日本の罠 1Japan Trap, Part 1
Japan Trap1
今日は、一年で太陽が最も弱まると同時に、再び力を取り戻し始める冬至。この太陽の死と再生を思うと、自然のサイクルは人間にとっても未だ同じであることに改めて気付かされます。人間は、あまりに傲慢となり、脱自然化した生命体と自負してきましたが、傲慢は所詮は自惚れた傲慢に過ぎない。かつてどの国・民族も死と再生の反転点と考えて特別視した今日。今年、あるいは最近、良いことも悪いこともあったでしょうが、できれば今日全てをリセットし、いち早く新たな一年に踏み出しましょう。それを太陽は今も私たちに教えてくれています。
さて、冬至を迎えることは、これから先は光が増えて、満ちていくしかないという自然の摂理における絶対的方向転換が起こる時。しかし、太陽は一年で栄枯盛衰を繰り返し続けますが、人間の社会はそうはいきません。ですが、必ず人間の社会にも同じようなサイクルがある。そこで歴史的なサイクルにおいて、ある意味で近代の国家的自壊、あるいは民族的自壊の先頭に立っている母国の日本を見ていきます。
みなさんは、日本をどのように見ているでしょうか。一体、今の日本はどうなっているのか、そして、これからどこへ向かっていくのかという問いに答えることは、あまりにも複雑な世界において容易ではありません。欧米では先行して、右傾化と呼ばれる大きな潮流が始まってから既に久しい時を経ていますが、あまり日本の事情を知らずに一見だけでは、その波が最近になって、日本にも高まってきたように見えるのは当然かもしれません。実際、2025年10月21日に高市首相が就任して以降、右傾化と捉えられるような発言や、中国に対する一方的な攻撃パフォーマンスを繰り返しているように見える節もあるからです。
しかし、これは一体何なのかと問われた時、単純に日本が右傾化していると騒ぎ立てるような浅薄な見立てだけで、この事態が見えてくるのかと言えば、否です。そもそも、そうした捉え方の視点において根本的に間違っているのは、日本に対する実態とは乖離した虚像です。
確かに外から日本を見ると、未だに何かしらの虚像が前提とされるでしょうし、観光というレベルで日本を訪れれば、人々は見たいものだけを見るわけですから、日本人の現実的な暮らしや社会システムがどうなっているかなど、到底知る由もありません。ですが、1991年生まれで30代中盤に入ろうとしている私の経験からしても、1990年代後半からの日本で「失われた30年」と呼ばれる時代は、日本が転落する過程そのものだったことは認めざるを得ません。実際問題として日本人は今、相当な貧困状態にありますし、国民の心もそれに比例して荒み、未来への希望も絶たれたことから、社会も維持できないレベルにまで腐敗と不安、そして静かな緊張感を極めています。つまり、もはや為す術がないということです。要するに、日本は既にポイント・オブ・ノーリターンを超えたということですが、ポイントオブノーリターンを超えた巨大システムの国家と、そこに自己家畜化した一億人規模の国民がどうなるのか。その先例を邁進し続ける日本を参照することは重要でしょう。
つまり、政治や企業が今から何かをやる――例えば、現在の高市首相が「経済復興をやる」云々と勇ましいことを言っても、それは足し算の論理でしかなく、そんな段階はとっくの昔に終わっているのが事実ですから、虚言です。あるいは極右政党として既にレッテルが貼られている参政党の日本人ファーストにしても、加速する日本人と外国人の間の緊張と対立を解消できるかと言えば、まだまだ未知数です。冷静に見れば、日本はもはや何か対処をして間に合う段階を終えており、今更何もできない臨界点を突破したところに既に来ているのです。例えば、その最大の問題である少子高齢化に陥ることは、30年以上も前から分かっていたことですが、何も手を打ってこなかったという確固たる事実があります。つまり、この30年間の日本は、そうなることが分かっていながら、何も手を打たないことを自ら証明してきたのです。
そこで今回は、外部からでは決して理解できない日本の内実を、独自の視点で洞察していきます。一体、誰が日本のオーナーなのか。
