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侍以前:平安時代の武士の台頭Before the Samurai: The Rise of the Warrior Class in the Heian Period

この記事では、武士(侍)が台頭する要因となった、平安時代(784-12世紀末)の貴族の頽廃についてです。

一般的に武士の台頭は、平安時代末期に、貴族の衰退が決定的となったことが、大きな原因と考えられています。そこで新たに登場し、初の武家政権を樹立したのが、平家です。

平家による政権は、1160年代から1185年にかけて成立しましたが、実はその約100年以上も前から、新時代に向けた萌芽は生まれています。それが、朝廷の貴族として、政権を独裁していた藤原氏の暴政です。

飛鳥時代(593-710)に台頭した藤原氏の祖先は、政治の才覚を発揮し、天皇を手中に収めた藤原不比等(659-720)の躍進と暗躍により、絶対的な地位を築きます。

不比等の没後、彼の4人の子供を通じて、四つに分家し、権力争いを繰り広げます。既に皇室との関係は蜜月であったことから、以降も天皇を表に立て、自らはフィクサーとして暗躍した藤原氏ですが、平安時代になると、露骨に影響力を行使し始めます。

特に、分家した一つである藤原北家は、皇室と婚姻関係を結ぶことによって、政治権力の掌握を画策しています。

こうして、藤原氏による政権掌握の頂点に立ったのが、藤原北家から登場した藤原道長(966-1028)です。彼は、政権掌握の邪魔になる他の氏族を殺害・追放するなどの暴政を行い、独裁的な地位を獲得します。この政治的闘争は、同じ藤原氏の内部でも激化していたため、朝廷の情勢は不安定になり、一気に求心力を失います。

さらに道長には、国を導く指導力も、理想も、団結力もありませんでした。ただ衰退する体制を掌握し、それを維持することだけに固執した彼は、何の理念も持たなかったことから、奢侈に溺れて生活は荒廃します。栄華を極めた道長は、53歳の1018年10月、以下のような歌を詠んでいます。

この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも 無しと思へば

直訳すると、「この世は私のものだ。満月のように欠けたところがないくらい、満ち足りている」となります。実際、道長時代の朝廷行事は、驚くほど祭りが続いています。こうした暴挙が続いたことで、朝廷の財政は悪化します。

時の政治の中心地である朝廷がこの有様だったため、地方の官僚たちの腐敗も深刻化します。その影響を被ったのが、各地の百姓です。

多くの百姓が極貧に陥り、凶作や疫病が発生すると、大量の死者を出し、死体や病人が道端に転がる光景が日常となります。当時、御所の紫宸殿(天皇に関わる儀礼などの正殿)の付近でさえ、死者が散乱していたと伝えられています。

この時、既に中央、地方を含めた藤原政権は、まったく機能していません。そこで百姓の中から血気盛んな若者たちは、次々と故郷を捨てて、山賊や野盗となります。

彼らは、蜂起して国司を襲撃したり、中央に激しく政権交代を迫るなど、日本各地は完全な無法状態に陥ります。そして朝廷は、この無法状態に対して、為す術を持たず、対処もせずに、ひたすら奢侈を続けたのです。

この時、相対的に台頭したのが、古くから土地に根差す土着の氏族でした。中には、藤原氏の政治に嫌気が差し、藤原氏によって中央を追放された氏族や、自ら地方に退いた氏族の末裔も含まれていました。こうして彼らは、藤原氏への反感を共有し、土地の人々の団結を高め、急速に勢力を拡大します。

特に故郷を愛し、人々を大切にする氏族が率いた地域では、氏族と人々の信頼関係が強固であったことから、経済的にも著しい力をつけます。同時に、無法状態の時代ですから、日々、自ら山賊や野盗の襲撃に備えなければなりません。こうして各々が武力を磨いたことから、地方の秩序安定は、彼らに完全に依存するようになっていったのです。

この流れは地方に限らず、都のあった京都の貴族社会にも影響を及ぼします。そして奢侈によって財政難に陥った貴族は、自分自身を護衛できなくなったことから、焦り始めます。その結果、従来までの方針を一変しなければならない状況に追い込まれたのです。

こうして、武力を有する武家集団を平安京近辺に招致して居住させ、朝廷から護衛の権限を与えざるを得なくなったのです。これが、武士が勃興した最大の理由です。

この結果、地方の有力氏族(つまり武家)は、着実に力をつけていき、貴族の圧政に耐えながら、虎視眈々と貴族による政権を転覆する時機を待ち続けたのです。

その政権転覆までには、100年以上の歳月を要しましたが、その象徴的な存在として登場したのが、平清盛(1118-1181)率いる平家と、源頼朝(1147-1199)率いる源氏だったのです。