島根の神楽に見る地域文化の差:出雲と石見Examining Regional Cultural Differences Through Kagura
今日は、島根県西部に来ています。かつてこの島根県西部地域は『石見国』と呼ばれ、一方で出雲大社のある地域は『出雲国』と呼ばれていました。一見、それほど距離が離れていないことから両地域に大きな文化的差異はないように思えますが、今回の旅で石見の人々の話を聞いていると、全く異なる文化圏の存在が浮上しました。例えば、石見の人が出雲の人の言葉を聞いても、何を言っているか分からないというほど異なっており、気質なども大きく異なると話します。確かに、風土の観点から見ても、大きな宍道湖などの湖がある盆地の広がる出雲と、漁村の背後に深淵な山岳が連なる石見国とではかなり違う特質が生まれたことでしょう。言語の観点で言うと、現代では標準語(東京語)がメディアを通じて広まった側面からかなり差異は失われましたが、今も文化的な差異の痕跡が多く残っています。
その代表格が『神楽』です。日本の神楽は古事記や日本書紀に記される『天岩戸神話』に起源を持ち、神社の祭礼で神に奉納される伝統芸能として広く知られています 。各地に多様な系統が残りますが、中でも島根県は古くから「神々の国」と称されており、東部の出雲神楽と西部の石見神楽、さらに隠岐島の隠岐神楽と地域ごとに独自の発展を遂げてきました 。
この出雲神楽と石見神楽の最大の違いとして注目すべき点は『調子(テンポ)』です。島根県東部に伝わる出雲神楽は、荘厳な『六調子(ろくちょうし)』の囃子を基調とします。一方の石見神楽は、テンポの速い『八調子(はっちょうし)』囃子による勇壮な舞が特徴で、両者のテンポは大きく異なり、神楽も全く異なる印象を受けるほどです 。島根県沿岸部で見ると、この「六調子」と「八調子」の境目は島根県大田市に位置していますが、興味深いことに山間部に入ると石見国でも出雲系の六調子となることから、神楽を通じて古代に出雲とつながる人々が移動した名残が伺え、大変興味深いのです。
出雲神楽は、出雲の宍道湖畔に建立されている古社・佐太神社に伝承される神楽『佐陀神能(さだしんのう)』を基本に発達し、神話の名場面を舞台上で劇的に表現する神話芸能として継承されました 。一方で石見神楽は出雲系統の佐陀神楽に、農民の田楽舞など諸芸能が合流して成立したとも言われますが、起源は定かではありません。個人的には古代の地域ごとの成り立ちが異なることが一つの要因だろうと考えており、その地域間の文化の違いが言語に限らず、神楽においても顕著に現れたのではないかと考えています。今日、私が鑑賞してきたのは波佐と呼ばれる島根県山間部の小さな村落地域に伝承される神楽ですが、こちらは八調子が基本の石見神楽でありながら、六調子という珍しい神楽です。
現在では石見神楽がかなり有名となったことから、出雲神楽があまり知られておらず、また神楽が行われる時期も観光客用に定期公演が行われています。しかし、元々神楽は特定の時期に限って奉納される神の舞いでした。では一体、神楽はいつの時期に行われていたのでしょうか?
実は、神楽は元々は農村の秋祭りで五穀豊穣を祈り、感謝する奉納舞でした 。この名残は現在でも石見地方の温泉津地域で残っており、この地域では今も稲を収穫した時に行われる秋の収穫祭で神社の神楽殿に奉納する伝統が息づいています 。他地域の観光客向けの神楽は基本的に1時間程度ですが、神楽は元々、松明を焚いた夜から行われ、夜通し村人が集まり行われる重要な伝統芸能でした。この夜通し神楽を囲んで行われる祭りの時間は、村落共同体の絆を強める役割も果たしてきました。
そしてかつての神楽は神社の神官や巫女によって行われましたが、明治時代の神道改革の影響で神官による神楽が禁じられたことから、継承は村人の手に委ねられます。さらに戦後以降、地方から都市部への人口移動が起きたことから、神楽は氏神祭から離れていき、都市の劇場やイベントの舞台で上演される機会が増え、娯楽性の高い演目へと変容して存続を図りました。例えば現在行われている大阪万博でもこの石見神楽が上演されますが、かつて1970年の大阪万博でも上演されました。そのため、石見神楽でも古来の儀礼的な舞は相当簡略化されており、観客受けする神話劇が中心となって今日に至ります。
これは一見すると文化を損失するように思えるでしょうが、神楽の伝承地域はどこも深刻な過疎化の進む地域であることから、神楽を観光資源とし、交流人口を増やす取り組みがを行われなければ存続できない実情もあります 。このように神に奉納するルーツに由来する神楽は、現代の諸問題を抱える中で、伝統継承と地域活性化の狭間でその役割を模索し続けているのです。
また神楽の哲学的意義として、『現前性・媒介性・越境性』の三点が挙げられます。まず神楽には、神の存在を今ここに現れさせる現前性があります。一説では神楽の語源の一つは『神座(かむくら)』とされますが 、これは神楽の舞台が神を迎え降ろす場所であることを示唆しています。篝火や提灯の明かりの下で舞が奉納されるとき、観衆は神霊がその場に降臨して舞人に宿ったと感じ、神が目前に現れているかのような畏怖と高揚を覚えて歓喜するのです。
次に、神楽は神意を人にもたらす媒介性を備えています。神楽の中には舞手が神懸りして神の託宣を伝える例もあり、それは神楽が神と人とを繋ぐ媒体であることの表れです 。舞手が面を着けて神そのものを演じる行為も、自身を超えて神と一体化する儀礼的パフォーマンスと言えるでしょう。そして神楽には、様々な境界を乗り越える越境性があります。神話の時代と現代、聖域(神域)と生活圏、日常と非日常といった境界が神楽の上演中には溶け合います。こうした特質により、神楽は人々に深い精神体験をもたらし、共同体における単なる芸能以上の哲学的意味を帯びているのです。
明日も山間部の神楽を見に行きますが、個人的に神楽は古来から続く日本人と神の距離の近さを残存させているように感じました。島根の神楽は総じて神話の『大蛇(おろち)』という演目を行いますが、これは八つの頭と八つの尻尾を持つ大蛇として神格化されており、神でもあります。今回の演目の一つだった『大蛇(おろち)』を見ていると、大蛇は聴衆にちょっかいをかけたりするなど、観客(人間)に近い神の存在を強く感じて興味深いものでした。日本人にとって神は到達不可能で絶対的な存在ではなく、非常に身近な存在であり、かつ畏怖を抱く存在でもあるなど、かなり複雑な実態を持ちます。
神楽を見ながら神楽が伝える日本の古層を真剣に見つめた私は、そこに神そのものが存在し、聴衆と溶け合う不思議な感覚を受け、かつてこれらが夜通し行われた姿を想起しながら、毎年決まった時期になると必ず村民の前に現れ、共に戯れる「来訪神」の姿を見て、感慨深い思いでした。
謎多き島根を巡る古層を探究する旅はまだ始まったばかりですが、今日だけで多くの方々から深い知見を授かったため、かつての日本が地域を隔てて全く異なる文化圏を持っていた可能性を今まで以上に感じています。一体、日本人はどのような古層を有しており、どのように文化を継承してきたのか?私の果てなき探究心が続く限り、この未知なる全貌を解明するための旅は続きます。