神社参拝の語られない作法:自分に合う神社の見分け方The Unspoken Rules of Shrine Worship: How to Discern the Shrine That Suits You
この記事では、多くの観光客が気軽に参拝する神社の本来の選び方について、異なった日本の視点から書いていきます。大前提として、神社の参拝に決まった規則はありません。一般的に流布されている参拝のマニュアルは、基本的には、近代以降に政治的に決定されたものです。だからこそ、深く神社、神道の歴史を自ら理解することが重要なのです。
観光で日本を訪れると、観光地として神社は宣伝されていますから、どうしても無知な状態で来訪してしまいます。ですが、実は神社には多くの系統があり、自分に合った神社と、そうではない神社に大きく分かれます。ここが基本です。
そもそも日本人の友人と話していても、神社の参拝は観光目的で行くことが圧倒的に多数です。その神社にどのような歴史背景があり、どのような神様を祀っているかということについては、ほとんど理解されていません。これは非常に悲しいことです。
日本で暮らす人々でさえこの現状ですから、遠くから訪れる旅人が、この「語られない作法」に触れる機会は、ほとんどありません。なぜならば、そうしたガイドラインは存在しないからです(作ることができません)。
ですが、日本が常々神秘的でスピリチュアルな国と思われているように、この観点を理解し、神社を参拝しなければ、素敵な日本の旅も、崩れ去ってしまう可能性が高いのです。
例を出すならば、日本人の中でも理解のある僅かな人々は、神社に参拝する場合、早朝に限って訪れます。また、毎日参拝する神社もあれば、特定の時期に限って参拝する神社もあります。好き勝手に自分のタイミングで、神社は参拝するものでは無いのです。
多くの方々が誤っていますが、午後を回ってからの参拝は、霊的にも危険だと古代から伝えられており、理解のある人々は、絶対に午後に神社に立ち入りません(これは、寺も同様です)。
また同時に、自分に合った神社でなければ、いくら早朝に参拝したところで、良い効果がもたらされることはありません。その一つの指標になっているのが、神様の系統です。この点は、旅人のみならず、日本に暮らす多くの人にとっても、理解することがほとんど難しい次元です。
東日本大震災を契機として、2010年代頃から、日本では「パワースポットブーム」という風潮が、盛んにメディアで喧伝されるようになり、特定の神社の持つ霊的な力を求めて、大勢の人々が参拝する現象が起きました。
しかしその結果、体調不良者や、その後の人生に行き詰まる人々が多発します。なぜならば、自分に合った神社ではない場所を、メディアに流されて参拝してしまったからです。つまり、人生の答えを外に求める人々に対して、神様が戒めているのです。
別の機会に書きますが、典型的なのが人気の観光地として知られる京都です。驚くかもしれませんが、京都の観光地とみなされている神社や寺が立ち並ぶ地域は、本来、人々(生者)が立ち入ってはならない場所です。私も、特別なことがない限り、絶対にこの地域には立ち入りません。
ですが当然、観光客はそうした歴史を知りません。その結果、楽しい京都の観光に出向きながら、神社仏閣を、自分たちの旅のスケジュールに応じて好き勝手に参拝してしまい、体調不良を抱え、素敵な旅ができなくなるということが多々生じます。特に霊感の強い人々ほど、無闇に立ち入ることは危険です。これは心から思うことですが、せっかく遠く離れた日本に訪れたにも関わらず、厄災をもらって帰国する事は避けて欲しいのです。
これだけでも明らかな通り、本当の深い日本の旅というのは、「目に見える世界」ではなく、「目に見えない世界」を巡ることにあります。だからこそ、深い歴史的な知見と、教養(何よりも理性に基づく自省)が求められるのです。
このようなことを言うと少々残酷に思えるでしょうが、日本を初めて訪れる旅人は、神社の境内に入ることを急がない方がいいでしょう。境内に立ち入らずとも、入り口となる鳥居の前で一礼するだけで十分です。その先は、神様の結界が巡っていますから、入る必要はありません。
ただし、わずかな例外もあります。それは海の向こうから渡ってきた神様を奉祀する神社です。こちらは、それぞれの神様の来歴が特定の土地と結びついているため、その神様に縁を感じる人は、これらの神社を問題なく参拝できます。ですが、こちらも深い日本の歴史認識がなければ、判別は難しいでしょう。
日本人の友人の中には、私がこのような話をすることで、気軽に神社に参拝できなくなった人が続出しています。
しかしこのことは、いかにこれまでの神社参拝というものが、近代以降の「人間による利己的な動機」によって行われていたか、ということに対する深い反省を促すものです。つまり、ある種の反近現代の姿勢として、神社参拝の本来の姿を捉えることができます。
なぜならば、多くの日本人が神社を参拝するとき、通常、自身の人生、あるいは家族にご利益があるように願い、そこに奉祀されている神々のことは二の次になっているからです。神社は、自分の密かな願望を、神々に対して吐き散らす場所ではありません。この認識は、かつての日本では普通でしたが、今や酷い有様となっています。
「目に見えない世界」を迷信と退け、自分勝手に無視してきた結果が露骨に表れています。
現存最古の神話を記す、『古事記(712年成立)』や『日本書紀(720年成立)』に登場する神様の総数は、300以上に上ります。そして、この一つ一つの神様には特定の系統があり、それを歴史的に奉祀してきた場所、人々が強く関係しています。この限定性を無視してはなりません。
ですが、300以上もの神々の系統を理解することは、相当神話に通じていなければ不可能です。特に現代日本人の個人が、自分がどの系統に属すかを知ることは、かなり難しい現実があります。そこで、古事記は一つの重要な系統の弁別を図っています。それが、「天つ神」と「国つ神」です。