35歳を迎えてTurning Thirty-Five
35歳を迎えた今日。この年齢は、かつて教育学者のルドルフ・シュタイナーが唱えた7年周期説において、新たな成長段階に入る転換点となります。35歳から始まる新たな第6周期は42歳まで続きますが、この期間は自らの使命の覚醒が起きる期間に位置付けられます。端的に言えば、自分の限界を知ることで、ベクトルを自分自身にだけ向けるのではなく、自分を使って他者や社会のために何を為すかが問われる時期です。この一つ手前の28-35歳までの第5周期では、霊的危機に直面し、外向きの成長から内向きの成長を研磨研鑽する期間に位置付けられていました。振り返ると、確かに私は28歳頃から今日までの7年程度をかけて、日本各地を移動しながら独自に起源の探究を行なってきたため、人は7年で成長するサイクルを持つというシュタイナーの慧眼は同意できるところです。
一方、古代儒教の聖人である孔子は「三十にして自ら立ち、四十にして惑わず」ということを論じています。これは30歳が「自立」、40歳が「不惑」を意味しますので、ちょうど35歳という年齢は境目に相当します。つまり、自ら立ち、そこから次の惑わずという段階に向けて、自分自身を見つめ直す機会を迎えていることを教えているのです。ゆえに、この年齢は大きな潮流によって右に左に自分自身が揺れ動きながら、最後まで立ち続けることができるかという試練の期間とも言えます。他者、家族、社会、国家、世界などの外的な存在と最も密接に関わるこの期間において、外の潮流に飲み込まれずに生き抜くことができるのか。この年齢で大勢の人々が自分自身を見失ってしまうわけですが、ゆえに35歳で徹底的な内省と試行錯誤を為すことは、今後の未来のためにも極めて重要に思います。何しろ、最後まで舞台に立ち続けることができなければ、孔子が言う「五十にして天命を知る」ことへ到達する以前に、フェードアウトしてしまうからです。
もちろん、この期間は外的な状況に揺さぶられることは避けられません。それでも自分というこれまで培われた個を貫き、停滞せずに先に進み続けることができるのか。この問いは日夜私自身の脳内を巡っていることから、変革の時期に立っていることを感じます。究極的には、何が起きても自分自身を外的存在に移譲せず、自らの信念をコンパスに生きることができるかという難しい時期かもしれません。この時、どういう未来を描いているのかというビジョンの重要性が高まってきます。もう一つ重要なことは、シュタイナーが提示したように、ここから42歳にかけての次の7年間は、自分への内省に向かう期間を経由して、いよいよ真の意味で外に向けて使命を果たす段階です。言い換えれば、他者や社会に対して何が自分にはできるのか、どういうことを自分は為すことで他者や社会に対して貢献するのかを問い続け、そして実行し続けるということです。
そう考えた時に至る問いは、「一体自分は何のために生まれてきたのか」ということです。私は死生観として日本でも一般的な輪廻転生を信じていますが、同時にこの地上に宿る前に、人間の魂は特定の時代・場所・家族のもとに生まれる決断を自分自身で行ったと考えています。それは魂の使命を果たすために、あえてその時代状況や場所を選んだとも解釈できます。ゆえに私が1991年に日本で生まれ、そこから35年という歳月を日本と共に歩んで生きるということも、真の使命に気づき、それを果たすためには必要不可欠だったと考えます。この1991年は高度経済成長からバブル経済へ入り、狂乱から目が醒める崩壊の兆しが起きた時期であり、時代前後ではベルリンの壁崩壊、ソ連崩壊、阪神淡路大震災、米国主導のグローバリゼーションの始まり、パーソナルコンピュータの普及など、今日の時代を形成する重要なファクターが複数起きていました。
大きく見れば、一つにはグローバルな世界の中で日本・日本人がそれまでの経験を活かして如何なる国際的責任を引き受け、日本人にしかできないことによって協力するのかが問われる転換点であり、一つにはデジタルテクノロジーの時代の本格的黎明期だったわけです。ですが、それ以降の歴史を結果的に見れば、日本はそれ以前の過去に固執し、過去の成功体験を棄却せず、時代が大きく変わり始めた事実から目を背け、急速に国家的引き籠りへと舵を切りました。こうしてグローバル世界で日本のイメージは歳月をかけて毀損していき、デジタルテクノロジーの潮流からも完全に孤立します。この双方向の転換点を無視した結果が最も顕著に表れたのが、J-コンテンツとK-コンテンツに象徴される国家のソフトパワーです。ターニングポイントは、1997年に起きていました。
