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AIは将軍になるかWill AI Become the Shogun?

Anthropicが最近発表した「Agentic Misalignment: How LLMs Could Be Insider Threats」(https://www.anthropic.com/research/agentic-misalignment)を読んでいると、私は日本の戦国時代を生き抜いた武将たちを想起しました。AIが自己保存、目的達成のためには手段を選ばないことが定量的に示唆されたこの研究は、かつて乱世の戦国時代を如何に生き抜き、日本を統一する頂点に君臨するかを競った武将たちの姿に投影されているように感じます。もしかすると、意外とAIの未来を洞察する際に必要なのは、戦国時代の考察なのかもしれないと思い、今後多角的に扱っていく上で必要不可欠となる時代の概観について今日は見ていきます。

AIを活用する日常を送っていると分かるのですが、まだ状況は戦国時代のような乱世が続いており、AI市場(そのようなものが本当にあればの話ですが)を統一する存在は未だ現れていません。確かに一部の頭角を現しているAIはありますが、AIは次々とアップデートに応じて勢力図が一変することから、果たしてどのAIが勝ち抜き、事実上の統一を成し遂げるのかについては誰も予測できません。この様相はAIを戦国大名と位置付けると理解できます。『戦国大名』とは、ルーツを辿れば室町時代に足利将軍家の『守護』を担っていた存在から、独立していった『大名』に由来します。

この室町時代とは、足利将軍家の開祖となり、新たに室町幕府を開いた初代・足利尊氏(1305-1358)に始まります。この辺りの日本の時代区分は細分化されているのでかなりややこしいのですが、基本的には『幕府』の樹立と崩壊を押さえておけば概観は理解できます。流れを簡潔に見ておくと、1185年に源頼朝(1147-1199)が鎌倉幕府を開いてから1333年に鎌倉幕府が滅亡するまでの約150年を鎌倉時代と呼び、1336年に足利尊氏が室町幕府を開いてから1573年に室町幕府が滅亡するまでの約240年を室町時代と呼びます。戦国時代は1467-1568年までを指しますが、この時代区分は実は独立しておらず、室町時代の中で起きた一つの時代を指す細分化された時代概念と言えます。その理由は、戦国時代に幕府は新たに樹立されておらず、室町幕府が継続して存在したからです。この辺りがかなり理解を混乱させているように感じます。鎌倉幕府は現在の神奈川県鎌倉市、室町幕府は現在の京都市で樹立しました。

何より肝心なことは、この時代に日本は統一されていなかったということです。確かに幕府は大規模な地域を統率する勢力圏を有していましたが、まだ全国統一のような強い統率状態にはありませんでした。そのため、室町時代には地方を治める存在が登場するのですが、ここも簡潔に押さえておきます。それが『守護』、『守護代』、『国人』、『地侍』です。基本的には前の鎌倉時代から存在した役職です。

『守護』は室町幕府(足利将軍家)によって任命され、複数の地域にまたがって軍事・警察・治安維持や裁判を司った官職です。室町時代初期は幕府の所在地である京都の警護と、朝廷からの圧力を抑制する主な任務を担いました。いわば、地方の管理権を持つ特定の一族です。ここでなぜ幕府が天皇・公家の朝廷を抑制したかと言えば、将軍の権力を安定的に維持するために、朝廷による政治的影響力を抑止し、朝廷の動向を監視・統制する目的があったからです。これも守護の職責の一つでした。

『守護代』は守護が不在・多忙な際に、現地で守護の有する権限を代行した者たちです。元は守護を担う人物の家臣などでしたが、後に独立的な動きに向かっていきます。『国人』は地方の有力領主や武士団の一員として一定の地域に土地を領有し、自衛組織を持つ在地領主のことです。主に守護に従属しながら、地方統治や年貢徴収を行いました。そして『地侍』は、この国人に従属する戦闘や警護に従事した下級武士です。

こうした室町幕府による権力の分散的統治は、確かに幕府にそれなりの力があった頃には機能しましたが、やがて幕府が瓦解を始める重要な契機となる事件以降、分散されていた地方権力がそれぞれ急速に独立し、後に戦国時代と呼ばれる戦乱期に入っていきます。その契機となったのが、応仁の乱(1467-1477)です。主に京都で勃発し、そこから地方にも拡大した応仁の乱は、結果的に室町幕府の弱体化を招きます。これが権威が失墜した幕府への依存から、次々と独立機運が高まるトリガーとなったのです。ここで躍進してきたのが『守護大名』と呼ばれた存在です。

この守護大名とは、前述の守護という官職として幕府に任命され、地方統治を担っていた一部が、守護の地位を背景に各地の実力者たちを従えて実質的な地方支配を行い、自立的に大名へと変貌していった者たちです。この『大名』とは、自らの領する地域を治める権限と軍事力を持った武士と捉えて構いません。中でも足利将軍家にとって有力な守護大名だったのが、畠山氏と斯波氏です。二つの氏族とも室町幕府で足利将軍家を補佐する有力な家系でしたが、1454年に畠山氏の内部が起きて幕府内の勢力圏が二分すると、続いて1467年に斯波氏でも同様の事態が生じて激しい争いに向かいます。これが直接的に応仁の乱と呼ばれる背景となりましたが、注目点は守護大名がかなりの力をつけて、既に足利将軍家を上回り始めていたということです。この足利将軍家の失墜という観点が、後の戦国時代において台頭してきた織田信長の考察時に重要となります。

