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古事記の信憑性と欠史八代The Legitimacy of the Kojiki: Japan's Oldest Text and the Eight Undocumented Monarchs

天皇の万世一系説に大きな打撃を与えている「欠史八代」説と関連する、現存最古の書物として知られる『古事記』の成立における歴史の信憑性が揺らぎ始めていることについてです。

「紀元前660年」に、現在の奈良県南部の橿原市で初めて即位したと伝わる神武天皇。仮に神武を第一代の天皇と見るならば、当然、万世一系説が正当となるためには、それ以降のすべての天皇の実在が系列的に確認されなければなりません。

しかし、早くも神武以降の第二代から第9代までの天皇が、実在しなかったと見る動きが歴史学から指摘されています。一般的には古事記(712年成立)と日本書紀(720年成立)では、神武が崩御して以降、次のような系譜が継承されたと記されています(即位年代などは古代は全て不明)。

第二代: 綏靖天皇

第三代: 安寧天皇

第四代: 懿徳天皇

第五代: 孝昭天皇

第六代: 孝安天皇

第七代: 孝霊天皇

第八代: 孝元天皇

第九代: 開化天皇

これら8人の天皇が、歴史学の見地から実在が疑わしいことは以前から頻繁に指摘されており、遥か後世に何者かによって創作され、付加された可能性が高いと言われています。

現状、古事記や日本書紀などの記録や古い伝承等の数々を踏まえると、第十代・崇神天皇の実在は確証されます。事実、奈良県南部には崇神に関わる事績が多く伝わっており、天皇史の中でも、最重要の1人であると位置づけられてきました。

では一体、古事記や日本書紀は、後世の何者かによる単なる創作物に過ぎないのでしょうか? 極端な意見ではそのように見るケースもありますが、ここは注意しなければなりません。

そこで、まずは古事記の正当性を考えてみます。古事記は宮中に腹心を集めて、天武天皇自ら主導して制作された国家プロジェクトに起源を持ちます。天武の即位は673-686年ですが、天武自身も含めて、この時代前後には天皇の皇位継承権をめぐるクーデターが相次いだため、どこまで正確かは不詳です。

そしてこの時に重要なことは、天武はそれらを文字に記し、書物に編纂することを意図的に避け、家臣の1人である稗田阿礼なる人物に「誦習」を徹底させます。

やがて天武が死去してから、彼の皇后だった持統天皇(在位: 690-697)が即位します。続いて天武の子であり、次期天皇と目されていた草壁皇子が若くして死去したため、草壁皇子と天武の兄とされる天智天皇(在位: 668-672)の娘から生まれた文武天皇(在位: 697-707)が暫定的に即位します。

文武の次は、彼の母が即位することになりますが、その人物が日本史に大変重要な影響を与えた元明天皇(在位: 707-715)です。元明天皇がいなければ、古事記も日本書紀も存在しなかったと言えます。

元明は天武時代に古事記の基礎を制作しながらも、たった1人の稗田阿礼の誦習に依存していた現状から、彼が死去すると偉業が失われることを憂います。そこで家臣の太安万侶に命令し、在命していた稗田阿礼の誦習を文字に起こして文書化し、元明のもとに奉納することに決めました。

こうして712年に太安万侶を筆頭とする家臣によって制作された古事記が、元明天皇に奉納されます。元明は同時に、中国の皇帝システムに日本を近づけるため、国家的な歴史書と位置付けて日本書紀の制作を命じており、こちらも720年に奉納させます。

この重要な国家プロジェクトである古事記や日本書紀の制作は、興味深いことに別の重要なプロジェクトに波及します。それが、「風土記」の制作です。

当時、大和朝廷(天皇や貴族が政治を担っていた中枢地であり、現在の奈良県南部)と関係の深かった地方の官僚に命じて、その地域の古い伝承を集めて、同じように書物として後世に残すことを指示しました。この元明の政策がなければ、わたしたちは古代日本史を知ることはできなかったでしょう。

これらは日本書紀の記述によって事実とみなされ、ほとんどの時代の定説として広まってきました。ですが近年、この重要な歴史事実でさえ、再検討すべきではないかと指摘する声が一部の学者から高まっています。

その筆頭格が、東京大学名誉教授の藤井貞和(1942-)です。藤井の父は、民族学の代表格である折口信夫の弟子であり、卓越した神道の歴史学者として知られていました。父の藤井貞文は、特に江戸時代から明治時代の複雑な神道史に精通していたため、藤井貞和は幼少期から深い神道の知見を学びます。

彼が著作活動を活発化させたのは、ちょうど1960年代後半の学生運動が収束した1970年代初頭からです。特に当代随一の「古文」の学識を武器に、処女作として源氏物語を研究した意欲的な書物を発表して注目を浴びます。

自らも詩人として活動しながら学者生活を送りますが、特に日本の「物語」の歴史的な研究に生涯を捧げ、圧倒的な成果を残します。こうして、誰よりも古代日本語に精通し、神話、伝承、物語から詩までを広範に熟知した藤井は、2022年に重要な説を発表します。

それが、長らく日本最古の書物と認識されてきた古事記の重要な「序文」が、後世の何者かによる創作であるという説です。

つまり、前述した元明天皇の命令によって、家臣の太安万侶が稗田阿礼の誦習を文書化したという古事記「序文」への依拠が、一気に崩れ去る可能性が指摘されたのです。

これは一体、日本史にどのような影響を及ぼすのでしょうか?今後、そのあたりも探究していきます。