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単一民族という神話:縄文・弥生・古墳の多数派The Myth of a Single People: Jomon, Yayoi, and the Kofun Majority

歴史を見る際に私たちにとって難儀な障壁となるのは、一種のナショナリズムを経由した未来を生きている一人ひとりが抱え込む一元的な世界観です。それは東アジアの限定範囲で言えば、中国・韓国・北朝鮮・日本の各々の閉鎖的歴史観と言え、今も私たちが歴史を思考する際に介入するイデオロギー的作用を持っています。その結果、2020年代中期の今でも、各国のナショナルな固有性という閉鎖的世界観をベースに古代史を見てしまう罠に絡みとられてしまい、発展的な議論が行われずに古代の実像は謎として放置されています。

しかし、母国のフィールド調査を続けていると、日本を日本として完結して歴史を描くことの不可能に直面します。それは同時に、中国を中国として完結して歴史を描くことの不可能であり、韓国を韓国として完結して歴史を描くことの不可能であり、北朝鮮を北朝鮮として完結して歴史を描くことの不可能です。つまり、こうしたナショナルな空間が前提される次元での考察は、イデオロギーの観点から近代的意義はあっても、歴史総体から見れば本質ではないということです。問題は常にこの不可能に直面した時の個人の態度に置かれています。言い換えれば、母国の歴史を点ではなく面として洞察する意志を持った時、私たちはナショナルで一元的な空間と、多元的世界としての場所を揺れ動く格闘を要されます。さらにそこには東アジア全体の動きがあり、もっと言えば地球規模の動きがあります。

この内的格闘の経験は近代に停滞している以上、誰もが通過しなければならないものであり、最後まで抱え続けなければならないものです。思うに、これを現代の一人ひとりが母国の諸問題とは別に据えて挑み続けた先に、はじめて世界が真の意味で統合される時代を迎えるのでしょう。それは母国を否定したり、嫌悪したり、抽象化したり、矮小化することでもない。共同幻想を解体するのではなく、人々の団結した意志によって共同幻想を変質させることに未来があると感じます。そのためには、東アジアだけでも考えなければならない問題が膨大です。

古代日本史は大きく見れば、旧石器時代から始まり、縄文時代、弥生時代、古墳時代と続いていきます。この時代がいつからいつまでということは学者によって全く異なり、その差は時に数千年に及ぶため、個人的にあまり重要視していません。また例えば縄文時代から弥生時代という時代の転移においても、いきなり弥生人なる存在が現れたというよりも、それ以前の数百年から千年程度の歳月をかけて、弥生人となる母体集団が流れていた可能性を考えなければなりません。こうした時代を経て、やがて中国を経由した仏教伝来期に入っていきます。

ゆえに、この歴史総体だけを見るだけでも、世界的に喧伝される虚偽の一つである日本人の単一民族説は呆気なく崩壊します。先週、東京で最先端の遺伝子検査を受けたことを書きましたが、実はこの遺伝子検査の特徴は、日本人のルーツを明確に縄文人・弥生人・古墳人に分けており、その割合を出すことによって自分がどのルーツに由来するかを可視化することにあります。

今も日本全体としては日本人のルーツは単一民族と据えており、国際的にもこの理解は共有されています。しかし、日本人のルーツとは言っても、そこには最低でも縄文人、弥生人、古墳人の三層が設定されるべきであり、しかも彼らはルーツが異なる種族です。縄文人は未だどのような母体集団に由来するか突き止められていませんが、東アジアの中でもかなり独立した種族であることは推定されており、この集団がアメリカやオーストラリアに渡って先住民の起源になったことも考えられています。一方で弥生人は主に北東アジアの西遼河近郊にルーツを持っており、文明次元で言えば紅山文化の担い手でしたが、気候変動の影響で移動を余儀なくされて以降、南下した集団は朝鮮半島を経由して日本に渡り、西へ移動した集団は北欧まで到達しています。

面白いことに第二次世界大戦前から、既に日本神話と北欧神話には共通点があることは指摘されていたのですが、当時は西洋が強い時代であった影響から、北欧から文化が日本にまで流れてきたと推定されていました。しかし実態は、北東アジア側に共通祖先を持っていたのです。個人的には日本の感性と北欧の感性が融合したJapandiには、共通祖先が共鳴する古代的関係を彷彿とします。

この観点から見れば、弥生人が移民として流れ込んで以降、縄文人とは全く異なる種族が日本列島で共存していたことは自明です。ですが、単一民族説は縄文人が弥生人になったという訳の分からない説明を未だにしており、弥生人は移民ではないという観点が強く残存しています。これは民族博物館などでも一般的に書かれている考え方であるため、相当強固に思えます。しかし、古代日本における移民の存在の否定には全く意味がなく、根拠なき迷信です。

