上村松園と幽玄Yugen Resonance in Uemura Shoen's Paintings
歴史的に関係の深い中国から日本にもたらされた文化や思想は無数にありますが、今回のテーマである『幽玄』もその一つです。この概念自体は中国由来で、中国古典文学や道教思想に端を発しているとされます。この概念が日本に伝来して以降は独自の美学として発展し、日本的文脈で深化された重要な概念でもあります。幽玄を簡潔に言えば、物事を直接的に表さずに、漂わせる奥深い情趣や余韻の美しさを意味します。これは単なる実用的な概念というよりも、主に能楽をはじめとする古典芸術で理想とされてきた日本思想にまで昇華しました。中でも幽玄を見事に日本画において表現したのが、明治から昭和にかけて活躍した日本画家・上村松園(1875–1949年)です。松園は近代の京都画壇を代表する女性画家として知られ、生涯にわたり伝統的な技法で品格ある美人画を描き続けた人物ですが、個人的には幽玄の美を自身の美人画に表現することに心血を注いだ重要人物だと捉えています。
古くは日本史上最高の能楽師であり伝説的な世阿弥(1363-1443)によって完成された能の美学において、この幽玄こそが究極の理想美とされたことに始まります。松園自身も能楽に深い関心を寄せており、「謡曲(能の詞章)をやっていますと、身も心も涼風に洗われたように洗浄になってゆく自分を感じるのであります。」や、「謡曲に描かれている事象すべてはこれ絵の題材と言っていいくらいでしょう」と生前に述べているほど強い影響を受けています。つまり彼女は能の物語や情景のすべてが絵画のテーマになり得ると捉え、自らの創作活動に積極的に採用した初の人物だったと言えます。ゆえに上村松園の芸術観には、能楽から影響を受けた幽玄の美意識が根底にあり、ここを理解しなければ松園美学が見えてきません。実際に彼女の作品には、能に着想を得た主題が多く含まれています。『焔』『序の舞』『草紙洗小町』などはその代表で、そこには日本的美意識の精華ともいえる幽玄の精神が色濃く宿っており、見る者を生死の境界に誘います。いつも私は松園の作品を見る度、経験したことのない平安時代の生死の狭間の世界に誘われたように感じます。
さらに幽玄を取り入れた松園の思想は、松園の息子で日本画家であった上村松篁(1902-2001)にも引き継がれました。彼も「能、謡曲が表現する幽玄の世界と、私の描きたいと思う世界は一致するところがある。『香り』や『格調』の世界である」と語っており、親子二代に渡って能楽の幽玄の美を絵画に採り入れることを理想に掲げて制作に励んでいたことが分かります 。その言葉通り、この松園ー松篁の絵画は、現代では絶対に表現できない失われた日本美学が深く根ざしています。
松園は美人画を多く描いたことから、一般的にはその評価が先行していますが、実際には幽玄の理念に基づき、人物の直接的な描写を避けつつ品格と深みを讃える独自の芸術世界を築き上げた絵師です。松園は江戸時代中期頃から京都で有名になった絵師・円山応挙(1733-1795)を開祖とする『円山派』と、呉春(1752-1811)を開祖とする『四条派』を出発点に大和絵や浮世絵といった古典を研究し、伝統的日本画の技法を守りつつ格調高い人物画の創造に努めています。個人的には新しい様式が急速に流入する時代において、最後の伝統的日本画の絵師こそが上村松園だと常々考えています。ただ単なる古典主義ではなく、その作風は厳格な線描と計算された色彩美に特色があり、日本絵画史では「新古典主義的」と評されることもあるほど、古典的な美意識を近代にうまくリミックスして甦らせたものでした 。松園自身も「一点の卑俗なところもなく、清澄な感じのする香高い珠玉のような絵」を理想として掲げており 、「優美なうちにも毅然として犯しがたい女性の気品」を描き出したと自負しています 。このような信念に基づき、彼女は幽玄なる上品さと神秘性を湛えた女性像を追求したのです。
