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日本の罠 2Japan Trap, Part 2

Japan Trap2

「日本は右傾化している」。海を隔てた異国のメディア、あるいは手元の小さな液晶画面の向こう側で、その言葉は呪文のように繰り返されています。攻撃的な言葉を放つ政治家、排外的なスローガンを掲げるデモ、書店に平積みされる日本でヘイト本と呼ばれる商品群。それらは一見、この島国全体が文字通り右傾化しているように見えることも仕方がないのかもしれません。しかし、この国の内部に身を置き、日々の営みを静かに見つめ続けている私には、その一方的で断定的な言説に対して違和感、つまり現実との致命的な乖離を感じざるを得ません。物事がいつまでも白か黒かで決まるなら、これほど簡単なものはない。

ですが先行する欧米の「右傾化」がそうであったように、単純化こそが本質を見誤る致命的欠陥です。なぜ、自分たちの国や地域の洞察でさえ失敗したにも関わらず、相変わらず反省することもなく、単純に遠く離れた国のことを「右傾化」と断定できるのか。逆に言えば、本当に、日本人は右傾化しているのでしょうか。

日本人が右傾化しているのではなく、一部が極端に右傾化しているのだとすれば、どうでしょうか。そしてその一部とは、実は政治家だとすれば、どうでしょうか。言い方を変えれば、国民全体が右傾化していないにも関わらず、政権を握っている政治家だけが暴走して極端に右傾化している。実は、この視方こそ日本を見る際の要点があります。つまり、一億人規模の日本国民全体が、右傾化しているのではない。右傾化しているのではなく、右傾化したのは、一部の政治家などに限られるということです。

ただし、この右傾化の規定も私から見ると稚拙を極めており、近代日本の始動期である明治時代に登場した右翼の動きを深く洞察している私にとっては、当時の右翼の巨頭である政治結社・玄洋社の頭山満、あるいは黒龍会の内田良平などには心腹しているが、彼らの次元での右翼と、現在言われている右翼は、言葉は同じでも全く別物です。本物の右翼とは不思議な言い方でしょうが、少なくとも、現在の右翼という規定は私にとっては別段右翼ではない。ただの幼稚な勢力による私利私欲とシステムの私物化以外の何ものでもありません。

確かに、国内では反外国人感情と呼ばれるものが高まっていることは事実です。しかし、それは事実というよりも、むしろそうなることが当たり前であるということは、今年一年だけでも各地を動き回った私の実感として抱くところです。日本の外国人受け入れ政策は、特に欧州の失敗から何も学ばず、ただ二つの軸から展開されてきました。一つは、日本の経団連と呼ばれる自民党政権に強い影響力を持つ経済団体の意向です。彼らは、とにかく安く使える労働力を求めていますから、その労働力を他国から呼び寄せれば、あとは知ったことではないというスタンスです。もう一つは、欧米の圧力です。彼らは自分たちは移民や難民をこれだけ受け入れているのだから、日本もその責任を負うのは妥当だと強硬的に主張。この結果、日本は一般的に外国人を受け入れていないと言われますが、相当数を受け入れる結果となっています。そもそも、大陸で異民族との接触を歴史的に持つ欧州とは異なり、日本は彼らの言う意味での移民や難民とは全く歴史的接触もなければ、共通点もない遠く離れた国です。

ただ、こうした軸を持って急増したのはこの10年程度の話です。そしてこの表層的な問題に目を囚われてしまうと、静かに、確実に浸透して問題となってきた旧世代の移民の姿が隠れてしまいます。むしろ、現在日本国内で起きている反外国人感情と呼べるものの本源は、こちら側にあります。例えば、埼玉県川口市はクルド系移民が集い、既に日本人コミュニティと衝突を続けており、川口市は東京とも近接しているため、東京界隈の人々もソーシャルメディアなどを通じた反クルド感情を高めていることを、東京の友人などを話すと強く感じます。あるいは、愛知・静岡・群馬などの一部地域では、戦後史におけるブラジル系移民のコミュニティがありますが、完全に日本人コミュニティとは接触がない状態となっており、また自動車産業の栄光も終わりを迎えつつあるため、失業者が急増して犯罪が爆増しています。