さらに同時に縄文人も単一民族ではなく、複雑に交雑していた可能性も考えなければなりません。私は縄文人はベースとなる種族は存在したが、地域によっては複雑な交雑が起きていたと考えており、特にその種族は東南アジア側から日本列島に来訪した人々だと考えています。その根拠は赤道付近フィリピン諸島の東側に吹き付けるハワイ方面からの強風によって発生する黒潮という海流です。この黒潮は東シナ海へと流れ、日本列島の太平洋側を北上する世界最大の海流です。ただしここでの注意点は、同時に縄文人が黒潮を活用して東南アジアまで出向いていた事実を考慮しなければならないことです。実際、18世紀のイギリス入植以前から、日本列島からオーストラリアまで漁撈を行っていた話も伝わっています。おそらく、縄文時代の古いルートの可能性があります。

実際、こちらは今後解明されていく可能性はありますが、既に縄文人固有の遺伝子は台湾の先住民やオーストラリアなどの先住民とも関連していることは指摘されています。この時、どうしても私たちは最後の地として流れ着いた日本列島を想定してしまうのですが、逆に縄文人が海を越えて移動した可能性を考えなければ実態は見えてきません。そして縄文人が海を越えて大移動した可能性を考える時、様々な要因が考えられるでしょうが、その一つを私は移民の存在に見ています。この時に注目すべきは北東アジアルーツの弥生人以上に、その後に移民として発生した古墳人です。この古墳人は東アジアルーツで現在の漢民族に近い人々ですが、実は現代日本人のマジョリティはこの古墳人の末裔です。

時代軸を見れば、縄文・弥生・古墳という流れであるため、日本列島の内部で考えれば古墳人は後発の集団に属します。そして単一民族説では、日本民族のルーツは縄文人から弥生人への自然な発展として捉えられ、その一部に移民が想定される程度であるため、古墳人は独立した別集団とは見做されず、未だに縄文人と弥生人という二つの種族をベースに考えられます。最近は明確に遺伝子の観点から古墳人は別の母体集団であることが指摘されていますが、単一民族説はこの観点は無視です。未だに学校教育では、日本人のルーツは縄文人と弥生人と教えられており、古墳人の存在については知られていません。

ここで重要なことは、日本の単一民族説は実は古墳人というマジョリティの系譜に限定されているということです。つまり、イデオロギー的に打ち立てられている日本人の実態とは、実は古墳人という東アジアルーツの集団をマジョリティとする人々のことを限定的に指しており、それ以前の集団は排除されていることが見えてきます。こうした動きは明治頃に加速しており、例えば北海道のアイヌ、沖縄の人々などの同化政策に典型的です。

これは彼らはルーツの比重が非古墳人の系統を強く有していたため、日本人とは見做されなかったことが背景にあります。ただし、如何にアイヌや沖縄人であっても、この古墳人との交雑は歴史的に起きており、その比重が低いというだけです。さらにアイヌも固有の日本における先住民ではなく、かなり複雑な交雑によって形成された種族です。確かに縄文人はベースとなっていますが、そこにロシアなどの北方経由での移民集団、日本列島からの移民集団などが複雑に交雑しているため、イコールで縄文人の末裔ではないのですが、この観点が未だに全く理解されておらず、日本の先住民はアイヌだという馬鹿げた主張まで展開されています。こうしたアイヌを先住民とする視座は日本人の単一民族説と全く同じ原理であり、実はコインの裏表の関係として作用しています。ゆえに両者共に破棄しなければなりません。

また沖縄人も地理的に中国に近いことから影響は強く受けており、島によっては東アジア系移民の系譜が露骨に見られます。ただ沖縄の場合は、石垣島・宮古島などの八重山諸島と、沖縄本島の圏域では明確に種族タイプが異なっており、一元的な沖縄人も存在しません。要するに、どこを見るかによって変質するため、一元的な単一民族説などあり得ず、一元的な先住民族説もあり得ないということです。これは北海道や沖縄を除いた日本列島全体でも全く同じです。日本と言いますが、九州南部と九州北部では全く種族タイプが異なります。

なぜ現代日本人のルーツの観点でマジョリティを占める古墳人の存在が明瞭にならないかと言えば、どの程度の数の移民として流入したか未だにはっきりとしないからです。20世紀後期頃の時点で既に古墳人に相当する移民は指摘されていたのですが、彼らの数を100万人とする説から、数百人とする説まで学者ごとに一致せず、正直なところ誰も実態が分かりません。ただ興味深い観点で言えば、この古墳人の日本列島への移民が進む過程で馬が日本に持ち込まれたことです。元々日本には旧石器時代に野生の馬が居たと想定されていますが、縄文時代に入る頃には絶滅しており、その後日本列島に馬はいませんでした。それを大量に持ち込んだのが古墳人です。

ただし古墳人が東アジアルーツとは言っても、中国は広大で無数の種族によって構成されているため、厳密な特定は今後の広範囲な調査を待つしかありません。ただ日本の単一民族説に一定の根拠があるように思われてしまうのは、おそらく日本人という捏造されたイメージに合致する外見を有する人々が多いという粗雑な理解が通じるからです。日本各地を巡っている感覚では、それはあまりにも稚拙だと思いますが、私が欧米の人々を明確に識別できないように、欧米の人々がアジア人を明確に識別できないことと同じです。ゆえに全て同じに見えてしまうのですが、こうした粗雑さを横行させてしまう力が単一民族説というイデオロギーの源泉にあるのです。