古代日本の巫女文化と男王の覇権(見出し行なし。英語の H1 から付けた題)Miko Culture and Kingly Hegemony in Ancient Japan
今回は、アマテラス(天照大御神)が現在の伊勢神宮内宮の土地に移される要因となった日本書紀に記される重要な天皇の説話について紹介し、そこに関連する弥生時代から古墳時代の大きな文化圏の裂け目(空洞)について示唆していきます。古事記・日本書紀は読者にとって馴染みがないため、これまでShitsuraeでは部分的な示唆に留めておきましたが、このシリーズでは複数回に分けて段階的に読者の理解が深まるように示していきます。
最初に、アマテラスを奉祀することで知られる伊勢神宮内宮は、『皇大神宮』と呼ばれます。今でこそ日本で最高神格を有する神社として知られる皇大神宮ですが、元々アマテラスはこの場所で奉祀されていた神ではありませんでした。また明治の国家神道政策などの複雑な時代以降の影響を受けて、今日まで伊勢神宮内宮だけを『神宮』と呼び、神社神道システムの頂点に君臨する神社だと位置づけられてきました。しかし現在その覇権が瓦解を始めており、それに伴って各地で異なる神の系譜の勃興が静かに始まっています。この動きは目で見えるものでは無いのですが、スピリチュアルな動きとして日本史全体を概観していくと未来の潮流として見えてきます。私の主なリサーチテーマは、この見えない動きから未来の日本を洞察することに置かれています。現代日本・日本人のスピリチュアリティーは極端に衰弱していますが、未だ根底には深く根差しています。きっと今後、日本から大規模なスピリチュアルムーブメントが起きるでしょう。
まず、アマテラス自体が元々日本のどこで祀られていた神かについては不明です。しかし書紀にはその重要な動きの一部が記されています。ちなみに、古事記も似たような説話を記していますが、アマテラス自体の動きについての記述はありません。そして書紀は第10代・崇神天皇の時代に深刻な危機が起きたと伝えています。それによると、崇神の治めていた大和南部の三輪山近郊において、飢饉、疫病、戦乱などの複合的な影響で民の半分が死に、統治が崩壊するレベルの危機的な状態に陥ります。この点は古事記でも崇神天皇の時代に深刻な疫病が起きたと伝えていますが、古事記・書紀は崇神天皇がこの危機を収束するために取った方策が異なります。
先に古事記を見ると、崇神天皇がこの危機を憂いて寝ている時、夢にオオモノヌシ(大物主大神)が現れて神託を降し、オオタタネコ(意富多多泥古命)を探し出してオオモノヌシを適切に奉祀することで疫病は鎮まると告げます。このオオタタネコは『カワチのミノ村(河内の美努村)』に居る神であると告げられますが、そこで崇神は使者を派遣してオオタタネコを見つけ出して呼び寄せ、神託通りにオオモノヌシを奉祀したところ危機が収束したと記しています。これが現在の奈良県南部に建立されている大神神社の起源に関わります。しかし、ここで古事記は崇神とアマテラスの関係を記していない点に注意が要されます。ただ一点だけ、古事記は崇神の系譜を記す記述で娘・トヨスキイリヒメ(豊鉏入日売命)の項目に「伊勢の神の宮を奉祀する」と記されており、詳細は定かでないものの、何かしら「伊勢の神=アマテラス」に関連する出来事が起きたことが示唆されています。
そこで重要となるのが書紀側の記述です。書紀では古事記のように崇神の夢にオオモノヌシが現れることによって神託が降されるのではなく、オオモノヌシは崇神の三人の家臣の夢に現れています。ただし、書紀の特徴はこの夢告の以前に起きた大きな出来事を簡略的に示唆していることです。それによると、まずは崇神が眠らずに神に疫病が収束するように祈り続けたと記されています。この結果、崇神の宮中でアマテラスとヤマトオオクニタマ(大和大国魂)を共に並べて奉祀していたことが一つの原因だと判明します。このヤマトオオクニタマは古事記には登場しない神ですが、後の説話でオオモノヌシとの関連が示されていきます。また付随ですが、書紀の記述は中国の史書に倣っているため、この箇所の記述は『六年、百姓流離、或有背叛、其勢難以德治之。是以、晨興夕惕、請罪神祇。先是、天照大神・倭大国魂二神、並祭於天皇大殿之內。然畏其神勢、共住不安。』となっています。