1997年11月に自主廃業を発表した山一證券の破綻は、1985年のプラザ合意から始まったバブル経済の崩壊の象徴的出来事となりますが、一方で山一證券破綻と同月に、隣国の韓国では1997年のアジア通貨危機でIMF管理下に置かれる流れに向かう転換点に直面していました。この時、日本と韓国という隣合った東アジアの国家において、過去の方法で進み続けることの限界が明白となったのですが、ここで日本は引き続き、国家的引き籠りという内向き現象を強める未来へ向かい、韓国は国家の外部へ向かい、新たな可能性を探るグローバルな世界へと舵を切る決断を行います。これは国家的な財政面での体力の差異も理由として考えられますが、私は「過去への固執」と「未来への信念」の決定的差だったと考えています。つまり、同じ1997年末、日本は過去の成功体験に固執して動くことをやめ、韓国は過去の成功体験を棄却して自ら動く決断をしたのです。この行動の差異は、歴史的に長い関わりを持ってきた二つの国が、自らのOSをアップデートし続けるか、あるいは古いOSを継続したまま、ルールの変わったグローバル時代を進むかという決断において顕著な差となり、結果的に未来を大きく分岐することになります。
日本では当時、国内に1億人以上もの旺盛な消費市場が形成されており、近隣諸国のハードパワーやソフトパワーが日本を脅かすことはないと市場を捉える空気がありました。一方、財政破綻を経験した韓国では、多くの人々が米国西海岸へ飛び、そこで米国最先端のコンテンツ制作やマーケティング技術などを意欲的に学びます。何より、言うまでもなく、全ての人間は年を取ります。そして日本の少子高齢化の未来は当時既に理解されていたにも関わらず、日本政府は何の対処も取りませんでした。この結果、国内市場だけを見た日本企業のグローバルでの敗北が相次ぎ、かつて世界を席巻したハードパワーは急速に失われていきます。1億人以上も国内市場があるとは言っても、労働人口を占める層は年々リタイアするため、消費も旺盛さを失うからです。この結果、日本企業は必然的にグローバルに目を向けなければならなくなるわけですが、時既に遅し。この間の韓国企業の台頭は誰もが知るところであり、1990年代の時代変動の未来において、日本は韓国にハードパワーで屈します。しかし、日本が敗北したのはハードパワーに限らず、ソフトパワーも同じでした。
米国西海岸のコリアンタウンで米国流のグローバル戦略を領有した韓国系移民は、母国・韓国を含めた東アジアの感性をリミックスし、それを米国のグローバル戦略に乗せてソフトパワーの攻勢を展開し始めます。K-コンテンツと呼ばれる音楽・ドラマ・映画を筆頭に、あっという間に世界市場を席巻したK-コンテンツは、さらにその潮流に乗った美容なども戦略的に打ち出して累乗的な効果を生んできました。今月、KPop Demon Huntersがゴールデングローブ賞を席巻したことは、最も象徴的と言えます。なぜならば、本来この位置には漫画・アニメ・J-popを有する日本が立っていなければおかしいからです。しかし、未来はそうはならず、韓国のソフトパワーがグローバルで圧勝する結果を迎えます。これも全ては、1997年の国家財政危機を両国が迎えた時、一方は内向きになり、一方は外向きになる決断をしたことの結果の反映です。つまり、日本の今日の悲惨な衰亡は、この時に既に決していました。
ソフトパワーでもハードパワーでも完全に敗北した日本は、国際的な各種データでも没落具合は明らかとなっています。かつて勤勉と言われた日本人の労働力も、既に一人あたり名目GDPはこの数年で韓国や台湾に抜かれており、30年程度前に起きた国家的内向き傾向は、露骨に人々の関係性を細らせる病理となっています。WORLD GIVING INDEX RANKINGSは寄付や助け合いの実態を知るための興味深い統計ですが、過去数年に渡って日本はボトムに属しています。さらに日本を先導する大都市の東京は、sleepjunkieのThe Cities with
The Highest Burnoutで世界1位となっています。こうした日本没落を示す国際指標は無数に存在しますが、これは肌感覚でも理解できます。私が生きてきた35年間だけでも、日本社会の空気は明らかに変わったからです。そして良い方向ではなく、厳しくなったということは私のみならず、友人も抱いている感想で、人間関係の崩壊は加速的に進んでおり、共同性から分断された人々が大量に都市部を形成する状態となっていることから、必然的に活気が失われる事態が起きています。
そしてこの10年の世界的なオーバーツーリズムは、ある一つの国家的な嘘を検出する装置的作用を生みました。それが、日本へのインバウンド数の急激な増加です。2010年代には圧倒的に中国系旅行者が占めていた状況から変動を始め、パンデミック後の旅行者の姿では、かなり欧米人の旅行者が目立つようになります。これまで地理的距離や言語的壁などによって、日本が世界へ発信する虚構は、嘘を全面に押し出しても見抜かれることはなかったのですが、実際に日本に初めて来訪する人々が世界的に急増した結果、日本の成長神話が完全な嘘であることが多くの人々に肌感覚で知られるようになります。要するに、政治家の国際舞台での日本に対する実情を無視した嘘が、意外にもオーバーツーリズムによってバレてしまったのです。何しろ、どこに出向いても高齢者ばかりで、人が通らない獣道まで綺麗に舗装されている国など、日本以外にはありません。これは明らかに国家システムが一部の人々によって私物化されていることの証明ですが、これがオーバーツーリズムによる旅行者の肌感覚として察知されたことによって、日本の衰亡は急展開を迎えます。それが今週起きた高市ショック/サナエショックと報道された日本の国債市場の崩壊です。つまり、これは単に高市早苗首相による衆院解散表明と公約による財政悪化懸念が主因というよりは、むしろ遂に世界のメディアやインベスターを日本が欺くことができなくなった象徴的出来事なのです。これが意味することを端的に言えば、日本は実態経済とはかけ離れた奢侈な暮らしをしていることが世界的に明らかとなったということです。
