幕府が見放されたとき:「神風」の亡霊When the Shogunate Was Abandoned: The Specter of the Divine Wind
この記事では、近代日本の到来が始まった時、徳川幕府に対する不信感を強めた人々が、倒幕という軍事クーデターに向かった重要な背景についてです。
幕末に限らず、日本の新時代の始まりには、ある共通のパターンがあります。それは良識者による未来を見据えた警告を無視し、問題を先送りにすることです。
以前、18世紀中期から後期にかけて、日本全国を旅し、いち早く海防の必要性を提唱した林子平(1738-1793)について書きましたが、この子平の警告が現実となり、幕府が極度の混乱に陥るのが、19世紀です。
子平は、長崎でオランダ、中国の商人などと議論を重ねた結果、帝国主義化した西洋の状況を理解します。そして日本に侵略してくる未来を見据え、幕府が大砲や武器を製造し、それらを日本列島の沿岸部に配備する準備を盛んに説きました。しかし、子平の声は、幕府、藩、朝廷の要人からは狂人扱いされ、葬られてしまいます。
ですが歴史は、子平の予見通りに動きました。まず、1806年頃からロシアが樺太へ進出、続いて1824年、イギリスの船員12人が無許可で日本に上陸し、捕らえられる事件がありました。さらに日本近海を欧米の戦艦、船が日常的に航行し、無許可で捕鯨を行うなど、圧力をかけて開国を強要します。
そしてついに1852年、開国を要求するオランダ国王から、2回目の忠告が幕府に対してもたらされます。同年、米国議会では、海軍の日本遠征が決議されました。
こうして翌1853年、黒船の総督マシューペリーは、米国大統領の信書を携えて浦賀に侵入、これが大きく日本を動揺させます。
そのため、北は北海道におけるロシアの脅威、南は米国による小笠原や琉球の占領状態となります。そして、米国が本土に上陸することは明らかであったため、問題を先送りにしてきた幕府は混乱を極めます。この時になって、ようやく開国か鎖国かが、幕府で問題にされました。
ですが、幕府は何の準備もしていません。仮に鎖国を維持しようにも、日本側には、黒船を撤退させる力(軍事力)はありません。そこで、外国に占領されるという、日本史が始まって以来、初めての懸念が現実となりました。
近代史では、黒船の到来が近代政府の樹立に繋がる明治維新(軍事クーデター)の起点になったと考えられがちですが、その視方は誤っています。事実は、幕府が単に良識者の警告を無視し続けた結果、軍備を全く準備しなかっただけのことです。その先駆者を林子平に据えるならば、その警告が約60年の時を経て、現実になっただけの話です。
結局、開国か鎖国かの議論も上手く進まず、何もできない幕府の官僚的な行き詰まりは、やがて驚くべき方策へと向かいます。
幕府は外圧の現実に対して、予算を軍備に充てず、一体何をしたか。何と、神社や寺に命じて、ひたすら祈祷を行わせたのです。つまり、祈祷により、この現実問題に対処したのです。この驚くべき愚策は、もはや当時、既に幕府が全く機能していなかったことを語る事例です。
この時、七社七寺(*)、二十二社(**)へ祈祷を要請し、伊勢神宮には金を、増上寺や寛永寺には銀を、年々回数を増大させて支払っています。
*七社七寺: 皇室に縁の深い社寺のこと。神社は伊勢神宮、石清水八幡宮、賀茂神社、松尾大社、平野神社、伏見稲荷大社、春日大社。寺は仁和寺、東大寺、興福寺、延暦寺、園城寺、東寺、広隆寺。
二十二社: 中世の朝廷祭祀で最重要視された神社の社格。
これによって、幕府に対する求心力は完全に終焉し、日本の未来を憂いた志士たちは、自ら蜂起して、欧米と対抗することを決意したのです。当時の幕府の悲惨な状態を、水戸藩の藩主であった徳川斉明(1800-1860)は、書簡の中で以下のように述べています。
幕府においては、上野の寛永寺に金銭を払い、仏教の庇護に頼る始末となっている。そうした金が少しでもあるならば、武器製造にでも回した方が明らかに有効である。
実は、焦った幕府がこうした行動を取ったのは、歴史的な理由があります。それが、ある一つの伝説です。
その伝説は、最初の外圧であるフビライハン率いる蒙古襲来の時代に遡ります(戦争は1274と1281年)。仮に、東アジアを統一した蒙古軍が、日本に上陸していれば、日本は「元」の属国となったでしょう。そこで時の鎌倉幕府は何をしたか。現実的な策を一切放棄し、全国の寺に勝利の祈祷を命じたのです。
すると、本格的に侵攻が始まった1281年、日本海を越えて九州に上陸しようとする蒙古の大軍に、突如嵐が吹き荒れ、戦艦が沈没し、日本は勝利しました。
この出来事が、失った求心力を回復するための方便に利用され、後に「神風」が吹いたとして政治的に流布され、伝説となります。興味深いことに、近年の調査の結果、本当に嵐が起きて、蒙古の戦艦が沈んだ証拠が、次々と明らかになっています。つまり、伝説は本当だったのです。
ですが、幕末にその伝説の再来はありませんでした。
このように、全く準備をしなかった為政者が、実際に問題が起きると突如焦り、何の対策も打てなくなって、祈祷に逃れる愚策は、歴史的に何度か日本の転換点で起きています。それが、まさに幕末でした。
その結果は、強制的な西洋による開国と、国内の明治維新に結び付き、幕府の崩壊となったのです。