注目すべきは、急激な経済成長を遂げた20世紀後半の動きに準じて、強固になった社会システム(別名: 世界最高の国民相互監視システム)の樹立から、バブル経済の崩壊を経て、その時代に官僚主義の強固なシステムが復活した事実です。それ以降の30年という歴史が、今大きく揺れ動いています。日本のバブル経済崩壊は、一般的には1997年11月の山一證券の破綻において象徴的に語られますが、その辺りを基準にすると、それ以前とそれ以後の日本は全く違う国と捉えても構わないレベルです。実際、もしこの基準よりも前の日本を知っている方なら、現在の日本との違いに驚愕するでしょう。
私の個人的な記憶でも、この1990年代後半が明らかな結節点となっており、日本人の姿が変わる転換点だったように感じます。ただし、突然何かが消えたり失われたわけではなく、国民自身も気付かないほどゆっくり、徐々に衰退していったという見方が正しい。戦後の高度経済成長やバブル経済によって、大企業も政府も国家的にもかなりの資産を有していたため、本来であれば、国家財政破綻や危機などによって一旦悪い状況を全てリセットしなければならなかったにも関わらず、日本は保有資産が莫大であったため、リセットを延命することができました。つまり、急に倒れないのが日本の特徴なのですが、対照的に隣国の似通った事情とシステムを持っていた韓国は、1997年にIMF危機とも呼ばれる財政危機を経験したことによって、少なくとも日本よりは戦後システムをリセットする機会を得ています。ですが、これが日本はできなかった。そして日本の場合、保有資産の切り崩しを続けていればある程度は延命できるわけですから、ここから社会は全体的に、システム維持へと意識が向かっていきます。同時に、この日本の資産を求めて現在、野獣が群がっています。
この延命措置が社会的に方針化したことにより、ここから日本の魅力を自らで毀損する自傷行為の時代に突入します。なぜならば、企業はかつてのように、次々と世界を驚かせるような技術や製品やサービスを発表することをやめてしまい、保有資産を切り崩して延命するゾンビ化が加速したからです。この時、企業の経営者や上層部は自らの任期に何も問題が起きないことだけを評価し、株主だけを見る病理に陥ります。それに応じて、企業内では新たな企画は通らなくなり、前例主義が社会全体に徹底されていきます。この前例主義の徹底は、今や国民の実生活規模に深く浸透しており、この30年間の日本の成長を阻む動因となってきました。これは言い方を変えれば、一度たりとも失敗は許されないという極端なイデオロギーなのですが、要するに減点方式です。
失敗したら学んでやり直せば良いだけですし、日本の高度経済成長など、そもそもその結果生まれたものだったわけですが、反転して失敗を許さない極端な社会が形成されていき、勢いのあった国民は、徐々に生きること自体が息苦しくなり始めます(この辺りで国際的に先行して自殺、引きこもりが問題になっていました)。
この30年の日本の基本方針は、「何もするな」です。「何かをする」人物は、即座にキャンセルされて社会的に抹殺されてきました。普通に考えれば、何もしなければ衰退することくらい誰でも分かりますが、バブル崩壊という一度の失敗に固執し、1997年以降、日本は極端な国家規模の引き籠りに入ります。同時に、この時代に着実に進行していた病理というか腐敗が、この10年ほどで次々と明らかになりました。それは、何もしないことによるシステムを維持するための不正の組織的横行です。
改めて振り返ってみましょう。20年前に、一体誰が東芝やシャープなどが消え去るような事態を想像したでしょうか。日本どころか世界を代表する大企業と言われた組織は、今や軒並み破綻や悲惨な始末となっていますが、これは要するに、それまでに蓄えてきた資産を切り崩して延命してきたに過ぎないからです。この日本が延命に切り替わった千載一遇の機会を見逃さなかったのが、隣国の韓国企業です。ここでサムスンやLGの国際的躍進が日本企業の衰退と呼応して始まりました。
ちなみに、ここはイメージが付きにくいでしょうから、世界時価総額ランキングトップ50社の1989年と2024年を見てみましょう。これだけでも、私が何を言わんとしているかは一目瞭然です。
<データ>
