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消えゆく剣山の村々Vanishing Villages of Mt. Tsurugi

今日は高松→剣山→高松→徳島を移動してきました。改めて民俗的な気風の違いというものは、本当に山を一つ越えるだけで顕著になりますが、そのことを強く実感できるのが四国だと思います。四国のように長い歴史の中で、本州と海によって隔てられていた地域では、この傾向がより強く表れるからですが、兵庫から徳島、岡山から香川、広島から愛媛と3つの橋がかかって本州と四国間で車の往来が可能になった今日でも、歴史的に閉ざされていた民俗的な性格は、たかだか30、40年程度では消えません。

瀬戸内海の穏やかな気候に恵まれている香川県高松の人々は快活で明るさがあり、街には人の集まりもそれなりにあるように思えます。しかし、たったひとつの山を越えて徳島側に入ると、言葉にできない静かな重さのようなものが漂う雰囲気に、私はまだ向き合い切れていません。

前回は5月末ごろにも徳島界隈を訪れ、霊峰の剣山に入っていきましたが、その時は西部の貞光側のルートから入って古代氏族の痕跡を調査していましたが、今回は東側の美馬から入って調査を行いました。美馬市は統廃合を繰り返した結果できた比較的新しい市ですが、もともとこの剣山の集落は里の美馬側に属していたわけではなかったことから、今も里と山の人の気風が相当に異なります。今回訪れたのは標高500メートルほどの集落ですが、正直なところ、もはや集落とはいっても壊滅状態に近いのが現実です。

これまでに何度か触れてきた日本の「消滅可能性都市」という訪れる未来の観点から見ても、この惨状は納得できるところで、また政府によって発表されたこの手の指標は、これでもまだ試算が甘いのではないかと訪れるたびに思います。私が個人的に何度も訪れている北東北が消滅可能性の筆頭格として知られていますが、徳島、さらに隣の高知も例外ではありません。いずれも集落に人は少なく、高齢者ばかりで疲弊しており、一旦街に出た若者がもう帰ってこないことを住民自身も理解しているため、どこか諦めのような空気が漂っています。実はこのような雰囲気はパンデミックを訪れる以前にはなかったのです。現実的に少子高齢化が問題視されてきたのは、この30年ずっと同じですが、それでもパンデミック以前まではまだ人々の大半は何とかなると楽観的な気持ちを多く持っていたように感じます。しかしパンデミックを終えて以降、どうも人々の心境に大きな変化があったのか、かつての楽観的な気持ちが消え去り、全てが失われることに対する困惑を感じます。何しろ、消滅可能性がある集落に暮らしている高齢者層がなくなれば、文字通り全てが失われるからです。

実際、今日お話を伺った90歳近い男性によれば、昭和30年代には地域に6500人以上もいた人口が、現在では400人程度しか残っておらず、ほぼ全てが老人ばかりで後継者も皆街へ出て帰ってこないため、村落を維持することはもう不可能だろうと悲しげに語っていました。実際彼らの年齢を考えると、2030年を迎える頃には、日本全国で持続不可能となった村落が大量発生することが考えられます。さらに別のファクターとして地震や津波なども常に考慮しておかなければならず、これらがいつ起きるかと言うことが未来を大きく決定つけます。また全国の市町村の多くは事実上破綻していると言っても過言ではないことも見逃せません。これは地方に限らず、大阪市や京都市などの大都市圏を支える主要市町村でも起きており、都市圏を維持する財政自体が既に危機的状況に陥っていることがわかります。こうした状況で日本政府が行うことを現実的に考えると、大都市経済圏の部分的な救済措置でしょうから、必然的に切り捨てられる地方が多発します。

こうなると、高度経済成長期に大量開発した全国各地のインフラが、そろそろ一斉に寿命を迎える変動期を乗り越えることができなくなり、地方の僻地にある村落は生活に著しい支障が出ることが考えられます。例えば今回剣山に入るルートで言えば、貞光側はまだマシですが、美馬側は車1台が通れる程度の道が長く続くため、1つ問題が起きると里に降りることができなくなります。今日インタビューした2人の方は90歳近い年齢でしたが、やはり厳しい山で年中暮らしていることもあって非常に元気ですが、もしも彼らが自らで生活できなくなり、老人ホームなどに入る時代を迎えてしまうと、一気に文化は途絶えます。

この文化は景観にも現れています。剣山界隈を巡っていると、厳しい山岳地帯に時折集落が山肌に現れる光景に出会いますが、これには本当に驚かされます。まるでダンジョンの世界に迷い込んだ感覚で、今日も何度も驚きました。これについてあえて言えば、なぜこの地域の祖先たちは、里から見つからないような奥深くに隠れ住むように生きてきたのでしょうか。

様々な説がありますが、剣山に関して特に有名なのは平家の落人伝説です。もっとも、平家の落人は剣山に限らず全国各地に散らばり、僻地に身を隠して源氏の追討を逃れ、そのまま生き延びました。その結果、日本史上で初めて貴族政権を打ち破り、武家政権を打ち立てた平家独自の文化が全国に伝播するきっかけとなり、今も不思議な共通性を持つ地域が各地に存在するのは、この時に敗れた平家の人々が四方に逃れ、同じ文化圏を広めたことに由来していると考えられます。剣山にも、平家の落ち武者伝説や、説話などが大量に残っており、多くの人々は、実際に平家の落ち武者の末裔でしょう。

ただし、これはあくまでも12世紀末頃の比較的新しい時代の話です。さらに古代を遡れば、剣山と里を流れる広大な吉野川流域一帯は、古代日本の「海を渡った人々が行き交う地帯」と呼べるほど、複雑な顔ぶれの集団が重なり合っていたからです。その中で、一部の人々がなぜこのような山深い地へ向かったのかは未だに不明ですが、実際にこの地には今も日本史に欠かせない古代氏族の末裔が生き続けています。

一時は大和朝廷と近しい関係にありながら、後に権力闘争に敗れて、歴史から姿を消した古代氏族たちの存在とそれぞれの物語。歴史は勝者が作ると言うのはきっと本当でしょうが、大和の勝者たちが作った歴史だけでは、解明できない古代日本の姿があることは事実です。