このような細かい事例は無数に挙げることができるのですが、同時に東京という誰もがイメージするような最大都市とて同じことです。外国人にはあまり知られていませんが、東京は23区からなる都心部、そして多摩地域、島嶼部から構成される比較的広大な地域です。この多摩地域は馴染みがないでしょうが、一応東京であるにも関わらず、非常に自然豊かな土地で山も川もあります。そしてもし東京に長期滞在する機会があれば、ぜひ読者に見てほしいのが、この23区の差異です。感覚的に言えば、ロンドンが大きくノース・ウェスト・イースト・サウスによって全く様相が異なるように、似たようなものがこの23区にはあります。

特に誰もが来訪する繁華街有する新宿区で言えば、もう新成人の半数近くが外国人となっています(2025年1月時点で対象者4,337名のうち、外国人は2,031名)。東京は既にこの23区に限ると今年頭の時点で約60万5,000人の外国人が居住しており、都心部の総人口に占める割合は6.1%にも達しています。そして東京の人口数は急増を続けていますが、この中心となっているのが外国人であることも見逃せません。事実、2025年1月時点の東京都人口は約1,400万人で、前年比約9万人増加しているのですが、このうち8割に相当する約7万4,000人は外国人増加です。

一体何が起きているのかと言えば、東京一極集中の近年の実態には、大量の若者が地方から東京に転入して増加しているというよりも、むしろ東京に憧れた外国人が殺到しているというのが正しい視方です。確かに私は東京に2010-2017年末まで住んでいましたが、当時は今のようにそこら中に外国人がいるようなことはありませんでした。なぜ、東京で反外国人感情が高まっているのかは、この急激な急増と無縁ではないはずです。実際、25年前の23区全体で外国人数は登録されているだけで239,143人でしたが(未登録が非常に多いのも問題)、何と2025年は605,506人と激増。失われた30年という流れにおいて、もう東京はかつての東京ではなくなっているのです。

日本、それも東京23区などそれほど大きな地域ではなく、非常に狭い地域にオーバーポピュレーションが起きているわけですが、問題はこの中で極端な分断傾向が表れていることです。これは区における外国人割合を東京都の発表から見るとよく理解できます。外国人が急増する状態に為す術がなくなってしまったのが、外国人比率で言えば新宿区(13.5%)、江戸川区(11.8%)、荒川区(10.5%)、台東区(9.1%)、北区(8.7%)となっており、新宿区は既に7人に1人が外国人となっています。しかし一方で、この外国人過多の状況を嫌がり、日本人が流入して外国人比率が非常に低い区もあります。それが世田谷区(3.0%)、練馬区(3.5%)、杉並区(3.8%)、目黒区(4.0%)、品川区(4.0%)です。つまり、既に東京は小さな密集する23区の中で大きく分断しており、もう少し正確に言えばモザイク化しています。

そしてこの東京のモザイク化が全国規模に地域レベルでなっているというのが実態でしょう。既に日本国内はモザイク化が進んでいるため、随所で日本人と外国人の間における衝突が起きるのは避けられないわけですが、ただし欧米と大きく異なる点を個人的に考えてきましたが、それはもしかすると「犯罪」という観点にあるかもしれません。特に私の居住する大阪は、この10年でベトナム系移民が日本一多い地域となりましたが(実際、そこら中にいます)、彼らの特徴は比較的小柄で温厚であるため、小さな犯罪は起きますが、深刻な治安悪化を促すような犯罪は発生し難い。もちろん今後は分かりませんし、今年各地を回って気づいたことは、急速に従来のベトナム系移民から、主軸がパキスタン系などに変わっていることです。もし、移民の地域が変わることによって犯罪の質が悪化し、治安悪化へ陥るならば、それこそ自民党政権の思う壺でしょう。

