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博多:食の質と夜店のゆくえHakata: The Quality of Food and the Night Stalls

今日は、福岡の博多にいます。多くの人にとって博多といえば、川沿いの夜の闇に提灯の明かりで賑わう夜店に出向いて夜食を楽しむでしょう。しかしながら、日本の外食における最大の問題は、食の質を担保できない、店側の融通が全く効かないことにあります。私自身、各地で調査旅を続けていますが、こうした理由から外食することはほとんどなく、大半は良質な食材を見つけ次第購入してホテルで自炊しています。それでも質の良い食材が手に入らない場合は、ナッツだけを食してその日を終えることもあります。各地で暴飲暴食し、自分の体に合わないものを食べて健康を害することは、調査が難航する最大のリスク要因であると捉えており、また頭の冴えや直感、移動速度も非常に悪くなるため、かなり厳格に避けています。

一般的に日本と言えば食の宝庫と思われていますが、世界一のレストラン数を誇る日本の外食産業の大半の実態は、決して健康だとは言えず、博多を歩くと乱立しているラーメン店など、絶対に入りません。そうした理由からこのような旅のスタイルになったのですが、ある意味これは現代の修行僧とも言えます。かつて山から山へ飛び回って修行した修験者のように、私は街から街へ移動しながら、街の人々から発せられる欲望の渦の中で自らを律しているのです。

そしてこの博多は、大阪や広島以西では西日本随一、九州最大の都市として知られています。何よりも九州北部を含めた九州全体の歴史を読み解くことは非常に難しく、多様な部族が交雑しながら複雑な歴史を歩んできたため、一筋縄ではいきません。しかし歴史的に、この九州から発した潮流が日本の歴史を度々大きく変えてきたのも事実です。代表的なものが神話で語られる神武東征です。宮崎県の日向に生まれたカムヤマトイワレビコ(後の神武天皇)は、東に理想郷があると聞きつけ、大和への東征を行い、最終的に奈良の橿原宮で即位したと伝えられています。これが今日の天皇の歴史の始まりとされます。

しかし一方で、九州は古代の倭寇や蒙古襲来などに象徴されるように、厄介な歴史の舞台となりました。そして幕末には西郷隆盛率いる薩摩の強力な藩士たちをはじめ、坂本龍馬の仲介によって長州藩と手を組んで倒幕を目指して立ち上がった多くの志士たちが日本の未来を思い、深い影響を与えています。しかし、この九州から日本史を一変する潮流が多数起きた歴史事実は現在ではあまり語られません。なぜなら、明治新政府の実権を握ったのは薩摩藩出身者ではなく、長州藩出身の役人だったからです。特に1877年の西南戦争で薩摩の人々が長州に敗北したことで九州勢は新政府における地位を失い、その後、中央の役人たちは官僚主義を前提に、幕末までの主張を一転させ、自らの権力掌握・維持に力を注ぐようになり、早くも新政府は形骸化します。これに反旗を翻したのも、やはり西郷隆盛を敬愛する九州の人々でした。その代表格こそ、先ほど私が墓参りしてきた頭山満です。

頭山は西郷に深く敬服した九州勢の一人で福岡の生まれでしたが、西南戦争の際には別件で投獄されており参戦できず、そこで西郷が死去してしまったため、それが大きな心残りであったと後に語っています。その後、亡き西郷に続く新たな九州の旗手として近代日本で名乗りを上げ、玄洋社という政治団体を通じて頭角を表し、絶大な影響を戦前の日本に及ぼしました。これにより「西郷に次ぐ人格者」として知られるようになり、頭山の名は全国に広がり、戦前にはフィクサー、右翼の大物として重視されます。さらに同じ九州出身の内田良平と組み、軍部が暴走を始める1930年代初頭には犬養毅を首相に担ぎ出し、日本を改革する夢に邁進しました。しかし犬養が五・一五事件で暗殺されると、頭山の力も政界から衰えていき、その空白を埋めるように陸軍が台頭します。

当時の頭山たちが説いていた「大アジア主義」は、アジア諸国に対する西欧列強の占領・植民地支配からの解放を目指したものであり、実際に複数の解放運動に頭山たちは独自に関与していました。しかし、頭山の発言力が衰えて陸軍が力をつけ始めると、西欧による占領からの解放運動が本質だった大アジア主義は、軍部が掌握した政府に都合よく改変されていき、国家的アジア主義として単なる西欧列強を模倣した侵略にすり替えられてしまい、アジア諸国の宗主を西欧から日本へ動かすだけの事態となります。その後、第二次世界大戦を挟んで頭山の名は次第に忘れられていきましたが、今でも彼を信奉する人々は少なくありません。

一体、九州に脈々と連なる歴史的な精神が、再びこの地から呼び覚まされ、日本全国に影響を与える日が来るのでしょうか。それとも、その気脈はすでに絶えてしまったのでしょうか。古くから渡来人や移民、帰化人などが混じりあって形成された博多という唯一無二の歴史都市は、今も多様な人々が暮らす場所です。そこに脈々と流れる歴史の力が、再び表に現れる日を、街を歩きながら静かに思います。