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「他」の受容とは何だったのか?:スピリチュアリティを祀る伝統What Does It Mean to Receive the “Other”?: A Tradition That Enshrines Spirituality

「他」の受容とは何だったのか?: スピリチュアリティーを奉祀する伝統

なぜ、日本列島では歴史的に、他のカルチャーが平然と受容されてきたように見えるのでしょうか。

例えば、日本における最初の宗教ムーブメントは、神道ではなく、中国経由でもたらされた仏教でした。中国ではインドを経由して入ってきた仏教を自国の文字に翻訳する過程で、思想的な意味を掴む格闘を為し、その大成を仏典として奉祀してきました。

しかし、日本に仏教が伝来した時、日本列島では、翻訳をめぐる格闘とは別の道を取り、中国語に翻訳された仏典をそのまま音で読み、即座に奉祀するという不思議なことを行います。

この当時、日本列島の言葉は文字を持っていません。ですがそれ以上に、そこには音を重んじる深い伝統があったという示唆です。

雑に言えば、音が良ければそれで良いのです。その良し悪しは音感ではなく、その音に宿るスピリチュアリティーの如何にあります。他より齎らされるものが、スピリチュアルであるか否かが、受容の判断基準になっているのです。

古代日本は、音自体から複雑な概念を掴み取ってきました。つまり、わざわざ文字にしなくとも、その深い精神性に到達できる、音を受け取る技術を育んでいたのです。だからこそ、文字は必要とされなかったのです。

こうした歴史背景を近現代から見ると、どうしても他のカルチャーを有り難がる気質として語られる傾向に陥ります。事実、そうした固定概念が形成されてきました。しかし、それは正しい見方でしょうか。

確かに仏僧は仏典を毎日読みますが、意味を追ってはいません。なぜならば、そこに書かれた文字自体の意味や内容は、そこでは第一の関心ではないからです。意味があるのは、音です。より正確に言えば、音に宿るスピリチュアリティーです。これが後述する「tama/dama(霊)」に通じる概念です。

はっきり言うと、釈迦が何を語ったのかはどうでも良い、大事なのは、それを語った釈迦の心だということです。

ある意味、文字を持つことは、得るものと失うものの両方をもたらしたのかもしれません。文字を持つことでシニフィエに固執するようになり、やがてシニフィアンを喪失する場合があります。この格闘は西洋や中国において、哲学的に重大な問題となってきたことからも明らかです。

日本人がいつから文字を使用し始めたのかは不詳です。

ですが、少なくとも6世紀後半頃の時点で、帰化した渡来人を経由して中国語を理解する風潮は、仏僧や宮中の人たちに限って高まっていました。

さらに平安時代(794-1185)になると、中国化に対する反動が生じ、日本固有の文字を形成する動きが高まります。その先頭に立ったのが、『源氏物語』の作者である紫式部などの作家です。

また時代を前後する万葉時代(7世紀後半から8世紀後半)、歌人は興味深い概念を提唱します。それが「言霊」です。

言霊とは、シニフィエである文字の優位性を否定し、音自体からシニフィアンを表出するというものです。

西洋から見る場合、ロゴスが参照点となるでしょうが、ロゴスがよりrationalで哲学的であるのに対し、言霊はよりスピリチュアルです。

事実、712年に成立した日本最古の書物である古事記も、当初は言霊重視の観点で制作されています。古事記は文字を否定した誦習で行われました。

中国化による文字が氾濫していた当時。再び音の重視、音への回帰が復古運動として起きたのです。文字にすることで、スピリチュアリティーが失われることを知っていたからです。

実際、音の信仰は神としても表れており、奈良県葛城の一言主神社は、言霊の神を奉祀しています。また、こうした動きは古代に限らず、近世を通じて行われた日本の儒教化に対する反動として勃興した神道の復古運動にも表れます。

彼らは「言霊」、そして「音霊」を非常に重視し、音や言葉自体が神だという思想へと発展させます。ここが源流となり、近代を前後して日本で大きなスピリチュアルムーブメントが勃興しました。

文字を中心にした見方からは、いい加減に映るかもしれませんが、これは音自体から全てを掴み取る高度な心的技術です。近代に西洋の概念が日本に流入する過程でも、その概念は多くの場合、中身よりも音と形が奉祀されました。

この態度は、哲学や科学とは別の道を開く、ラディカルな形と言えます。

しかし一方で、近代化を画策した明治政府の人々にとっては、それでは統治に都合が悪かったため、徹底的にシニフィエだけを配置する構造を新たに作り上げていきます。

こうして人々は、脳信仰へと転移させられてしまいました。その結果、物体だけが重要と見做され、それ以外には何もないという虚無に陥ります。為政者にとって、極めて都合の良い統治空間の完成です。

これらを基準に改めて日本の歴史を見返すと、他のカルチャーを受容するという典型的な像は、何と的外れであるかが分かります。