C:\SHITSURAE\> TYPE SJ185.TXT

SJ185.TXT2025-08-0714KB

虫の音と四季Insect Sounds and the Four Seasons

今日は久しぶりに早朝に大雨が降ったことから、昨日まで長期的に続いていた雨が降らない灼熱の夏から一転して、気温が30度前半に落ち着いており、今年初めて本来の夏らしさを取り戻したように感じます。実際、外出すると昨日までは昼間に鳴いていなかった蝉の声が今日は辺り一面に鳴り響いており、蝉にとってもこの気温が限界値となっており、これ以上に気温が上昇すると鳴かない状態になっていることが良く分かります。

今夏では感じることのなかった周囲一面に響き渡る蝉の声を聞いていると、どこか私たち日本人にとって『かつての夏』を想起する貴重な風物詩になってきたのかもしれません。それは『失われた夏』とも言えますが、夏を象徴する入道雲、蝉の声、さらには花火、夏祭りなどを含めて、かつてとは大きく異なる2025年を迎えているように思えるのです。

日本人は蝉の声を夏の風物詩として捉えており、蝉が鳴き始めることは本格的に夏が始まった合図であり、夏を味わう余韻としてどこか美しい響きを持ってきました。日本では古来より、虫の鳴き声に季節ごとの趣きを見出し、美的なものとして愛でる独自の文化が育まれてきたことは事実です。夏の蝉に限らず、秋の夜に響く虫の音を美しいと感じ、静かに味わう感覚は、言葉にし難いこの場所の風土に根ざした独特の感覚に思えます。

日本では、虫の音は季節の移ろいと深く結びついており、心に情緒をもたらす源泉でもあります。

虫の音を愛でる文化は日本最古の歌集『万葉集』にも表れています。例えば『影草の生いたる野辺の夕陰に鳴く蟋蟀は聞けど飽かぬも』という和歌は、夕暮れに鳴くコオロギの声を飽きることなく聞き入る様子が詠まれたもので、既にこの頃から当時の日本人はコオロギの音を聞いてじっと佇んでいた姿が見えてきます。平安時代には虫の音を鑑賞することが貴族の間で『風流な遊び』として流行したほどであり、虫の音の鑑賞、そこから生まれる独自の情緒を楽しむ感覚を持つことが、貴族の中でも教養として重視されていたことが理解できます。

実際、清少納言の『枕草子』に『虫は』という章が設けられており、そこで『虫は鈴虫。ひぐらし。蝶。松虫。きりぎりす。はたおり。』と記されています。これは特に、秋の夜に鳴く鈴虫やヒグラシなどの虫たちが好ましいものの例として挙げられているわけですが、この感覚は今日の日本人まで通底しているように感じます。有名なところで言えば、京都嵐山の著名な観光寺院である華厳寺は別名・鈴虫寺と呼ばれて愛されていますが、これは通年鈴虫が鳴いているからです。

当時の貴族は秋の庭先や簾越しに聞こえる虫の声に趣を感じ、和歌や物語の中でも虫の音を季節の風物詩として見事に描写しました。また鎌倉時代の歌集『新古今和歌集』では、藤原良経が『きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに衣かたしきひとりかも寝む』と詠んだ歌がありますが、こちらは霜の降りる夜、草むらで鳴くキリギリスの声に秋の寂しさを感じながら一人寝る情景が描かれており、虫の音が季節の寂寥感を表現する典型となっています。まさに虫の音が秋を中心とした季節の美の象徴として度々取り上げられたわけですが、基本的に秋における虫の音に日本人が情緒を感じている姿が見えてきます。

実際、江戸時代に入ると、連歌や俳諧の発達とともに虫の音は季節を示す重要なテーマにまで昇華し、一層美的感覚が研ぎ澄まされています。俳句では必ず『季語』を入れる伝統が生まれ、虫の鳴き声は典型的な秋の季語として定着します 。事実、俳句に「虫」が詠み込まれている場合、その67%が秋を詠んだ句で占められているとの分析もあるほどで、「秋の虫の鳴き声」が日本人に愛される音として人気が高いことがわかります。個人的にも秋が一番好きな季節なので同意しますが、一方で夏にも風情がないことはありません。

松尾芭蕉や与謝蕪村、小林一茶といった江戸期の俳人たちも、虫の声を題材に多くの名句を残していますが、芭蕉の有名な句『閑さや岩にしみ入る蝉の声』などは、夏の盛りの静寂の中で蝉の声が岩に染み入るように響く情景を描いており、ここから夏の『蝉時雨』の中に深い静けさと侘び寂びの趣きを見出しています。この蝉時雨とは夏の季語であり、多くの蝉が周囲一帯で一斉に鳴く様子を、夏に多いにわか雨(日本でかつて『時雨』と呼びました)が降る音に例えた情緒ある言葉です。

今年は情緒ある蝉時雨とは言い難い状態で、むしろ蝉も生存限界の気温の中でサッと生涯を終えるために苦心している鳴き声のようにも聴こえます。実際、今年の7月はほとんど雨が降らなかったことから、全国規模で農作物が壊滅的な被害を受けており、やっと今朝から全国的に雨が降ったことで、農家が一安心する姿が報道されています。ただ降雨が優しく降るのではなく、激しい雨となっており、落雷、竜巻、突風なども随所で報告されており、雨が降らなくても降っても不安という心理状態が続いています。

かつてであれば、雨の恵みをもたらす神に対する神事を行なっていたはずですが、もはやそうした風習はなくなっているため、信仰が暮らしから遠のいたという側面にもかなり問題があるようにも感じます。元々、雨をもたらす神として奉祀されていたのは龍の神ですが、これらは古代中国から弥生時代頃に伝来し、各地で雨乞い儀式などを通じて信仰が育まれてきた歴史を有しています。

現代的な都市生活が中心となった今、虫の鳴き声はストレスを感じる騒音となり、季節の香りは遠ざけられ、雨に濡れることが極端に避けられる姿を随所で目にします。経済成長の未来が見えにくい今、絶対に失ってはならないものは文化ですが、この文化さえ手放していく傾向が顕著となっている現代の暮らしは、今後どこへ向かうのでしょうか?

久しぶりの雨の後、周囲に鳴り響く『蝉時雨』を聴きながら、ふとそのようなことを思った1日でした。