宇宙人とも呼ばれる役行者:修験道に流れる古代インドの知恵En no Gyoja, Rumored to Be an Extraterrestrial: Ancient Indian Wisdom Flowing Through Shugendo
この記事では、日本史上で最大の謎の人物とされ、熊野古道の開祖でもある役小角(役行者)が、ある遠く離れた国の知恵を授かり、独自の信仰を樹立した背景についてです。
役小角(634-701)は、飛鳥時代(593-710)に暗躍した思想家であり、今も多くの伝説が語り継がれています。その影響力の大きさ、人智を超えた伝説の数々から、「宇宙人だったのではないか」という説まで囁かれている人物です。
日本を訪れた方の中には、熊野古道を参詣したかもしれませんが、この熊野古道を最初に切り開く動きを見せたのが、役小角でした。彼は一般的には仏教の山岳信仰(修行)と、神道の信仰を融合させた、新たな宗教「修験道」の開祖として知られています。ですが、内実はそれほど単純ではありません。
むしろ、当時日本に伝わっていたあらゆる宗教、信仰、秘術、妖術、医術などを融合しながら、独自の宗教観を打ち立てたことに、最大の功績があります。
そのため、役小角や修験道を一言で説明することは、ほとんど不可能です。しかし、今回は理解の第一歩として、彼が確立した修験道における、最も重要な一つの源流を見ていきます。その源流とは、遠く離れたインドに由来します。
奈良県南部から和歌山県にかけて、無数の峰が遥か彼方まで連なる峻厳な熊野山地があります。中でも旅行者に人気があり、熊野古道の終着地の一つとして知られる那智の大滝は、遥か昔の縄文時代から自然崇拝の聖地として、信仰されてきた場所です。
これは別の機会に書きますが、その古い信仰は、島根県の出雲大社近郊に居住していた先住民に由来します。ですが、もともと日本には、「山岳信仰」は存在していません。これは、渡来人によって持ち込まれたものです。
1万年以上に及ぶ縄文時代の自然信仰を経て、4世紀ごろ、ある人物がインドから渡来したことにより、熊野の信仰は大きく変容します。その人物が、「裸形上人」と呼ばれた謎の僧侶です。
日本語で「裸形上人」という呼び名は、個人名を表しておらず、「裸の賢人」という意味合いです。これは、インドの山岳修行僧たちの袈裟を纏った姿を表す表現と考えられます。当時の熊野の人々にとって、このような姿は、見たことがなかったと考えられます。
インドから渡来した裸形上人は、熊野の地に降り立ち、雄大な山脈を見て、故郷のインドを思い出し、那智を理想の地と考えます。そこで、インドで行われていた山岳信仰を、縄文時代から続く日本の自然信仰と融合しながら、独自の宗教観を築いたのです。
この時、彼の渡来に並行して、インダス文明の流れを汲み、南インドやスリランカに受け継がれてきた知恵が、日本にも伝わります。その代表的なものが、インドの伝統医学「アーユルヴェーダ」です。
裸形上人は、インドの険しい山岳地帯での修行や、アーユルヴェーダを基礎とする医術の知識を日本に持ち込み、地域の人々に信仰を広めるとともに、病気を治療する活動も行いました。そして、彼が日本にもたらしたものの一つが、「滝での修行」です。
裸形上人は、土地の人々から信頼を得て、やがて那智の滝の側に「青岸渡寺」を建立します。現在、多くの観光客が訪れる風光明媚なこの寺院は、日本人が建てたものではなく、インドの僧侶によって建立された、最初の寺院だったのです。
当時の政治の中心地は、奈良県南部から大阪にかけて広がっていました。つまり、盆地です。そのため、熊野山地に阻まれた辺境の熊野は、政治的な干渉を受けず、自由に信仰を実践できる恵まれた環境でした。
この熊野で培われた南インド由来の知恵は、日本の縄文時代の信仰と融合し、さらに中国の道教、儒教、仏教、医術などの要素を加えて、独自の宗教思想を育みます。
このこれまでにない新たな思想を継承し、体系的に発展させた人物こそが、役小角であり、修験道なのです。つまり、単なる山岳修行ではありません。
そもそも役小角は、奈良県南部の神道の古い名家に生まれましたが、当時の奈良は仏教が隆盛し始めていたため、幼い頃から仏教に目覚めます。そして、山岳を渡り歩きながら見識と修行を積み、同時に神々を祀るという新しい時代の信仰を打ち立てました。
当時、まだ熊野地域には、裸形上人に始まるインドから渡ってきた人々の流れをくむ人々が居たことは想定できるため、役小角が彼らと交流し、深い知恵を授かったと考えることは不思議ではありません。
日本史上最大の超人とも、宇宙人とも呼ばれる役小角の源流の一つには、興味深いことに、遠く離れた南インドに受け継がれた知恵があったのです。