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尾道を訪ねてRevisiting Onomichi: Echoes of a Fading Port Town

久しぶりに、広島県の尾道に来ています。荒い海に囲まれた日本列島ですが、冬でも比較的温暖な瀬戸内海に面し、独特の気候環境にある尾道は、今も古い日本の港町が残る地域です。本州の広島県と四国の愛媛県を結ぶ全長約60kmの「瀬戸内しまなみ街道」の本土側玄関口である尾道は、現在ではサイクリングを楽しむ人々には知られた地域ですが、静かで美しい景観に限らず、かつて日本映画の代表的な作品のロケ地になったことで知られています。

それが小津安二郎の名作『東京物語』(1953年)です。東京物語は戦後日本の尾道と東京を舞台にしながら、尾道で暮らす老夫婦と東京で働く子供たちの関係を見事に描いた一作です。『東京物語』では、尾道特有の地形である山の斜面に立ち並ぶ町並みや、瀬戸内海の向島などを望むカット、さらには町中を走る汽車の光景などが撮影されており、船の汽笛が静かな港町に響く美しい映像作品でもあります。

この地域の特徴としては、昔から造船業が盛んで、特に戦前から今日まで日立造船の造船工場がある因島は、大きく発展してきました。元々は1896年に因島生まれの人々が設立した地元と造船所をルーツとし、1904年の日露戦争における戦争特需で好況を呈しますが、戦争が終結すると一転して不況に陥り1908年には閉鎖した背景があります。すると1911年に大阪鉄工所という大阪の企業が因島の造船業に目をつけて進出し、閉鎖した造船工場を買収して新たな工場を立ち上げます。

こうして第一次世界大戦期には、この因島の造船所が製造する造船量が全国一位となり、大きく繁栄の時代を迎えます。造船業は景気や世界情勢に左右されることから、その後も発展と衰退を繰り返しますが、ここで満州事変から第二次世界大戦の勃発によって息を吹き返します。こうして戦時中の1943年、大阪鉄工所は日立造船へと社名を変更します。この後も日立造船は発展していきますが、1980年代後半頃から数千人規模の人員削減を進めたことで、「島が沈む(因島が滅亡する)」とまで言われるほど絶大な影響力を持ちました。事実上、瀬戸内地域の経済は造船業とイコールだったと言えます。

2000年代に入ると、中国の経済発展の恩恵を受けて日本で造船ブームが起こりますが、日立造船は徐々に新造船部門から撤退し、ついに因島で新造船を行わなくなります。こうして昨年2024年10月、80年以上の歴史を有する日立造船が社名を変更して大きな話題となりました。

また尾道近郊の向島でも1906年に造船業が開始され、さらに現在では塩業の島として有名な伯方島も元々は造船業が盛んな島でした。このように瀬戸内海の離島は造船業と縁の深い島が多いのです。尾道には多くの船舶が今も停船しており、向島などの造船工場も眺めることができます。静かな町に船の音が響く辺りは、まだ『東京物語』の雰囲気が残っています。

そしてこの地域で造船業が発展した歴史的な理由は、もう一つあります。それが海賊の存在です。瀬戸内海の島々には、かつて「村上水軍」と呼ばれた村上家の一団が覇権を握っていました。主に因島、来島、能島に代表的な海賊が存在しており、彼らは同族にルーツを持つものの、自律的に活動していました。特に中国や朝鮮から九州北部に入る物資を、当時の都であった京都、大阪、奈良へ運ぶには、どうしても瀬戸内海を通らなければなりません。その船を海賊は奇襲し、財力をつけて島に城を構えていました。当時の京都に居住する天皇や貴族にとっては、この海路を支配する海賊を味方につけることが極めて重要でした。

そのため、海賊との戦が幾度も起きており、まだ貴族が力を持っていた時代に台頭してきた京都の武士などは、頻繁に海賊を相手とする戦に駆り出されています。ですが尾道近郊は、こうした興味深い歴史を有しながらも、戦前には大型戦艦など軍艦造船の場所が広島県東部の呉市に移ったことで、大きな転換点を迎えます。その歴史を終えて、衰退に向かう尾道の光景を撮影したのが『東京物語』です。

当時の瀬戸内海の島々は、現在のように橋が繋がっていなかったことから、本土との接触は極めて限定的でした。しかし、産業力を有する島ほど一気に発展を遂げ、近隣の島との格差が激しくなり始めたことから、一つの島に他の島の若者が労働力として移動する事態が起きます。さらに追い討ちをかけるように、戦後になると島の若者たちは本土の労働力確保の名目で集団就職に出されて島を離れてしまいます。その後、多くの若者は故郷に戻らず、本土で生活して家庭を持ったため、島の生活はさらに苦しくなります。

今回の旅でも島民に話を聞いていると、衰退度合いは深刻で、あと2年もすればほとんどの島の農業などは壊滅すると話しています。既に造船業も農業も日本では魅力的な仕事ではないことから、瀬戸内地域の衰退は驚く速度で進行しています。

本州の尾道から四国の今治を結ぶ「しまなみ街道」は、着工から31年を経た2006年に全線開通されました。しかし、開通に思いの外時間がかかったことから島の衰退速度には間に合わず、超高齢化社会が各島ごとに存在する現代日本の問題の縮図となってしまっています。この地域を巡ると、70代以上の老人以外とほとんど出会いません。しかも全ての島に橋がかかったわけではなく、多くの島は取り残されてしまい、それらの島では状況が一層悪いのが現状です。

造船業に固執して他の産業発展に注力せず、結果的に多くの若者が故郷を離れてしまった戦後日本の瀬戸内地域。皮肉なことに、時代のチャンスを掴み損ねて衰退する尾道だからこそ、今も70年以上も前の『東京物語』の景色が残っていると言えるでしょう。

瀬戸内海の潮風を浴びて、尾道の夕景から夜景を眺めながら『東京物語』を見ていると、過去を懐かしむようで感慨深くもあり、日本の未来に複雑な思いがします。