ここから理解できるように、厄介なのは、1990年代までにかなり資産の体力があったことから、2024年には日本企業が国際競争力を完全に失っても、日本が延命できてしまったことです。本来であれば、市場原理でとうに淘汰されていなければならなかった母体の大きな企業たちが、淘汰されずに延命してしまったことの弊害は、実は日本の若者たちのチャンスを完全に握り潰す結果となったのです。私はこの時代の流れと完全に同期していましたので、痛いほどこの問題が理解できます。
事実、1990年代前半までは、日本は若者にチャンスが回ってくる時代で、斬新なアイデアなどは、失敗しても良いからやってみようという社会の気風がありました。今、世界中の若者が日本のカルチャーを消費している姿を見かけますが、これらはそうした気風の時代に生み出されたものに源流を持ちます。しかし、私が高校を卒業した2009年前半頃、そして友人たちが社会に出る2010年代前半の段階になると、若者にチャンスを与えない、徹底的に潰すという歪な社会構造が強固に成立していました。典型的なのが前例主義ですが、これまでにやったこと以外のことには絶対に手を出さず、新しいことをやろうとすれば、潰すという具合です。こうした風潮が個人、企業、社会、国家レベルで全体的に高度に統治されているのですが、これに対して全体主義や資本主義という見方はあまりにも無知で甘すぎます。こればかりは、日本社会で生きた経験がなければ、絶対に分からないことでしょう。日本の相互監視システムは、尋常ではないほど強固です。
ただし、失われた30年という言葉の響きに惑わされてはいけません。こうして疲弊の度合いを強めながらも、ある一定の年代までは、日本にはまだ勢いがあったからです。その流れが決定的に変わり、止めとなったのが2011年3月11日の東日本大震災です。ただし、東日本大震災が日本の衰亡を招いたのではなく、その少し前に、日本が変わるか変わらないかという重大な未来を決する最後のターニングポイントがありました。まずは、そのように私が考える時代から見ていきます。それが、震災から少し前の2009年です。
2009年8月30日の衆議院議員選挙で、戦後を通じて一貫してほとんど独裁状態を維持してきた自民党政権が崩壊し、野党の民主党が単独過半数を大幅に上回って政権交代するという画期的な出来事がありました。この時、民主党政権を主導したのは、幹事長・小沢一郎と首相・鳩山由紀夫でした。彼らは、自民党政権(つまり自民党の利権に関わる為政者)のシステムが、時代の変化に対応するどころか、むしろ成長させないことに重きを置いていることに反発し、国民が相対的に困窮する自民党の方法を、徹底的に破棄することを決意して立ち上がりました。つまり、政権交代時の小沢と鳩山が率いる民主党政権の意図は、日本の成長を阻む悪しきシステムをリセットすること自体にありました。
しかし、今の日本を見れば理解できますが、いつの間にか自民党政権が復活しており、民主党は形骸化して分裂し、たった10数年前の姿はどこにもない始末です。一体、この過程で何があったのでしょうか。この流れを見ておくことによって、日本がなぜここまで衰亡したのか、そしてここからどこへ向かうのかが見えるようになります。問題は今、起きているのではありません。
民主党政権が呆気なく崩壊した理由を端的に言えば、小沢ー鳩山が着手しようとしたシステムのリセットと刷新が、「何者」かの逆鱗に触れたからです。
まず、第二次世界大戦後に、米国は日本を見えない占領として統治するシステムを構築しましたが、ここには米国側だけではなく、当然、日本側でそのシステムを維持するために働く人々が必要です。それが主に現在の財務省と外務省(アメリカンスクール出身者)などが構築する官僚システムとマスメディアですが、これを「日本式システム」の表とすると、そのシステムを統治する裏には在日米軍がいます。この強固な利権のシステムは、戦後から変わらず今日も維持されていますが、実は小沢ー鳩山は、このシステムをリセットすることを画策していました。
理由は明白です。米国と日本の一部の為政者が結託して、日本人を統治しているシステムに反旗を翻すためです。別にここで大袈裟な陰謀論を語りたいのではなく、ただ、日本人が日本のことを決めるという当たり前のことを実行したいだけですが、それがこのシステムの存在によって全くできないのです。
