オウム真理教事件とスピリチュアリティの否定The Aum Shinrikyo Incident and the Rejection of Spirituality
今回は、戦後をかけて高まってきた縄文のスピリチュアリティへの関心が急速に衰退した80-90年代の謎を、一般的には語られない日本社会のタブーから考察します。そこで起きた大事件をきっかけに、スピリチュアリティに対する極端な否定と嫌悪が起きたことで、人々の縄文文化への関心が衰退したからです。
以前の記事で示したように、興味深いことに1986年に行われた展覧会”Jomon Dogu Exhibition”以降、日本人の縄文時代に対する関心が急速に低下します。そこから30年以上の歳月を経た2018年まで、大規模な縄文展覧会は行われなくなります。
では戦後を通じて育まれてきた縄文時代への関心に対して、一体、何が起きたのでしょうか? ここには、今では考えられない当時の日本の時代状況が深く関係しています。まず当時の重要な時代背景としては、1985年のプラザ合意を契機とするバブル経済期に日本が突入したことが関係します。バブル経済期の日本人は実利的な物質崇拝が過度に高まったため、縄文文化の持つ神秘性やスピリチュアリティーを軽視し、自らの欲望を満たすことに関心が向けられます。
そして、この行き過ぎた欲望追求の結果、ある存在が勃興する歪な社会構造を生み出すことになります。それがカルト宗教です。日本人全体がバブル経済に熱狂する全盛期の1980年代後半から1990年代前半は、人間性の探究が極端に軽視・軽蔑されたため、そこに疑問を抱いた人々が反動的にカルト宗教に精神的救済を求めます。
こうした時代背景から必然的に登場したのが、1987年の麻原彰晃(本名: 松本智津夫)を教祖とするオウム真理教です。オウム真理教の特徴としては、従来の貧困層を中心に集めたカルト教団ではなく、高学歴で社会的に優位な立場にある若者がこぞって入信したことから、当時は大きな話題となりました。麻原彰晃は「現代人の魂を救済することを大義」に掲げて登場し、自ら積極的にメディアに出演するなど布教を拡大します。設立当初はヨーガを学ぶ小さなサークルに過ぎませんでしたが、超能力者を自称するカリスマ指導者の手腕によって、信者は急速に拡大します。
オウム真理教は多額の資金を調達し、多くを設備投資と専門技術の獲得に投資して、猛毒の神経ガスのサリンやVX、さらにはLSDや覚醒剤の製造までを手がけます。さらにはロシアから武器を調達し、オーストラリアではウラン鉱入手を画策するなど、活動は多岐に及びました。
そして徐々に1989年以降には過激な性格を強めて、日本社会を揺るがす大事件を次々と起こします。
また1991年にソ連が崩壊すると、ロシア社会が混乱に陥り、人々が精神的な帰属先を求める兆候が生まれたため、ロシアに進出して積極的な布教活動を行ないます。その結果、オウム真理教の信者数は、一時はロシア人信者数だけで日本人信者数を上回る3万人に達しました。
この時点で既にオウム真理教の名前は広く日本人に知られていましたが、特に1995年1月17日にバブル経済が崩壊する象徴的な予兆となった阪神淡路大震災が起きたことで、日本人の多くは態度を一変させます。10年ほどの熱狂から目を覚まし、バブル経済による好景気が虚像であった現実に行き当たったのです。しかし、その過程で既に大勢が我を見失っていたことから、日本人は反動的に失った精神性を求めて続々とオウム真理教に入信します。こうして教祖の麻原彰晃の力は肥大化し、大勢が洗脳されていきます。阪神淡路大震災後の同年3月頃には、日本国内で15,000人もの信者を集めて最盛期を迎えます。
その最盛期にオウム真理教が起こした大事件が、1995年3月20日の地下鉄サリン事件です。これは大都市・東京の労働者が出勤する午前8時に複数の地下鉄車内で同時にサリンを散布し、乗客・駅員ら14名が死亡、約6,300人もの負傷者を出したテロ事件です。
バブル経済の影とも言われた日本社会の暗部が露呈したカルト教団によるテロ事件は、その後のメディアの過剰報道に煽りを受けて、国家規模のスピリチュアリティへの強烈な否定へと向かいます。こうして麻原彰晃率いるオウム真理教の起こした複数の事件によって、日本人に「スピリチュアリティ=危険」という一般的な認識が広まり、「スピリチュアリティ=テロ事件」という誤った認識が浸透します。
その影響は広範囲に及びました。代表的なところでは、現在では広く行われているヨーガへの否定などですが、この誤った認識の結果、実は戦後を通じて育まれてきた縄文文化のスピリチュアリティへの探求が閉ざされていったのです。一見、1990年代のカルト教団のテロ事件と、太古の縄文文化のスピリチュアリティーは無関係に思えるでしょうが、当時の日本人にとっては極めて深刻な問題でした。
このように、一つのカルト教団率いる教祖が引き起こした事件が、縄文時代への人々の関心を衰退させる大きな原因となり、二十世紀の縄文ブームはこの時に終息します。そこから長い冬の時代を迎えた縄文研究は、地方で散見的に展覧会を行う規模に変様し、東京などの大都市圏で再び注目が集まることはありませんでした。
ですが、そこから20数年を経た時、今度は別の大きな出来事をきっかけに、縄文文化への注目が再び復古する新たな時代を迎えます。その出来事こそが、2011年3月11日の東日本大震災に伴う福島原発事故です。
それまで近代科学が万能で人々の未来を良くすると信じられてきましたが、これらが全て幻想だったことを日本人の誰もが経験した瞬間でした。戦後史を通じて無我夢中で働き、作り上げてきた近代科学を結集した原子力発電所が、無惨にも人為ではなく自然災害によって爆発したからです。この点は地震大国として知られる日本人でなければ中々実感が持ち難いでしょうが、日本人は常に大きな地震を時代の転換機と捉える特徴的な性格があります。
大きく見ると、1995年の阪神淡路大震災はバブル経済の終焉、2011年の東日本大震災は近代科学の終焉です。
次回は、この象徴的な出来事を契機として、来たる21世紀の縄文ブームを迎える前に、20世紀の問題を反省し、細分化された考古学の学術研究を統合する目的で、これまでの研究が初めて広範囲に集成された2010年代の記念すべき書籍シリーズについて見ていきます。