第三の敗戦Third Defeat
ふと昼間に少しだけ外出すると、例年周囲で無数に鳴いている蝉の声が全くしません。早朝の日が昇る前にはそれなりに鳴き声はしていますが、日が昇ると全く静寂に包まれており、これまでの夏とは大きな変異が起きていることを改めて実感します。さらに蝉に限らず、街中の団地が立ち並ぶ公園などが多くある道を歩いていても、夏休みの子供が一人もおらず、そもそも誰も外出していません。まるで昔見たエヴァンゲリオンの無人地帯を歩いているような感覚です。
今日は群馬県伊勢崎で41.8度と国内史上最高の気温に達し、各地で40度以上の地点が観測史上初の最多を更新しました。そのため、人々は今年の夏は不要な外出を避けており、外出してもサッと帰る程度にしていることから、これまで以上に自宅で過ごす時間が非常に長くなっているように感じます。これはある意味、ロックダウンのなかった日本のパンデミック以上に深刻で、国民の多くが総出で『引きこもり』になってきた姿を表しています。
例年であれば、この時期の昼間は外で蝉を採取したりして遊びまわる子供たちを多く見かけるのですが、誰一人外出しておらず、蝉の鳴き声も子供の声もしない中、強烈な日差しがコンクリートの地面を焼き尽くすだけの静寂な日常が広がっています。個人的にこの光景はかなり違和感があるのですが、まさか気候変動の影響がパンデミック以上に人と人との関係を遮断することになると、5年前に誰が想像したでしょうか?
日本は社会的なデジタル導入が他の先進国と比較して遅れているとは言っても、既に人々の日常においては、外出せずに生活を完結できる社会基盤はそれなりに都市部なら可能です。さらに独身者の急増、婚姻件数の大幅な減少、2024年の出生数・合計特殊出生率も過去最低を記録しており、人々の生活が極度に困窮していることから、もはや多くの人々が他者との関わりを遮断し始めており、孤立する道に転落しているようにも見えます。これら様々な問題があることは考慮すべきですが、そもそも根本的には、社会の仕組みが時代の速さに追いつけなくなったことの証左と言えるでしょう。不思議ですが、個人的にこの夏で一番感じることは、その点です。
このような誤った未来に私たちが到達してしまったのも、多角的な要因があってのことですが、これまで部分的にShitsuraeで示唆してきたことを考慮すると、大きく『明治維新』、『第二次世界大戦敗戦』、『バブル経済崩壊』の三つがあります。これらは象徴的な出来事であって、実際にはこれ自体が問題なのではなく、その時々の態度、つまり決断自体が問題だと私は考えています。例えば、明治維新は端的に言えば下級武士を扇動した軍事クーデターであり、徳川将軍家の政権を長州・薩摩勢へ移動させただけです。この事実を当時の為政者は人々に知られるわけにはいかなかったため、明治新政府という名前を掲げて江戸時代とは全く異なる政権だというプロモーション活用を積極的に行います。しかし本質的に見れば、この時に長州藩士・山縣有朋の作った官僚制度こそが現代に連なる日本を疲弊させる主因です。これを除去しない限り、明治レジームから何も変わらないという問題が常に潜んでいます。
特に明治以降の日本の官僚制は江戸時代由来の朱子学という儒教の統治哲学を前提に形成されており、ここが時代ごとに諸問題を引き起こす原因となり、また暴走する動因ともなってきました。その最大の暴走が第二次世界大戦の突入となり、結果的に無惨な敗戦を遂げます。しかし、この時も明治維新同様、為政者たちは自らの責任回避の方便として、狡猾な悪知恵を働かせています。つまり、国民に本当のことを知らすことは自身らの責任問題に繋がるため、捏造に捏造を重ねていったのです。この時、明治レジームの原理はそのまま延命しています。
ある意味、この上層部への絶対服従という原理が、戦後の国民生活が困窮から豊かになる過程の高度経済成長期に国民一体となった成長として機能するのですが、同時に前例のないことはやらないという規制も過剰になり始め、経済的豊かさだけが幸せだとする典型的な錯合に国民総体が陥ります。それでもまだ、高度経済成長が続いている時は良かったのです。なぜならば、人々が未来の可能性を信じる力は残っていたからです。しかし、こうした幸福の誤った理念に依存することは、短期的には効果があっても、長期的には必ず疲弊し、反転して極端な不幸へと転落するものです。。
こうして高度経済成長がひと段落し、日本人の国民全体が平均的にかなり豊かになった時、人々は未来が望んでいたものではなかったことに気づき始めます。それがバブル経済の勃興と崩壊です。経済成長で勢いづく日本を米国は危険視し、これによって1985年にプラザ合意が結ばれて米国主導のもとで日本にバブル経済が意図的に発生します。しかし、当時の日本国民の大半は、何もない戦後の焼け野原から、近代的なビルが無数に立ち並ぶ高度経済成長期を生きた記憶を持っていたことから、これが外からの働きかけではなく、自分たちの実力だと過信します。結果、バブル経済に人々は浮かれて未来を見なくなり、全てを消費し始める反転現象へ突入。プラザ合意から6年程度で崩壊の兆しが始まり、結果的に1997年後半に山一證券が破綻したことでバブル経済は崩壊します。