中でも小沢ー鳩山が着手しようとしたのが、日本で「裏天皇」とも呼ばれる在日米軍と距離を取ることの実行でした。なぜならば、従来の日本側の為政者は、例外なく米国という権威を悪用して日本人の統治を行なっているだけに過ぎず、実質的な司令塔は在日米軍だからです。つまり、ここと距離を取れば、日本側の為政者を崩壊することは容易です。実際、鳩山政権樹立後、首相自ら先導して取り掛かった最優先事項は、米軍の普天間基地(沖縄)の移設問題でした。
当時も今も、小さい沖縄に在日米軍の半数以上が駐留しており、日米同盟の負担を沖縄だけに過剰に押し付けているという問題がありました。要するに、半数以上も米兵が同じ場所に駐在している以上、強固な統治システムが持続するわけです。そこで鳩山は、この沖縄の普天間基地を「最低でも県外」に移設ということを繰り返して発言します。この意図としては、日本から距離の近いグアムやサイパンなど、米国領への移設を本願としていました。つまり、最低でも日本国内の米軍基地を他地域へ分散させることによって、日本を統治するシステムの強固な指示系統を少しでも弱体化しようと試みたのです。
この小沢ー鳩山の動きだけでも、日本の宗主が未だに戦後日本の占領利権を持つ米軍であることが見えてくるはずです。仮に日本の宗主が日本人自身で、それが例えば官僚機構であるならば、即座にその機構にテコ入れをすれば良いのに、ここで彼らは執拗に米軍の基地問題を取り扱いました。ここが見えない占領システムの統治機構だということは、良識ある日本人なら誰でも知っていることだからです(ただし、絶対に表では言えません)。
こうして民主党政権が樹立するなり、彼らは米国との距離を米軍を通じて見直し、日本独自の路線を進むという戦略を根底に置いて、長期計画で日本を見えない占領状態から脱して、真の独立国家として歩む未来を真摯に考えていました。しかし、在日米軍との関係を見直そうとしたことが、「何者」かの激鱗に触れ、9月中旬に誕生したばかりの鳩山政権は不穏な流れに未来を阻まれます。同時に小沢ー鳩山は、この意図に連動する「あるもの」を廃止しており、それが「何者」かの逆鱗に触れました。それが、「年次改革要望書」と呼ばれるものです。
聞いたことがないかもしれませんが、年次改革要望書とは、米国政府が日本政府に対して、規制緩和や市場開放などの具体的な経済政策の変更を毎年要求する文書のことです。名目は両国の経済発展と聞こえは良いですが、内実は第二次世界大戦の勝者である米国の要求を、敗者である日本側が言う通りに対応するという絶対服従関係です。つまり、一つの国の経済など、他国の意図によって、どうにでもなるということです(バブル経済誘導から崩壊が典型です)。「交換」などと言っていますが、1994年に最初の要望書が始まって以降、2001年からはより強制力を強めたものになっており、日本側は言いなりになって従ってきたものです。この明らかな米国の日本への内政干渉を見過ごせない小沢ー鳩山は、この年次改革要望書を廃止します。読者の方々は自立国家で生まれ育ったでしょうから、こうした事情は中々イメージし難いでしょうが、要するに日本が独立国家になるための措置だったということです。そしてこれも、「何者」かの逆鱗に触れます。
おそらく、読者はそこまでこの日本の流れに馴染みがないでしょうから、改めてこの時代の流れを振り返ってみます。年次改革要望書もそうですが、当時の民主党政権による米軍基地移設の政策が、「何者」かの逆鱗に触れたという点を頭の片隅に入れながら読み進めてください。
まず、政権誕生から間もない2009年12月24日のクリスマスイブ。突然、検察が鳩山首相の元秘書を、政治資金規正法違反で在宅起訴したことから始まります。この時、この直接的に問題に関わった元秘書をターゲットにするのではなく、6月時点でマスメディアが執拗に問題視していた鳩山首相自身の脱税疑惑へと問題を摺り替えて、大々的にニュースにし始めて、首相に対する一斉攻撃を開始します。私はこの当時18歳でしたが、振り返ると、いきなり鳩山首相に対するマスメディアの一斉攻撃が「何者」かの指令を契機に始まった印象を持ちました。それほど毎日、しつこいほどあらゆる鳩山首相の「悪いイメージ」を植え付けるためのニュースしかやっていませんでした。日本のマスメディアはShitsuraeで触れているように、日本の情報統制を握る在日米軍横田基地の管轄です。つまり、鳩山の政策を気に入らない連中が、自由に動かせるマスメディアを使い、鳩山個人への一斉攻撃に打って出たということです。