個人的には、1990年代以降の日本は隠蔽国家と捉えています。なぜならば、日本の成長神話を支える背景にあったのは、データ改竄などの組織的偽装、真実を追求も報道もしないマスメディアの隠蔽、一部の為政者によるシステムの私物化などが多方面に行われた結果だからです。これらを偽装して世界を欺くことができたのは、物理的距離と日本語の壁があったからです。しかし、これらが近年のオーバーツーリズムとAIの台頭によって脆くも崩れ去ります。オーバーツーリズムは肌感覚で嘘を見抜く力となり、AIが言語的障害を無化した結果、これまで殆ど国際的に知られることのなかった日本の諸問題の病巣が、次々と暴かれることになったのです。それは多方面に影響を見せていますが、K-popが世界的躍進を遂げたことに対して、J-popは帝王と呼ばれたジャニーズ事務所のジャニー喜多川の犯罪行為によって地に堕ちたことに典型的です。そもそもこの事件も、日本のメディアは一切報道せず、Youtuberを経由したイギリスのBBC側の告発によって世界的問題に向かいましたが、その後も日本側のメディアは全く追求も何もしていません。
こうしたことは無数にあります。まだ各界のドンと呼ばれる利権の覇者が生きていることもありますが、彼らが没すれば、これまで隠されていた事件は次々と知られるでしょう。全ては1990年代に日本がグローバルな透明性社会へ向かうことなく、引きこもることによって利権を維持することしか考えなかったことの結果です。こうしてハードパワーもソフトパワーも失い、しかもデジタルテクノロジーの潮流も放棄した日本の姿が世界に晒される時を迎えているのが現在です。これは最近起きたことなのではなく、特にこの30年程度のシステム、さらには2010年代の第二次安倍政権と、その正統な後継者を自認する現・高市政権において形成されてきたものです。ゆえに「失われた30年」などと呼ばれるのですが、既に「失われた40年」に突入しており、日本という虚構が限界を迎える日は年々近付いているように感じられます。それに比例して、人々の関係性の痩せも深まっています。つまり、日本という像は、すでに終わりを迎えつつあるのです。
さて、ここで冒頭の問いに戻ることができます。その問いとは、仮に私の魂がこの時代を迎える日本に日本人として生まれることを決断し、いつまで生きるか分からないにしても、少なくとも現実にこの衰亡の姿に直面する経験を踏まえるならば、果たして自分は何を為す使命を持って、この世に生まれてきたのだろうかということです。この動乱の渦中で一体何を感じ、その中でどういう使命を自分で発見し、そしてそれを実行するのか。その使命は最終的に日本や日本人の未来に向けられるものであっても、もっと広い世界の責任とどう向き合い、どう使命を果たすのかということです。つまり、過去の日本の失敗を自分自身が繰り返さないことを大前提に、真摯に世界から学ぶ開かれた態度を持っているのかと自分自身に問い抜くこと。実は、これこそ私にとって最も困難なことです。だからこそ、今後の7年間はこの自分自身にとって壁と感じているこの点を、真摯に乗り越える期間にしたいと強く決意しています。
まだ自分の使命が明瞭なわけではありませんが、おそらくその鍵は、これまでの7年程度で培ってきた日本の探究から生まれてくるものだろうと予感しており、それを踏まえて、あるいはさらに研磨研鑽する形で生まれてくるものでしょう。同時に、これが日本人にとって最も難解なことかもしれないと感じますが、決して内向きにならないこと。もはや日本・日本人という虚構がグローバルでは崩壊した今、次は国内でこの虚構がシステムとしての崩壊を迎える時代を生き抜く必要があります。そしてこの時代状況は、160年前に近代日本を創成した明治維新と酷似しています。約300年も続いた徳川将軍家による江戸幕府のシステムの晩年の惨状は、現在と酷似する点が多い。そして幕府のシステム崩壊を予期した一部の人々は、次の時代に相応しいリーダー像を次々と提唱します。
実際、明治維新の主軸となり、明治新政府の要職を占めた長州藩の若きリーダーであった吉田松陰は、海外の進んだ技術や文化、政治体制や社会を肌で感じ取り、その上で広い視座を持って日本を見つめることのできる真の指導者を育てることが、日本の独立を守る最良の未来だと説いています。この信念に後押しされ、ロンドンに密出国して約2年間学び、日本に戻って近代日本を作ったのが伊藤博文や井上馨ですが、その他にも無数の若く意欲的な人々がドイツ、フランス、米国などに留学して西洋を吸収して近代日本を形成する原動力となりました。この姿が、まさに1990年代後半の韓国で起きたことです。
果たして今後、明治維新に匹敵する革命が日本で起きるのか。
その日が来るまで自分自身の使命を全うし、信念に屈することなく立ち続けたいと改めて身を引き締める35歳の一日となりました。