明治レジームの問題はこの時も続いており、バブル経済の原因なども全て隠蔽。特にこの時、世界的にパンデミック以前までの国際潮流を決めることになるベルリンの壁崩壊、ソ連崩壊、そしてインターネットとパーソナルコンピュータの普及が始まりますが、自分たちで未来など考えていなかった1980-1990年代の日本人は、これらの世界的潮流を無視することに決めます。端的に言えば、社会全体で無視すれば、その問題はなかったことになるからです。これは当然、国民の一人一人が無視したいと望んでのことではなく、マスメディアに要因があります。近代日本の仕組みの病巣の源泉です。
そして本当は、プラザ合意からバブル経済崩壊は日本側の『第二の敗戦』であったにも関わらず、この事実も無視されてなかったことにされてしまいます。そして未来、幸福などの人間にとって重要なことを一人一人が考えず、むしろ上から提示される大きな物語に従属するだけの国民が大半だった日本人は、ここから極端な衰退期に向かいます。これがいわゆる『失われた30年』の幕開けです。
そして最近、改めて日本の衰退がここから数年で劇的に悪化するだろうと思う兆候が複数ありました。一つは日米関税合意が報道された後、日本政府とトランプ政権側の主張が大きく異なっていた姿です。この合意は文書や条約などを通さずに口約束で行われていますが、はっきり言えば、米国の官僚体制の解体へ力を入れるトランプ大統領の手腕に、日本の官僚体制に依存している政治家が全く対抗できなかったということです。個人的にこの日米関税合意は日本にとって『第三の敗戦』になるだろうと考えています。なぜならば、文書や条約に落とし込む段階に入った時、官僚体制に依存している日本の政治家ではトランプ政権に対応できないため、彼の主張に同意せざるを得ない事態が横行することは目に見えているからです。
中でも、日本側が米国へ550億ドルもの巨額投資を行う約束をしたと発表されていますが、ここで日本政府は双方に利益があると誤魔化していますが、実態はトランプ大統領が主張している「日本が出資し、米国が利益の90%以上を取る史上最大のシードマネー」という言葉に集約されます。しかもその実現に際して、これに日本政府が従わない場合、関税を25%、あるいはそれ以上に引き上げるという脅しを示唆しています。この衝撃的な出来事は、当然ながら全く国民に知られていません。なぜならば、政治家含めてマスメディアが情報統制を行い、再び政権維持・既得権維持に都合の悪いことは国民に隠蔽する原理が稼働しているからです。
そして官僚制依存システムで何も決断できない日本政府は、ほぼ確実にトランプ大統領側の意見に同意することになるでしょうが、ここで現在、石破首相が弁明的に発言している「この投資は民間主導」という言葉もおそらく反故となり、実質的には約246兆円という世界の年金基金の中で首位のGPIFが有する運用資産額の多くを米国に『献上する』ことになるでしょう。その利益の90%以上を米国が取ると大統領自らが発言していることが実現すれば、衝撃的な米国従属体制の日本政府の姿が明るみとなるわけですが、これも国民には隠蔽することは自明です。何しろこれでは単に米国に投資すると報道されている550億ドルの90%を、日本は無償で米国に献上するだけだからです。このような驚くべき政治が、実際に行われているのです。米国の体制維持のために、日本から巨額の金が献上されている事実は、これだけに留まらず武器購入など多様な形で行われていますが、当然、これを支払うのは日本で暮らす人々です。
こうなると必然的に、米国に対して巨額の金を献上しなければ体制維持ができない日本政府、さらには為政者(官僚など)は、様々な理由をつけては増税を行う段階へと向かいます。現時点で生活が厳しい次元の税制に苦しんでいる国民の大半にとっては、これはもはや死刑宣告となることが予想されます。視方を変えれば、日本政府は国民など全く見ておらず、米国だけを見ながら体制維持しか考えていません。そして仮にこの事態が現実となる場合、必然的に消費税の大幅増加も避けられなくなるので、野党などが直近の参議院選挙などで喧伝していた消費税の大幅な減、あるいはゼロはありえない夢物語になります。つまり、自民党の対抗勢力が消費税などの方便で国民からの賛同を得ることが、政権運営の観点からこの時点で不可能となります。結果、既に限界に達している国民の日常生活は、多方面で大規模な破綻に陥ります。
この状態に至った時、これまで当たり前に思われてきた日本の治安の良さは、加速的に揺らぎはじめます。既に直近でも各地で不穏なニュースが日常的に増加しており、一万円の金を盗むために人を殺害したり、ソーシャルメディア経由で集まったお互いを知らない人々が強盗するようなことが日常茶飯事となっています。その背景には、生活の困窮と孤立、そして仕事や住まいを得る手立てを失った人々が増えていくという、社会の仕組みの問題があります。