そして、まずは鳩山首相が処刑台に挙げられた出来事を発端として、続いて年が明けた2010年1月15〜16日になると、今度は東京地検特捜部が動き、小沢幹事長の資金管理団体の土地購入を巡る疑惑を建前に、秘書3人の緊急逮捕に踏み切ります。この時、民主党幹事長(No.2と考えてください)の小沢の事務所に強制捜査が入る姿がマスメディアを通じてニュースで大々的に報道され、また現職の国会議員である秘書が逮捕されるニュースが日夜流れたため、民主党政権に対する国民のイメージは失墜します。当時はまだ、日本ではソーシャルメディアが一般的ではなく、国民の大半の情報源はマスメディアでした。
ここで、民主党政権のNo.1とNo.2を一斉攻撃して基盤を動揺させると、さらに追い討ちをかけるように2010年4月27日に、検察審査会が同問題で不起訴だった小沢に対して、今度は一転して、起訴相当(裁判にかけるべき)と議決します。これによって、民主党内で幹事長の小沢を退任させる動きが始まり、同時に鳩山首相の責任能力が問われて、二人に退任を迫る動きが加速します。こうして2010年5月に入ると、鳩山首相は当初の勢いを完全に失い、「最低でも普天間基地を県外に移設する」と強硬主張していた政策を撤回し、この移設問題を断念することを発表しました。この結果、2010年6月2日に民主党両院議員総会で退陣を発表、二人ともに辞任するという事態になります。
日本国民を見えない占領から救い、母国を自立国家にしようとした指導者たちが、姿の見えない「何者」かの激鱗に触れたことで、あっという間に社会から追放されたのです。特に驚くべきことは、この時に日本の政権を担う首相と幹事長の2人が、同時に追放されたことです。この衝撃的な出来事を、私は日本式キャンセルカルチャーと呼んでいます。ちなみにですが、強行的に「何者」かの意図によって強行された小沢の裁判は、2012年4月時点で無罪判決となっています。つまり、何も問題のなかった小沢をターゲットに、マスメディアと結託して、スキャンダルを捏造してキャンセルしたのです。もう一つ、鳩山の脱税疑惑も2010年5月に不起訴となっています。検察や東京地検という日本の国家権力が当時政権のNo.1とNo.2に対して、碌な証拠も根拠もなく即座に動いたということは、この「何者」かはそうした組織を自在に動かすことのできる権限を持っているということです。検察や地検を一声で動かせるということが、何を意味しているのかは何となく察しが付くでしょう。
この出来事を頭に入れておいてください。ここで日本が独立国家になる道は完全に絶たれました。これ以降、「何者」かの言いなりでしか動かない政治家と官僚が、次々と日本を殺していきます。現代日本は、見えない占領の下で自滅したというのが私の見立てです。
この二人の辞任は、イコールで「何者」かの意向に沿った民主党政権内の人材が登用されることを意味しています。結果、続いて民主党の菅直人が首相として就任するも、2010年7月の衆議院議員選挙で大敗したため、衆議院と参議院で多数派が異なる状態となり、法案を通すことが困難になります。そして2011年3月上旬、今度は菅首相の資金管理団体が、在日韓国人の男性から政治献金を受けていたことが発覚し、日本の政治資金規正法では外国人からの献金を禁じるという理由から、野党・自民党が猛追及、今度も連日マスメディアはこの問題ばかりを報道します。こうして退陣は時間の問題と言われていた矢先、決定的な出来事が起きます。
それが、2011年3月11日の東日本大震災と、それに伴う福島第一原発事故です。ここで菅首相の政権は未曾有の国家的危機の対処のために延命しますが、原発事故への対応や、無数の情報の非公表などが問題視され、マスメディアは継続して民主党批判を続けていたため、国民の不信感が爆発し、「菅首相では震災の復興が進まない」と東日本大震災を建前の言い訳にして、退陣要求が噴出する事態となります。結果、8月に退陣すると、続いて民主党・野田佳彦を首相とする政権が発足。しかし、野田首相は選挙時の公約を破り、震災復興財源と社会保障安定を理由とする消費税増税を掲げます。重要なことは、この法案に猛反発したのが、小沢一郎だったことです。