松園の代表作《焔(ほのお)》(1918年)は、その幽玄美の体現を語る上で欠かせない作品です。私もこの絵画を見た時には現世を忘れて生死の狭間で作品を見ているように感じ、強烈な幽玄を静かに体現する松園の才能に驚愕した経験があります。それ以降、私は松園の魔力に取り憑かれたのです。題材自体は紫式部の『源氏物語』に登場する六条御息所の怨念を表現したものですが、むしろ能楽の演目『葵上』における平安文学の情景を描いたものでもあります。六条御息所(この呼び名などは昨日の記事が参考になります)は嫉妬に燃える生霊として日本では知られますが、《焔》の画中で松園は彼女の抱く激しい情念を直接的に表現するのではなく、幽玄な趣きに昇華しています。その立ち姿には仏画に通じる『厳か』という感性が秘められていることも指摘されており 、時空を超えた永遠性を感じさせるところにも幽玄の美が漂います。古典文学の登場人物に命を吹き込みつつ、その情念を象徴的モチーフと落ち着いた色彩で表現することで、松園は日本的な『余情』の美を絵画として成立させました。直接描かずとも深い感情をにじませるこの《焔》には、まさに幽玄の理念が具現化されていると言えます。
松園のもう一つの代表作《序の舞》(1936年)は、幽玄の美を端正に表現した傑作として知られます。こちらも能から着想を得ており、能の舞の一節『序の舞』を舞う若い女性を描いた作品です。こちらは発表当時「完成度・格調ともに優れて世評高く」と高評価されたことから政府が買い上げた作品で 、今日では上村松園芸術の集大成とも評されています。朱色と鶯色を基調とした晴れやかな色彩の中にも、女性の目元から指先に至るまで張り詰めた緊張感が漂っており、髪を伝統的な『文金高島田』に結い、豪華な振袖と丸帯を身に着けた気品ある若い女性が、面を付けずに静かに舞を稽古する姿は、まさに「一点の卑俗さもなく清澄な」趣きをたたえています 。
世阿弥以降、能舞台が装置を極力排し、簡素な所作によって深い余情を表現する理念を持つように、松園もまた背景や余計な描写を排除する「引き算」の構図で、この舞姫の所作に内在する美を浮かび上がらせました 。この観点はどうしてもミニマリズムと捉えられがちですが、実際には全く異なります。個人的にはここに北欧的なミニマリズムと、日本的な異なる意味でのミニマリズムがあるように感じており、Japandiなどはそこを巧みに融合した概念だと思います。ゆるやかな動きの中にも指先まで神経を行き渡らせるように描かれた舞姿からは、優美さと緊張感が調和した松園独特の雰囲気が感じられます 。これは能楽の幽玄そのものが絵画の中に閉じ込められたかのようであり、静けさの中に潜む崇高な美が鑑賞者に深い感動を与えるのです。つまり、幽玄という言葉では理解しがたい日本概念は、松園の日本画に宿っており、それを見ることによって理解できるということです。
上村松園が日本画に吹き込んだ幽玄の美学は、近代日本画の発展に大きな意義をもたらしました。明治以降は開国の影響によって西洋画が多く流入し、多くの日本の絵師たちは日本画を古いと見做して離れ、こぞって西洋画へ向かいました。そのような新たな時代の中で、松園は日本の伝統美に根ざした作品を追求し続け、古典の格調高い美を近代的に蘇らせることによって、日本画にも、日本文化の歴史・思想にも、西洋絵画と同じ重みで学ぶべきものがあることを、言葉ではなく、絵画によって示し続けたのです。ゆえに個人的には彼女を独創的な新古典主義の試みの先鋒であり、伝統と近代の融合によって日本画の表現領域を広げたという一般的な評価には賛同できません。幽玄という日本的な美の理念を近代の絵画で体現したことで、松園は美人画を単なる風俗画の域から、高度な芸術の次元へと高めました。彼女の作品には常に品位と奥行きが備わっており、それが時代を超えて鑑賞者の心を打つ要因となって今も多くの日本人を魅了しています。
上村松園の描いた幽玄なる女性像は、日本人の美意識の『粋』を示すとともに、西洋画の導入が急速に進んだ時代に、近代日本画が伝統思想を継承・発展させる一つの方向性を示しました。幽玄の余韻を湛えたその作品群は、現代においても鑑賞者に静かな感動と敬意を抱かせ、日本美術史の中で不朽の輝きを放ち続けています。