馬はいつ日本に来たのかWhen Did Horses Arrive in Japan?
戦国時代の侍と馬の関係が『Shogun』などの人気と共にあらためて注目される中、日本には古くから馬が存在したという印象を持つ人も多いかもしれません。しかし、現在の学説では、馬は古代日本の在来動物ではなく、外国から渡来人とともに伝来した動物であると考えられています。では、日本に馬はいつ伝わり、どのように定着していったのでしょうか。
現在、先史時代に相当する日本の縄文時代や弥生時代には、馬が存在していた確かな証拠は見つかっていません。ただし、同時に太古の馬の化石や歯が発見されている例も僅かにあることから、この問題は未だ解決には至っていません。特に約2万8千年前の更新世の地層から、小型の馬の歯が発見されたことで大きな話題となりました。これは氷河期に地続きだったユーラシア大陸から日本列島に渡り、生息していた馬が存在した可能性を示唆しているのですが、現在ではこの最古の馬は早い段階で絶滅しており、縄文時代以降には存在しなかったと考えられています。
そして、日本の馬に関する最古の文献記録は、日本側ではなく中国側に存在します。これは当時の日本には文字文化がなかったからですが、3世紀頃の日本について触れた貴重な資料である『魏志倭人伝』によると、日本に派遣された魏の使者は「日本に馬は存在しない」と明記しています。ちなみにこの文献では、牛も存在していないことが記されています。
ただ、その後の千年以上を通じて日本人と馬には深い関係があったことから、この記録は局所的な地域しか調査しておらず、古代日本全体に馬が存在しなかったことにはならないという反論も二十世紀には根強く起こりました。しかし、この資料の信憑性は、まず考古学から補強されていきます。
二十世紀を通じて考古学者は各地で調査を行いましたが、これまで縄文時代や弥生時代の遺跡から、馬が日本に存在した確実な証拠を示す痕跡は見つかっていません 。実際、私も全国各地の縄文遺跡や弥生遺跡、さらには博物館などを来訪してきましたが、馬の痕跡は見つかりませんでした。
さらに二十世紀の考古学的成果を経て、二十一世紀に入ると、DNAによる系統解析技術の発展により、日本の在来馬は先史時代には存在しなかった可能性が裏付けられています。では一体、馬はいつ頃から日本に存在するようになったのでしょうか?それが謎多き5世紀です。
まず、馬の存在が定かではない弥生時代を終えて、新たな古墳時代に入ると状況が一変します。この時代の古墳や遺跡からは、馬の骨や馬具が大量に出土し始めるのです。これにより、古墳時代に入って以降、これまで存在しなかった馬が日本各地に登場し、一気に拡散したことが明らかになっています 。特に古墳の副葬品として馬具が4世紀後半から5世紀初頭頃に出現し始めており、5世紀を通じて急増していることが明らかとなっています 。馬具自体は全国1200箇所以上の遺跡から出土していますが、中でも4分の1以上を朝鮮半島に近い九州地域が占めており、続いて関東、近畿、中国地方となっています。
さらに5世紀末になると、各地の王の墳墓である古墳の周りに並べられた「埴輪」の中には馬を模したものが多く作られるようになり、6世紀に入ると「馬形埴輪」が各地の古墳に並べられるようになります。馬形埴輪の出土例は全国300箇所ほどに見られる一般的なものですが、こちらは半分以上を関東が占めており、続いて近畿、九州と続きます。これらの中国側の史書と学術的証拠から見ると、日本では5世紀頃に大陸・半島を経由して馬が伝わり、それ以降に本格的な馬の飼育が始まったことが理解できます。
日本最古の文書である『日本書紀』(720年成立)では、3世紀に天皇の皇后であった「おきながたらしひめ」(神功皇后)なる人物が朝鮮半島へ進出した際、古代朝鮮の新羅の王が馬を献上したという記述があります。ただ神功皇后は長らく実在が疑われており、伝説上の人物だと捉える視座が現状では強いため、ほとんど参考にされていません。
それを除けば、馬は日本書紀には5世紀後半に登場しており、この時点で馬は朝廷に飼育されていることが記されています。さらに554年の記録には同盟関係にあった百済(朝鮮半島の一部)との会談において、日本側は百済に「援軍1,000人と馬100匹を送る」と約束したことが記録されています。驚くべきことに、たった1世紀程度で、馬を他国に輸出できるほど増加していたということです。また、6世紀に入ると神道の神事に馬が使用された記載があるのですが、この神事は現在も「流鏑馬」として続いており、かなり古い伝統文化の一つといえます。
こうした動きが一段と加速したのが、8世紀です。日本で中央集権体制の基礎が整うこの時代になると、中国の影響を強く受けていた朝廷は、軍事目的で馬を戦に使用するために飼育・管理する専門の役職を定めています。これは当時の朝廷があった近畿に限らず、近隣や関東地域にまで広がっており、718年には東北地方の部族から朝廷に馬が献上されています。この時代が基礎となり、やがて馬は侍の時代に結びついていきます。
このような古代日本史の基礎背景から、馬は古代日本の在来種ではなく、特定の時代に渡来人と共に到来した動物だという認識が現在では一般的です。すると、縄文や弥生の暮らしを営んできた人々は、突如4-5世紀にかけて、馬に乗って現れる新たな人々の姿を目の当たりにし、大きな衝撃を受けたと考えられます。
そして事実、この列島の暮らしは、これまで見たことのない姿で現れた新たな人々によって、大きく変わっていったことが徐々に明らかとなっています。これが古墳時代を形づくる新たな力ですが、その特徴はそれまでの日本に存在しなかった軍事面での「馬」と「鉄」の使用であり、「馬」も「鉄」文化も持たなかった縄文や弥生の暮らしの仕組みでは、対抗が難しかったのです。
謎多き古代日本史の大変動は、この古墳時代を調査することによって初めて明らかとなります。一体、彼らは何を見たのでしょうか?今後も、その辺りを探求していきます。