既に悪化の兆候が見られる地域では、ここから数年で治安や暮らしの安定が揺らぐ場所が増えていくでしょう。逆に治安、さらにはインフラがしっかりしている地域を人々は求めるため、加速的に地方から都市部への人口流入が起こり、人口動態も大きく変様します。仕事と住まいを支える仕組みが整わない地域では、誰にとっても暮らしにくい状態が広がりかねません。
意外に思うでしょうが、人の入れ替わりは東京でも進んでいます。東京都新宿区では、20歳を祝う新成人の約45%以上が外国にルーツを持つ人々となっており、ついで豊島区が約42%、中野区が約27%と、街の顔ぶれが大きく変わっています。2050年の予測では、新宿区は38.45%、豊島区は38.40%が外国人居住者の比率になると報道されています。こうした背景を含めて、例えば豊島区は2014年に東京23区で唯一『消滅可能性都市』の指摘を受けています。これは当時、2010-2040年にかけて20-39歳の若年女性が50%豊島区から消えることを前提にしたものですが、要するに若い世代が長く暮らし続けられる街の仕組みが問われているということです。
そして反対に東京23区で外国人比率が低く、2050年予測でも最も低いと発表されているのが世田谷区です。観光で東京を訪れるだけでは見えないでしょうが、東京は区ごとに人の集まり方が大きく異なる街へと向かっており、暮らしの選択肢の違いが、住む場所の違いとして現れています。
他地域でも同様の変化が進んでいます。私も拠点にしている大阪府の大阪市では、現在は生野区が外国人比率22.2%と高く、2022-2023年だけで2.7%も増え、2050年には51%に達する予測がなされています。さらに上位には60.7%の西成区、59.8%の浪速区があり、この3区に関しては25年後に半分以上が外国にルーツを持つ人々になる未来を迎えます。実際、私はその未来を理解するために、西成区に毎日出向いて調査していた時期がありますが、この未来は既に到来しているようにも感じます。数字に現れない人々の暮らしも多く、予想として発表されている数値は実態を捉えきれていないとも感じます。大切なのは、新しく加わる人々と長く暮らしてきた人々が、同じ場所でどう日常を分かち合う仕組みをつくるかという点です。
スノーリゾート地では、海外からの資本と人の流入が急速に進んでいます。特に北海道のニセコ町、留寿都村、赤井川村、占冠村などは外国人率が急増しており、占冠村では2022年に172人だった外国人が翌年に388人と一年で216人増えています。さらに他にも長野県白馬村や野沢温泉村も外国人比率が50%を超えており、やがては2050年に外国人比率100%の街も登場するでしょう。地域の暮らしと観光開発をどう両立させるか、その仕組みが問われています。
無論、もっと多角的に見なければならない点ではありますが、概括すると日米関税問題で起きるであろう日本の『第三の敗戦』は、再び国民には隠蔽されるでしょうが、生活の観点でこの打撃がこれまでを凌駕するレベルで起きるため、ここから2030年代にかけて日本の姿は惨状を極めます。
もう問題を修正する臨界点をとうの昔に超えた今では、誰もこれらを解決に導くことはできません。つまり、首相が変わろうとも、政権が変わろうとも、強固な独裁主義者が政権を担おうとも、誰もがこれらの問題と結局は対峙しなければならないため、崩壊に向かうしかないのです。なぜなら、明治レジームの本質的問題が、国民に対する隠蔽であり、それを支える歴史的な官僚制にあることを誰も伝える気配がないからです。そして仮にこれを実現するにしても簡単なことではなく、マスメディアへの刷新が絶対に必要になるわけですが、残念ながらこちらが数年で実現されることはありません。
最近では、こうした諸問題を無視することを、政府や官僚のみならず、日本の企業、国民、労働者、学生、子供など全員が共通して徹底している歪さを感じます。これは10年前までは政治家・官僚・企業の役員などで典型的に見られた態度が、日々マスメディアを通じて国民が視聴したことにより、その態度が国民規模で広がってしまったからだと個人的には考えています。この動因となったのが、今日の日本疲弊の根本的原因を作った元首相の安倍晋三です。彼の明らかな複数の犯罪行為を組織的に隠蔽する杜撰な姿が、当時は毎日のようにマスメディアで流れていたため、それを見ていた国民も個人的には10年かけて『アベ化』したと考えています。
たった100年以内に、決定的な局面で三度も後手に回った事実を誰も受け止めたくない、だからそれはなかったこと、起きなかったこととして全員で見ないことにしてしまう慣習は、今も社会の仕組みのなかに強固に続いています。これが、本当の衰退の原因に思えてならないのです。
しかし、現実を冷静に見れば、人と人の交流は絶え始めており、生活は極度に困窮し、街の顔ぶれも大きく移り変わっています。2025年の猛暑の中で起きた日本の『第三の敗戦』。これが語られるようになるまでに、あと何年必要なのでしょうか?その間に、この場所の暮らしの形そのものが、今とは違うものへと移り変わっているかもしれません。