このニュアンスは難しいでしょうが、Shitsuraeで伝えている『天つ神』と『国つ神』という異なる神の系譜に位置する神を、崇神という天皇のもとで宮中に並べて奉祀していたことが厄災を引き起こしたというかなりスピリチュアルな原因です。そこで崇神は状況を打破するべく、即座に対処に取り組みます。
この時、崇神は二人の娘に勅令を降します。この勅令を通じて、アマテラスをトヨスキイリヒメ(豊鍬入姫命)に委任、ヤマトオオクニタマ(大和大国魂神)をヌナキノイリヒメ(渟名城入姫)に委任して、二つの神を奉祀する最適な土地を探し求めて鎮座させるというスピリチュアルな旅が始まります。ただヌナキノイリヒメは道半ばで霊力が弱り果て、ヤマトオオクニタマを適切な地で奉祀することができませんでした。一方、トヨスキイリヒメは、アマテラスを『ヤマトのカサヌイ村(笠縫邑)』に奉祀して、ここで神社の起源と思われる神域を構築しています。このアマテラスが最初に遷移された場所は、現在の奈良県南部に建立されている大神神社から、20分程度山沿いを歩いた先に建立されている桧原神社だと伝えられています。
ただし、書紀の記述はこれ以上の出来事を伝えません。結果的には、崇神の宮中で奉祀されていた天つ神であるアマテラスは、トヨスキイリヒメによって現・桧原神社の地に奉祀することに成功するも、国つ神であるヤマトオオクニタマの霊力によってヌナキノイリヒメが衰弱したことから、こちらは奉祀することに失敗したということです。書紀はこの次になって、古事記で記されている疫病を鎮めるための夢告の記述に移ります。ただここで書紀の表現は『災害』となっていることから、疫病に限らず複数の危機的要因であったことが示唆されています。また夢告の説話も、古事記と書紀では異なります。
書紀は、続いて頻発する災いの理由を解明するために、崇神が占いを駆使して神からの神託を問うたとしており、この時にヤマトトトヒモモソヒメ(倭迹迹日百襲姫命)が神憑ります。このヒメは書紀側では『ヤマトトトヒモモソヒメ/倭迹迹日百襲姫命』、古事記側では『ヤマトトモモソヒメ/夜麻登登母母曽毘売』です。両書共に第8代・孝霊天皇の娘と位置付けています。ただし以前触れたように、天皇史における初代・神武天皇(カムヤマトイワレヒコ/神倭伊波礼比古命)を除く、第2代・綏靖天皇から第9代・開化天皇までの8人の天皇は、日本では実在性が確証されていない背景から『欠史八代』と呼ばれています。この欠史八代の中に孝霊天皇が含まれている点に注意が要されます。この古代日本史の空白の中に、弥生時代から古墳時代の変動とそれに伴う裂け目が生まれています。
このヤマトトトヒモモソヒメを通じて神の声を伝えたのが、オオモノヌシだとするのが書紀側の記述です。ここでオオモノヌシは崇神に対して、国を治めるならばオオモノヌシを敬い、正しく奉祀すれば平穏になると神託を降します。要点は、この神託が古代巫女の神憑りを通じてくだされている点です。ここに前述の弥生時代の巫女文化圏と、古墳時代の男王文化圏の裂け目が現れています。つまり、ヤマトトトヒモモソヒメは弥生時代の部族集団を率いる女王に位置する指導者であり、崇神は古墳時代の男王に位置する指導者だということです。両者はそれぞれ拠って立つ祭祀と文化の系譜が大きく異なり、全く別の世界に根ざしていました。
もう少し簡略すると、ヤマトトトヒモモソヒメという巫女は、特定の部族集団を率いる女王であった可能性が極めて高いということです。このため、日本では昔からヤマトトトヒモモソヒメこそが中国側の史書『三国志』の一部である魏書の魏志倭人伝に記された邪馬台国の女王・卑弥呼だと考えられており、私も様々な調査を経てここに同意しています。後に男王が大和を中心に覇権を獲得した後、古い弥生人の女王(巫女)が男王の系譜に組み込まれていったということです。これが天皇史以降の日本の神話構造を読解する鍵となります。
古事記・書紀は読者に馴染みがない文書でしょうから、まずはここで留めておきます。この基礎的な流れがさらに発展していくのですが、両文書のどちらが史実を語っているかは問題ではなく、異なる性質と目的の観点で編纂されているため、読解の技術自体が異なるということです。