能登半島を一周してAround the Noto Peninsula
久しぶりに能登半島を反時計回りに回ってきました。5年ほど前に能登半島の沿岸風景に登る朝日を撮りたいと思い立って巡ったことはありましたが、それ以来久しぶりにこの地を訪れました。そして5年前と現在では、能登半島の事態は大きく異なります。それが2024年1月1日に起きた能登半島地震です。
今回、変わり果てた能登の姿を見つめながら、かつて2011年3月11日の被害日本大震災で壊滅的被害を受けた三陸沖を巡った記憶が蘇り、改めて現代の「復興」の意味を強く問い返す契機になりました。
まず端的に言えば、日本の「復興」とは誰かが勝手に決めて好き勝手に進めるものであり、その時代の政治や経済の都合によって一部の人々によって全てが方向づけられてしまうということです。この時、災害の被災者は対象から無視され、日本では全てが密室で被災者なき決断が横行します。実際に今回驚いたのは、もうすぐ地震から二年が経つにもかかわらず、まるで最近地震が起きたのかと思うほど状況が悲惨なことです。能登半島は非常に広大ですが、南部の主要地域である七尾市はそれなりに復興して暮らしが成立するレベルになってきていますが、被害の大きかった北部一帯は未だ壊滅的です。
車を走らせていると、電柱や看板は傾いたまま、複数の家が倒壊した状態で放置され、無数の家のガラスが割れ、屋根が剥がれ落ちて廃墟となっているところも多い。さらに北部の山間部は今も全体レベルで土砂崩れが起きており、交通は随所で制限される状態が続いている上、未だ多くの人々が簡易な仮設住宅で生活を余儀なくされています。
日本は地震が多い国であること、そして時代を考慮して能登の現況を見ながら考えたのは、もはや私たち自身が決断し、新しい暮らしどころか生きるために新たな道を探し始めなければならない時代に入っていることです。同じことは国家や地方行政にも言えますが、もはや日本はこれまでのように全員を助けるという社会主義的な力を失っていることから、切り捨てる決断を次々と行なっていかなければならないと感じます。ですが、高度経済成長以降の全体的な社会主義政策により、日本では誰も責任を取らず、痛みを伴う決断ができないまま疲弊が続いています。何より能登半島を周回していると、日々行われている復興が「一体誰のためのものなのか」が見えなくなっているのは事実に思え、何のために復興と題して大規模な工事が行われているのか誰も理解していないように感じます。
この感覚は、私が東日本大震災の被災地・三陸を回っていたときにも強く抱きましたが、現在の能登半島でも同じような雰囲気が漂っています。それは絶望の淵とも言えるものですが、ただ三陸と能登の復興において一つだけ異なるのは、その「速度感」です。2011年当時の地震とその後の三陸復興は、ちょうど自民党から民主党、そして民主党から自民党へと政権交代が続き、このショックドクトリンにおいて第二次安倍政権が発足した大きな政治の流れがありました。そのため、三陸の復興においては時代柄、「安倍政権であったこと」によって再建が急速に進みます。
それは裏を返せば、日本の政治家がいかにゼネコンと密接に結びつき、コンクリートの利益・利権のために動いていたかという証拠でもあります。中でもこの時代はゼネコンと過度に結びついた安倍晋三が首相となり、長期政権になったことから、東日本大震災後の復興は迅速・持続的に行われました。しかし、私が当時から感じていたのは、その速度の「乖離」です。政治家も官僚もゼネコンも「復興」を掲げて取り組んでいるように見えても、そこに被災者自身が見えておらず、全く被災者の気持ちが反映されていませんでした。何しろ、被災者が悲しみを癒すために必要な時間を無視して、とにかくゼネコンの利益のために、地震・津波によって破壊された町を一気に新しい町として作り替えることが横行します。そのスピードと人々の心の回復との間のギャップは、被災者の心を引き裂くものとなり、被災者は気づけば街が一変していて戸惑う状態に陥り、結果的に復興によって活性化は起きず、どの街も巡った限りでは生命が失われていました。
ここで改めて考えなければならないのは、「復興とは何を意味するのか」という問いです。本来、復興とは街、つまりコンクリート自体を前の状態に戻すためにあるのではなく、被災した人々の生活や文化を回復することでなければなりません。しかし日本の復興は、常に政治家とゼネコンの結託に基づいています。この関係を強固にしているのがマスメディアですが、彼らが語る「被災者のための復興」という表看板の裏で、実際にはゼネコンに多額の資金が流れる仕組みができあがっています。政治家にとっても金銭的利益の代わりに集票として還流されて当選頻度が高まり、官僚にとっては天下り先となり、マスメディアにとってはスポンサーとなります。つまり、この政治家・ゼネコン・マスメディア・官僚の結託による「復興」は、常に被災者は存在しません。これが意味することは、場所の生活や文化の回復には目も向けず、ただゼネコンにとって価値があるのはコンクリートを用いた建設と破壊の繰り返しであり、文化や生活の復興は彼らの利益にならないことから、非科学的として切り捨てられます。