つまり、私は個人的な体感を踏まえても、日本の右傾化、あるいは排外主義という観点は、どうも腑に落ちないことが多い。むしろ東京23区の実態を含めて一部の地域は、既に外国人問題と呼ばれる事柄に対して、今更手を打つ術はないだろうというのが正直なところです。それだけ、もう移民は入り込んだということです。移民の質を考えず、無闇矢鱈に数だけ詰め込み、あとは国民に全て問題を押し付けるという日本式システムは、一体何を意図しているのでしょうか。単純な右傾化、排外主義という文言に踊らされず、私が考えたいのはここです。システムがなぜ、こうしたものを許容してきたのかということを考えることによって、逆説的にこれから起きるリスクを予見できるようにも感じるからです。

日本人最大の特徴として忘れてはならないことは、母体数がどの規模であれ、一度大きく動けば、全員が同じ方向に向かって動くという民族的性質です。これは良いことも悪いこともある。例えば、良い場合は高度経済成長期が典型です。国民全員が一致団結して、「経済発展」という目的に身を粉にして邁進した結果、20世紀後半の劇的な経済成長を遂げたからです。一方悪い場合は、戦前の陸軍主導の暴走による軍国主義化が典型です。今もこの性質自体は変わっていませんから、ある時に大きな出来事があり、それを契機に政権の指導者たちがいずれかの方向に動かすことができるなら、一気にそれこそ右傾化・排外主義の実現となるでしょう。別な視方をすれば、今はこの「契機」を作っているとも言えます。そして重要なことは、政治家自体にそうした権限も決定権もないということ。彼らは背後で議決された決定事項をただパペットとして遂行するだけの権限しか持っていません。

ですが、仮に自民党政権の中で政治家がこの契機を作りながらも、国民を一気に動かす力を持たずに失敗したとすれば、どうなるでしょうか?実は私は日本の未来は、むしろこちら側に向かうのではないかとも考えています。要するに、この契機は着実に自民党政権下で準備されていくでしょうし、日本は実際に核武装(米国からのレンタル含む)や再軍備・徴兵制などを復活させることは既に既定路線となっています。ですが、ここで仮に自民党政権が崩壊、あるいは自民党内部の覇権が大きく動くようなことがあり、これまでノーマークの人物が突如登場してカリスマ的手腕を発揮したならば、歴史はどのように動くでしょうか。こうしたことは、歴史的に頻繁に起きることを私たちは知っています。つまり、自民党政権の動きはある程度読み切れるのですが、このノーマークの人物はおそらく未だ政治家として登場していないため、誰も予測不可能です。

かなり杜撰な考察ですが、なぜこのような前提条件を連々と述べたかと言えば、これらを総合的に踏まえてこそ、第二次安倍政権から始まった日本を終わらせた自民党政権が、一体、どのような思惑で動いてきたのかといういことを考察することに至れるからです。

改めて考えてください。一つは、安倍晋三が2022年7月8日に殺害された事件以降、彼の存在によって蓋をされてきた自民党政権背後の存在が浮上してきましたが、その筆頭格が、なぜ韓国側に本拠を構える宗教団体の統一教会だったのか。そして日本では日本側の統一教会への解散命令の問題が起きているようですが、韓国側でも統一教会の解散命令を前提とする動きが起きています。彼らの解体は、何の終わりを意味しているのか。そして誰が解散を促しているのか。

もう一つは、自民党政権の背後に居るのは、本当に統一教会だけだったのか。

この二つを考えることによって、驚くべき日本の姿が見えてきます。表面的には平穏で平和を謳歌しているように見える日本。しかし、その内実は、ある時代の鎖に未だに縛られたままの巨大な国家システムの末路だということです。

昨日の記事では、第二次世界大戦直後の「見えない占領」を示唆しましたが、ここに見えない占領を前提として重層化した冷戦時代のシステム、別名「反共の砦」があります。そして真の問題は、この反共の砦を構築した当時の施工主の組織の一つが、今も姿形を変えて延命していることです。第二次安倍政権樹立を悲願としたこの組織の存在。安倍晋三という宗主を失い、一時は自民党政権への影響が失われたように見えるも、再び高市首相を担ぎ上げて未だに粘り続ける組織の存在。まるで彼らは高市政権を最後のチャンスと見ているかのように、強硬的な発言やパフォーマンスが首相を通じて発信し始めています。

その組織の名は、「日本会議」。

日本の戦後は、まだまだ終わる様子がありません。

"Japan is listing to the right."