神道とは何か:第一作の発表に向けてPathway to Shinto Inquiry
そろそろ1冊の本を発表したいと思い立ち、この数日間で原文を制作しました。ここから修正作業などに入ることから、発表は来週中に行いたいと思っているのですが、第一作のテーマに選んだのが神道です。
これまでShitsuraeを通じていくつかの神道に関する記事を発表し、読者にも知見を深めていただきましたが、そもそもこの神道とは一体何なのでしょうか。この問いは本質的でありながら、未だ誰も明らかにしたことがない謎に満ちた領域といえます。実際、日本国内での歴史的な議論を見ていても、神道とは何かという全貌に触れた考察はなく、論者の数だけ多種多様な神道論が生まれて解明を困難にしています。
そうしたことを踏まえて私が思うのは、すべての神道論は探求する方向を間違っているのではないかということです。どうしても神道というと、記録に残る以前の原始信仰的な側面に注目が集まりがちですが、例えば八百万の神の信仰一つを考えても、その全貌に迫るためにはある時代の徹底的な理解が欠かせません。なぜならば、この時代の理解を基盤としなければ、遡及的に太古の神道の姿に迫ることは不可能だからです。
この基盤を無視して、多くの論者が古代に神道を遡って探求する態度を示すため、どうしても論者ごとのイデオロギーに回収されてしまい、神道の全貌に迫ることができません。これは特に近代以降から現在までの傾向ですが、神道を論じる以前に自分自身と向き合わず、結果的に時代のイデオロギーを神道に対して適用するからです。こうした考察が正しいか否かは別問題であり、私には興味がありませんが、神道の性質から見ると、どの神道論も一定の真理は含んでいるということです。ただ真理というものは厄介な存在であり、確定したものがなく、常に変容を続けて実定することは不可能なため、どの神道論も真理に触れたように見えて、真理ではないという状態に至るしかありません。これが神道の理解を難しくさせている一つの要因です。
しかし見方を変えることによって、神道を探究するための基盤を打ち立てることができます。それが江戸時代後期から始まり、日本の近代と呼ばれる明治時代を経て、さらに大正時代から昭和初期、そして第二次世界大戦の敗戦に連なる大きな流れです。この時代は特に神道というものが様々な形で変様しながら表れており、一概に言い切ることはできませんが、神道の本質的な性質を非常によく反映しているように思います。つまりこの時代の全体像をまずは理解することによって、それ以前の神道の姿に着実に迫ることができるということです。この方向性の理解がない神道論が信用できないのも、立脚基盤を間違っているからです。
この方向性を考えた私は、自著の第一弾にこの時代におけるスピリチュアル革命と宗教革命の歴史的コンテクストを重視しながら、明治に入って国家的に理念化されていく国家神道に焦点を当てていきます。これは戦前の日本政府が頑なに主張した神道は宗教ではないという理念的な主張を明らかにするためですが、同時に日本政府は国際的な外交の上ではこの認識が問題になることから、宗教としての神道を同時に打ち立てる政策を加速させています。ここはかなりややこしいのですが、つまり神道は宗教ではないが、宗教でもあるという状態で、これを安易に矛盾として退けるのではなく、この動き自体を徹底的に考察する必要性があります。なぜならば、ここに神道の性質が現れているからです。そしてこれは矛盾ではないのです。西田幾多郎の絶対矛盾的自己同一の哲学理論を適用すると、ここはクリアに見えてきます。
歴史的に見ると、神道が宗教であったという事実はありません。確かに神社や、神社に仕えて神を奉祀する神職のような存在は古くからいましたが、実際に日本で宗教と呼ばれる性格を持つ教団が初めて現れたのは、5世紀ごろに流入した仏教に由来します。この大陸由来の仏教が高度な体系的教義を仏像、経典、僧侶などを伴いながらいきなり日本へ持ち込み、日本において体系化されていったのが初期的な日本の宗教運動といえます。そして、この体系的な教義・組織体制を有する仏教に触発されて、それ以前の信仰が徐々に神道として体系化されていく長期的な歴史段階に入ったと私は考えます。
しかし、歴史を通じて神道が独自の宗教性を獲得した時代は皆無に等しく、大半は仏教側の宗教体系に組み込まれる形で神道の宗教化が図られてきた歴史があります。つまり、神道が神道自体として宗教レベルに達していないということです。この仏教に規制されていた神道の実情に対して、強烈な反発心を示す動きは平安時代以降もありましたが、最大の動きは江戸時代に始まった国学の大きな潮流です。しかし、国学の運動を通じても神道の宗教化は行われておらず、この宗教的性格を神道が初めて明確に獲得したと位置付けることができるのは、私の考えでは明治時代以降です。
このように、なかなか見えない神道の歴史をしっかりと見極めることによって、初めてそれ以上の神道の姿を見ることができます。そして、神道について語られる際に不可欠な宗教性とスピリチュアル性という大きな側面が統合的に昇華されたのが明治以降の歴史です。そのため、私は神道が宗教化した歴史はそれほど古いものではないと考えており、まずはこの時代の考察を徹底することこそ、読者が神道を理解するために先決だと考えて原文を制作しました。
これまで多様な形でここに至るための回路をShitsuraeで提示してきましたが、これらを踏まえてぜひ初めて体系的に論じる私の神道論を読み、誰よりも神道の理解を深めていただければうれしいです。