これは、日本の市民社会がいかに弱体化しているかを示しています(というよりも、元々日本に市民社会などなかったとも言えます)。そしてこの傾向が顕著となったのが、安倍政権から十数年後に起きた能登半島地震です。一体、能登では三陸とは異なり、なぜここまで復興が停滞しているのでしょうか。その大きな要因の一つは、安倍晋三の暗殺による自民党・清和会の崩壊です。一般的に日本は自民党の一党独裁と見られますが、表向きには事実であっても、詳細は自民党内部の派閥にあります。この清和会は安倍晋三暗殺と共に崩壊しますが、安倍政権期には清和会が強大な力を持ち、復興を一気に動かす政治力が存在していました。しかし安倍晋三の死によって清和会は力を失い、現在の派閥とほぼ関わりのない石破政権に至っています。ですが日本では首相になるには各派閥の賛同を必要とするため、結局「人々を見ない政治」という点では何も変わっていません。
その証拠に、震災からすでに2年近く経っても能登では工事車両と工事労働者が道路や街を占拠しており、街中の数少ないホテルは工事関係者で埋め尽くされて予約が取れず、住民は自宅に戻れない状態が続いています。至るところで工事は日常的に行われていますが、東日本大震災後の三陸と比べても進捗は著しく遅れています。なぜなのか?実は
その背景にあるのが、多くの観光客も来訪したであろう大阪万博です。
大阪万博は短期間で建設し、終了後に解体できるという、ゼネコンにとっては非常に優れた利益構造を持っています。そのため、国と開催場所である大阪府は、本来であれば能登半島地震が起きた時点でリソースを能登の復興と人々の暮らしへ向ける必要があったことを理解しながらも、何と大阪万博に注ぎ続けてきました。復興よりも万博優先の姿勢が続いていますが、これは万博に流れる利権や利益は政治家や官僚にとっても旨味があり、しかも大阪万博が目的なのではなく、大阪の人々なら理解しているように、彼らの本願はカジノ建設です。つまり、本来であれば能登半島地震があった時点で、人道的観点からボイコットすべきであったはずの大阪万博が止められることはなく、多くの観光客も能登の人々を無視し、結果的に能登の人々は放置されて生活不能な状態を続ける羽目になっています。
この現実からも明らかなように、日本の復興の正体は「ゼネコンファースト」です。被災者のためという建前の裏で、政治家とゼネコンが結託し、自分たちの利益を最大化している。こうした構造に支配される中で、被災者は見捨てられ、復興という言葉だけが空虚に一人歩きしていき、しかもゼネコンは文化を無視するため、文化を毀損するという最悪の愚行が続きます。
そして三陸と能登を巡って感じることは、今後もし同規模の震災が日本各地で起きた場合、もはや能登の例を考えれば、「復興」を実現する力そのものが失われているのではないかという点です。ある意味、能登半島の復興は、日本における「最後の復興」になるかもしれず、今後、社会がさらに疲弊していけば、新たな震災が発生しても「復興」という言葉すら使えなくなるでしょうし、そこを実現する力もなくなっていると感じます。それはすなわち、日本から故郷が消えていくことを意味します。
実際、日本人は歴史的に震災や災害で幾度も住まいを失い、生活拠点を移動させてきました。しかし、その歴史は意識されず、いまは「復興」という名のもとに政治とゼネコンが主導する定住前提の破壊と再建ばかりが目立っています。本来の復興とは、人々自身が生活を取り戻し、文化を失わないことにあり、コンクリートを建造することではないはずです。能登を回っていると、かつての三陸と同じように「復興」という言葉だけが独り歩きし、人々の精神をさらに傷つけていることが分かります。特に田舎の能登は大きな一軒家で暮らすことが普通のため、この簡素で小さく密集している仮設住宅暮らしは耐えられません。ですが同時に、こうした日本の問題がある以上、被災者自身も決断しなければならないことは事実です。
日本では、また首相が替わると聞きましたが、結局のところ、政権交代や首相交替では何も変わりません。被災者を置き去りにした復興の構造こそが、日本の最大の問題であり、かつての社会主義体制で全員が豊かになった時代を忘れられない年長者たちが、何も自分たちで未来の決断をできないことが問題なのだろうと能登で感じ、今後起きる事態は能登以上に日本の終焉を告げるように思えてなりません。