戦後の見えない占領状態から脱却し、真の自立した国家において、日本人が日本のことを決める当たり前の未来を実現するために、政治家として生涯をかけていた小沢一郎は、なぜこの野田首相の消費税増税に反発したのか。実はここに、ナオミ・クラインがショック・ドクトリンと呼んだ事態が起きています。肝心な点は、この菅直人から野田佳彦の流れにおいて、彼らは一言も米軍問題に触れていないことです。つまり、民主党は政権交代をしたにも関わらず、在日米軍と距離を取ることを目指した小沢と鳩山が「何者」かの逆鱗に触れて、一年も立たずに社会的抹殺された姿を見て震え上がってしまい、「何者」かの意図に反することはしないという自民党の政治家同様の無様に陥ったということです。
この消費税増税が震災復興のためとは名目だけです。実態は、民主党政権発足後に小沢ー鳩山の動きが「何者」かの逆鱗に触れたことに対する、民主党側からの「何者」かに対する慰謝料(上納金)です。つまり、「何者」かの逆鱗に触れたため、その怒りを鎮めるために、増税して日本の国民から吸い上げた金をそのまま献上するということによって、民主党政権を維持することを担保してもらい、自民党側との間に形成されている利権を分けてもらうということです(ちなみに、自民党はこれを今も普通にやっていますが、マスメディアは絶対に追求しません)。びっくりするかもしれませんが、この増税から「何者」かへの上納金の献上システムは、未だ微動だにしていません。一体、日本国民の納めた税金は、どこに消えているのでしょうか。
この歪な金の流れを政治のトップの世界を生き抜く過程で痛いほど熟知していた小沢が、消費税増税という国民負担を掲げた同じ民主党の野田政権を強烈に批判したのには、この背後を読み取る必要があります。一体、誰が本気で日本・日本人の未来を考え、行動をしていたのかということです。
こうして小沢は、民主党が3年も経たずに既存の日本式システムに完全に屈服したことを察知して、即座に多数の議員と共に民主党を離党し、自ら国民生活を第一に考える政党を結成する動きに向かいます。これにより、民主党は完全に形骸化してしまい、政権基盤は崩壊。なぜならば、こうなると民主党は自民党の腐敗と同じであり、同じだったら利権維持の上手な経験豊富な自民党で良いということになるからです。事実、2012年12月16日に衆議院銀選挙が実施すると、民主党は議席数を230から57と4分の1に減らす大敗を喫して再起不可能となります。
ここで単独過半数を獲得して、再び政権の座についたのが自民党です。この時、日本から野党という存在は消え去り、今まで以上の自民党独裁状態に入ります(厳密には、自民党内の派閥争いがあります)。こうして圧勝した自民党で首相に返り咲いたのが、安倍晋三でした。安倍首相は、2006〜2007年にも首相を務めたことがあったので、これを第二次安倍政権と呼びます。ここから、戦後日本最長の安倍一強時代が始まり、たった13年程度で、日本・日本人が極端に衰亡する現在の未来を築くことになっていくのです。
補足しておくと、日本では、この程度の内容を社会的に知名度のある人物が公に話すだけでも、即座に社会的抹殺、時に命に危害が及びます。個人的には、第二次世界大戦を直接知らない私たちの世代だからこそ、今、改めて考えなければならないように思います。なぜならば、第二次世界大戦はまだ終わっていないからです。重要なことは、占領というのは常に占領側の権威に限定されるなどということはあり得ないこと。占領とは、常に双方向の権威が協働しているという事実を、私は日本側の洞察から確信しています。私が大好きな1960年代の映画作品の脚本を多く書いた脚本家・石堂淑朗は、1995年に『日本人の敵は「日本人」だ』という著作を発表しましたが、どの国も同じことです。本当の敵は外部ではない。自分たちの内部にこそ、真の問題は寄生虫のように蠢いていることを知らなければ、国家も民族も改革することなどできないのです。
一体、日本に真の改革が起きる日は来るのか?
それを理解するためにも、次の記事では、今一度改めて、なぜ安倍晋三の一強時代が問題で、そして2022年7月8日に安倍晋三が殺害された事件に繋がったのかを洞察しながら、その背後に蠢く「ある組織」の存在が、現在の高市首相の強硬的な右傾化パフォーマンスに繋がっているという、「外からは決して見えない日本の事情」を内部から見ていくことにします。