないように巧みに国家方針を決めています。ただし、中国も既に高齢化社会に足を踏み入れており、バブル経済の崩壊の影響によって大きな調整局面にあります。まるで現代中国の姿は、日本の1990年代後半の様相を見ているようですが、そこを誰よりも理解している中国は何とか世界の工場からの脱却を図っており、1990年代後半から2000年代前半の日本同様に、コンテンツの輸出(ソフトパワー)へと注力しています。その最初の象徴は、現在のLABUBUの大流行でしょう。
世界各地が混乱に陥っている現在、東アジアは同じ儒教の影響下にありながら、既に未来を大きく分裂させているのです。単に貿易戦争やテクノロジーによる管理社会といった一面だけから中国を見ては、本質を見誤ります。それが中国と最も長い歴史的関係を有してきた日本に生きる者として思うことです。