鳥取の民藝と吉田璋也Discovering Mingei in Tottori: The Living Legacy of Shoya Yoshida
かつて柳宗悦(1889-1961)が提唱した『民藝』。この民藝運動が全国各地に影響を及ぼした結果、各地で柳と交流を持ちながら、独自に故郷の民藝を収集する人々が登場しました。というのも、民藝は基本的に地方の集落の人々の歴史的生活から生まれた工芸品であり、柳のように東京で活動していた人物ではアクセスできない民藝が多々存在したからです。
中でも、民藝に関心がある人にお勧めしたい地域が鳥取県です。現在、大規模な民藝の博物館は東京にある日本民藝館ですが、残念ながら展示品を見るだけで実際に使用することはできません。本来、民藝は人々が暮らす土地の風土などの影響を受けて独自に発展してきましたが、実際に使用することがあって初めて民藝の本質が理解できます。
この民藝運動の渦中にあって、鳥取生まれの医師・吉田璋也(1898-1972)が大きな功績を残します。吉田は医学生時代に柳の民藝運動に共感して活動を開始し、民藝の美を日常生活に取り入れる試行錯誤を行います。自ら開業したクリニックにも収集した民藝を存分に取り込む空間づくりを行いましたが、彼の功績として重要なのは、人々に民藝を「観賞・購入・使用」という三つの機会を作るべく奔走したことです。その環境づくりには、30年もの歳月を要しました。
1932年に『購入』として「鳥取たくみ工芸店」を開業して以降、続いて1949年に『観賞』としてクリニックの向かいに「鳥取民藝美術館」を会館すると、さらに1962年には『使用』として民藝の器で鳥取和牛を使った料理を嗜むことのできる「たくみ割烹店」を開店します。
こうして民藝を多くの日本人に実際に接する素晴らしい環境を作った吉田の尽力によって、日本で唯一、今も民藝を本当に楽しめる独自の場所が鳥取市に生まれました。民藝を展示する施設自体は全国に幾つか存在しますが、こうした意欲的な民藝を楽しむ環境は皆無であり、非常に素晴らしい経験をもたらします。
民藝は生活で使用されていた工芸品などを全体的に取り扱いますが、中でも鳥取県の優れた民藝と位置付けられているものの一つが『絣』です。絣は着物として捉えられる傾向が日本でも強いのですが、実際には『織物の技法』の一つです。特徴は、前もって染め上げた経糸と緯糸、またはその両方を使用して織りあげ、文様を表す特殊な技法にあります。
あらかじめ染め分けた絣糸を経糸に使用する場合には『経絣』、緯糸に使用する場合には『緯絣』、経糸・緯糸の両方に使用する場合には『経緯絣』と呼びます。つまり、織った後に染色したものは絣ではないということです。素材は主に絹、木綿、麻が産地に応じて使用されます。
この技法自体は世界各地に広がっていますが、相当高度な技術であり、織り糸を染める時に出来上がる模様をイメージして、染めたくないところを染色できないようにしなければなりません。デザインに応じて染める・染めないを決定する上、一本でも織り方が上手くいかなければ崩れるほど繊細な技術です。
絣は、江戸時代後期に各地で量産化が推奨されたことから、日本全国には100種類以上も存在すると言われています。ただし、産地の多くは西日本に多く見られる特徴があります。最も有名な絣は、愛媛の『伊予絣』、福岡の『久留米絣』、広島の『備後絣』ですが、さらに群馬の『伊勢崎絣』、愛知の『佐々絣』、鹿児島の『薩摩絣』、東京の『武蔵絣』、沖縄の『琉球絣』、奈良の『大和絣』、滋賀の『近江絣』などがあります。
この西日本に集中的に存在している理由として考えられているのが、絣の日本に伝来したルートです。現在知られている定説では、絣は起源をインドに有しており、そこからタイやラオスなど東南アジアを経由して南方ルートで沖縄に伝来し、その後、九州の久留米に伝わったことで大きく発展し、そこから日本各地に広がっていったという説です。
ただし、古代日本から絣の原型が存在したことは知られています。実際に絣という呼称が定着したのが江戸時代以降ということですが、江戸時代は厳しい衣服統制が行われていたため、各地の人々は工夫を凝らして絣の美を高めていきました。
鳥取では弓浜絣、倉吉絣の二つが知られており、さらに隣の島根には広瀬絣があります。今回の旅で私は弓浜絣と広瀬絣を見てきたのですが、弓浜絣は江戸時代中頃から明治時代初期に生産のピークを迎えて以降、現在では生産者の大幅な減少によって将来的な存続が危ぶまれています。
また、弓浜絣が生産されている弓浜という地域は、古くから高品質な綿と藍の産地として知られており、それらが組み合わさって見事な絣文化を形成してきました。生産拡大が行われる以前には、基本的に農家の女性が家族のために織っていたと考えられています。
柳宗悦の民藝運動が始まって既に100年以上の歳月が経ち、いよいよ行きすぎた産業化社会への反動が日本人にも高まる中で、改めて見直され始めている民藝を用いた生活。柳や吉田のような人々がいなければ、とっくに失われていたであろう全国各地の民藝品。民藝は今こそ、わたしたちが失った生活の大切さを教えているように思えてなりません。