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失われた生き甲斐と高齢化社会Japan's Lost Ikigai and the Struggles of an Aging Society

日本に限らず先進諸国の現代社会には、共通する問題があると感じます。それは、日々進歩するAIや先端医療をはじめとする驚くべき速度で変化する多くの要因に対応できず、人々は我を見失い、自分が人生で何を果たすかという「使命」を理解し難くなっていることです。これは人間の生命の本質、魂の状態から見ても極めて厄介な問題です。

昨今、日本の伝統的な哲学である"生き甲斐"が西洋で注目を集めているのも、こうした時代状況に多くの人々が行き詰まっている証の一つでしょう。

ただ「生き甲斐」というキーワードは、現代日本人からも完全に失われた過去の哲学であることを理解しなければなりません。実際に自分自身の生き甲斐を理解して、日々を楽しく生きている日本人に出会うことは極めて稀です。

例えば私の父は68歳ですが、まだ自分で会社を経営して毎日働いて活躍しています。しかし父の周囲の同世代の人々の大半は、既に退職しており(日本ではかつて60歳が定年退職でしたが、現在は65歳に引き上げられました)、彼らの話を聞いていると、多くの問題を抱えていることが分かります。

この世代は、第二次世界大戦後の高度経済成長が始まる時代に生まれました。そのため、幼少期から非常に恵まれた生活を享受しており、社会人として活動する頃には、空前のバブル経済(1985-1997)で日本経済が米国の地位を脅かしていた黄金時代です。

今となっては遠い別の国の話に思えますが、かつての日本人は大繁栄を謳歌しており、その時代を生きた人々は強烈な未来への意欲がありました。

そのため、父もそうでしたが毎日朝から晩まで働いていたため、家で父を見ることはほとんどありませんでした。こうした記憶は、私の世代(1990,91年生まれ)にとっては共通するものであり、いかに親世代が仕事に全てを捧げることが普通だったかが分かります。言い換えれば、仕事が「生き甲斐」だったのです。

ですが、このバブル経済は、1985年のプラザ合意を境にした急激な円高と金融の仕組みのなかで、実力以上に膨らんだ経済でした。この時代のジャパンバッシングを覚えている読者もいるでしょう。

そして1991年頃から急速に日本経済が綻び始め、心理的に絶大な影響を与えた1995年の阪神淡路大震災を経て、1997年には象徴的な山一證券が破綻したことでバブル経済は終焉します。これ以降、日本は今日までの30年をかけて極端に疲弊し、かつての活力が失われていきます。

中でも、バブル経済を自分たちの実力と見なして、未来を創造する力を手放した1990年代前後は、世界情勢が大きく変わるターニングポイントでもありました。ソ連崩壊、東西ドイツ統一によって世界規模のグローバリゼーションが始まり、1995年にはWindows95が発表されて、新時代の幕が開けました。

ですが、当時の日本社会の大半は、実態以上に膨らんだ実力を過信していたことから、世界の新たな潮流を短期的な流行に過ぎないと見なし、国家的な「引きこもり」に向かいます。

これが「失われた30年」と日本で呼ばれる疲弊の原因です。そしてこの国家的引きこもり現象は、それまで強靭な意欲をもって働き続けてきた日本人に甚大な影響を及ぼします。

それが「生き甲斐」の国民規模での喪失です。これまで自分たちが何のために、あれほど働いていたのかと自己批判を始め、未来への希望も理想も失い、何のために生まれてきたのかという人生の本質への向き合いを放棄します。

その結果、父のように未だ活力をもって仕事に励む僅かな人々を除いて、退職後に「何をすれば良いか分からない」という人々が大量発生しています。そして実際、彼らは本当に何もせず、ただ死ぬまでの時間潰しに明け暮れています。この人々が日本の未来にとって、どれだけ打撃を与えているかは、誰もが想像することができます。

こうした世代を「生き甲斐を失った世代」と呼ぶならば、彼らは人口動態では日本の圧倒的マジョリティです。つまり、彼らの疲弊が私たちのような日本の若い世代に対して、深刻な影響を与えているのが現在です。

なぜなら、何もせず、しかも現状が変わることを拒む人々がマジョリティであり、彼らの意向が政治の政策に直接的な影響を与えるからです。その結果、未来を創造しようとする若年世代の可能性を潰してきました。これこそが、本当の日本衰退の原因です。

興味深いことに、最近、私はこの世代からアドバイスを求められることが増えてきています。それは自分の「生き甲斐」を持ち、人生の使命を理解して日々を生きている私の姿に、彼らが失った大切なものを見つけているからでしょう。

「生き甲斐」というキャッチーな流行ワードに惑わされず、歴史を再考察し、一体かつての日本人はどのように人生を生きていたかを考える重要性が、年々、西洋のみならず、世界初の超高齢化社会に突入した日本から提示しなければならない責任を強く感じます。

なぜならば、これは近未来の国際問題であり、特に日本同様に高齢化社会へ進む欧州諸国にとって、深刻な事態となるからです。

Japan’s Lost Ikigai and the Struggles of an Aging Society