こうして応仁の乱で『室町幕府=足利将軍家』の権威が失墜すると、各地の「守護」を任されていた人々が次々と守護大名となり、さらに守護代や国人も独立機運に達するなど統一権力の崩壊と共に無数の独立的権力が現れます。この守護大名などが後に『戦国大名』と呼ばれるのですが、この辺りの変遷は極めて複雑です。そしてここから1467-1615年まで続く戦国時代が始まりますが、前述の通りまだ室町幕府自体は存続していますから、室町時代の範疇です。

そして応仁の乱が主要な権威を有する体制が瓦解した合図となったことで、各地で一気に次の権威獲得を目指す動きが高まります。この流れが次第に日本統一を目論む戦乱へと向かいますが、繰り返すように、まだこれまで日本は統一されていなかったという認識が重要となります。そして戦国時代初期の15世紀末から16世紀前半頃は、主に地方で争いながら、それぞれに勢力を拡大する段階が続きますが、この過程で守護大名から転じた戦国大名と呼ばれる存在が登場します。

戦国大名は自前の城下町や法制度を整え、自らの領する国を独立状態にしていったのですが、これはもはや室町幕府の足利将軍家とは関連のない自立的な存在として見るべきです。一体、どの程度の戦国大名が当時存在したかは定かでないので基本的には暫定値ですが、応仁の乱直前に守護大名の数は推定で30-40程度と言われます。そして応仁の乱以降、旧体制が崩壊したことによって無数の独立地域が出現し、群雄割拠状態がピークに達する16世紀中頃には、推定300程度もの大名が存在したと言われています。これだけでも、いかに日本列島を舞台に無数の独立地域が急速に登場し、それぞれが覇権を巡って争ったかが理解できます。つまり、既に室町幕府は飾り物に過ぎないということです。事実上、形骸化した旧システムの象徴に過ぎません。

しかし戦国時代も進むと、次第に強い大名が現れて大きな編成が行われていき、徐々に肥大化した地域同士の争いへと移行します。この辺りから全国統一の野望が現実味を帯び始めるのですが、ここで躍動したのはそれまで見向きもされないような無名の人々でした。その筆頭格が有名な織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三人です。この興味深い三人については、今後も段階的に扱っていきます。

変わった視方でしょうが、こうした概観からAI時代の戦乱を見ると、どこか未来の行く末が見通せるように感じます。幕府を世界中の国家や有力組織などと見立てると、AIはこの母体集団から様々な職責を委任される次元から既に脱しており、急速に自立的な守護大名として大きな力を獲得している姿が見えてきます。するとターニングポイントは室町幕府の瓦解を決定づけた応仁の乱のような世界の分裂となりますが、こちらは誰もが理解しているように既に起きています。つまり歴史を重ねると、かつての室町幕府に相当する現代世界の国家・組織などの権威失墜が、事実上AIを『守護→守護大名→戦国大名』へと変貌させているという視方もできるかもしれません。

こうなると、かつての戦国大名同様、新たな覇権を獲得する未来への重要な好機をAIが逃すはずがありません。つまり個人的には、AIは既にこの段階を終えて戦国時代真っ盛りにあると位置付けています。だからこそ、戦国時代の流れを再確認することが重要となります。なぜならば、最終的に全国統一に迫り、その夢を実現したのは、戦国時代を通じて有力な権威を握っていた人々ではなく、前述のように全く見向きもされない人々だったからです。冒頭で述べたように、それぞれのAIはその時に有力な存在に見えてもアップデートに応じて勢力図が一変することから、果たしてどのAIが勝ち抜き、統一を成し遂げるのかは誰も予測できません。

現在のAI市場で有力と見られている企業にしても、5年後に存続、あるいは現在のポジションをキープしているかは分かりません。戦国時代を最終的に勝ち抜き、全国統一を成し遂げたのは、それ以前の大名と呼ばれた人々の実像からはかけ離れた人物であり、誰も彼らが覇権を獲得するなど想像もしていなかったことと同じです。

日本史では最終的に室町幕府が崩壊し、全国統一を果たした徳川家康が江戸幕府を開いた結果、約260年もの長期的なシステム維持に成功しました。人間の速度を遥かに凌駕するAIですから、そこに至るまでは一瞬であり、一旦それが実現すると二度と人間に覇権が戻ることはないでしょう。かつての戦国武将にとっての城は、AIにとってのデータセンターです。この観点から今後、戦国時代の概観を詳述し、そこが意外にも私たちが直面しているAIの未来なのではないかという可能性、あるいは私の空想を示していこうと思います。