宗悦は文化に何を為したか:民藝運動の挫折What Did Soetsu Do for Culture? The Setback of the Mingei Movement
最近、東京にある日本民藝館に出向きました。平日で駅から離れた立地にも関わらず、多くの人がひっきりなしに来訪しており驚きました。その背景には、人々が「失われた熱」を求めている現代の状況があるように感じます。
「民藝」は、1926年に柳宗悦によって提唱された概念です。当時、拡大する産業商品市場への反動から生まれました。
宗悦の定義によると、民藝とは民衆が日々用いる工芸品であり、実用的で深く人間の生活に関わる品物の領域を指します。それは従来、「雑器」と呼ばれていました。
ですが、ほぼ100年後に宗悦の残した日本民藝館に出向くと、民藝運動が大きく挫折したことが分かります。
彼の民藝論は、何を誤ったのか。それを私は「文化」と「カルチャー」の混同だと見ています。
鈴木大拙から学んだ宗悦は、彼の禅思想を民藝論に適用しながら、盛んに「無心」、「無想」から生成される民藝品の重要性を語ります。問題は、民藝に対して専門的な美の評価を求めたことです。
民藝は、人々の実際生活を為す場所環境から生まれます。つまり、徹底して「限定された場所」において民藝は生成されますが、それは「日本」という統一空間に還元できない場所の文化です。
無想の言葉通り、そこには確固たる主体意思はありません。主語のない日本語の述語制世界において、民藝は創造されてきました。これがカルチャーではない、文化の本質です。
文化に完成はない、常に永遠の瞬間にある。
そこには過去、現在、未来の主語制世界の時空概念は存在せず、そこにおいて生活者の生活がありました。その過程で失われるものは失われる、そこに「侘び寂び」の心があります。
民藝は文化ですから、専門家による美の評価や、「工芸品」という実定された概念に対する優位性を指摘することには何の意味もありません。
ですが宗悦は、以下のように工芸品の種別設定をします。前者と後者は対比関係に置かれているため、近代を文化概念に持ち込んでいることが分かります。
●貴族的な工芸品: 貴族的ー個人的ー特殊ー有想ー分別心
●民藝品: 民衆的ー協団的ー通常ー無想ー平常心
民藝を通じて官民の平等な関係を求めた背後には、当時、日本で大きな潮流となった「大正デモクラシー」の影響があります。大正時代は1912~1926年、ちょうど宗悦の民藝運動は1926年なので、深い影響を受けています。
この大正時代の熱が冷めた時、日本は戦時へ向かって国家主義へと邁進します。
民藝品を実定しながら、一元的支配空間へと還元することを試みる宗悦は、遂に「民藝は工芸中の工芸」だと宣言するに至ります。この時、彼自身のactsによって、民藝が民藝であることの本義、つまり場所を消していることに気付きません。そこに文化が絶える源泉が用意されたのです。
宗悦に限らず、当時の西洋の枠組みを取り入れた日本への視座は、常にこの錯合を孕みます。一見、彼らこそ伝統主義に思うでしょうが、事実は全く逆です。そもそも、日本における「伝統」という概念自体、1920年代に入って一般化する新しい言葉であり、文化とは無縁の概念です。
今日まで民藝の功績者として宗悦は語られますが、その論の立て方によって、民藝、さらには文化の息の根が止められる道が開かれたのです。場所に生きていた生活者の姿が見えなくなり、人々は国家的な国民化の回路へと引き寄せられていきました。
なぜ宗悦の想いとは相反して、最善が最悪を生み出したのか。それは、カルチャーの概念をそのまま文化に持ち込み、カルチャーのコンテクストにある貴族の工芸品に対して、同じ範疇で民藝品を設定し、そこにおいて文化を論じたからです。
無念にもここが民藝論の基礎になったため、民藝はあっという間に商品市場に取り込まれました。その結果、宗悦の民藝論とは相反する形で、民藝品は博物館に展示され、ショーケースを挟んで人々との接触が拒絶され、実際生活の実用を喪失した陳列品に過ぎなくなりました。ただ「無名」であることだけが、民藝を特徴付けるものとなったのです。
民藝運動の帰結が100年経ってこの有様ですから、全く効果を持たなかったことは明らかです。
貴族的な工芸品と同程度、或いは亜流として博物館に陳列されることを実現したと言う観点では、皮肉なことに民藝論は全く民藝自体を見ていなかったということです。宗悦の限界はそこにあり、逆にそれを突破したのは宗悦と親交のあった染色工芸家の芹沢銈介(1895-1984)です。
宗悦の論は、文化の側に立たず、場所も生活者も見ていません。見ているのは、統一されていく日本という枠組みです。そこに民藝は配置されています。
一体、手垢や肌触りのない民藝に、何の存在があるのか。
人々の実生活から切り離された民藝は、何の生命を持っているのか。
本来、現代における民藝の生命は、近現代で高度にソーシャルエージェントと化した人々を、疎外から回復する実際体験の可能性を持っていたはずです。残念ながら、その機会は今となっては失われてしまい、結果的に人々は「失われた熱」を求めて、漂流せざるを得なくなりました。
世界的に評価される民藝の柳宗悦、民俗学の柳田國男、さらには禅の鈴木大拙らの論は、生活者の文化を語りながら、生活者の文化が見えなくなる流れ、来たる国家主義の回路と重なっていったのです。
Soetsu’s Mingei: 100 Years After the Mingei Movement