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名前が持つ霊力:実名忌避と二重の名Spiritual Forces of Sacred Naming in Japan

今でこそ日本人は名前の重要性を理解しなくなりましたが、これはこの30年程度の現象であり、日本史を考えると極めて新しい態度だと言えます。ただし今日でも初対面では相手に『名を名乗ること』や、相手を役職名などで呼ぶ習俗は社会に強く根ざしています。かつては長い歴史を通じて名前は神聖視されており、名前を通じて政治的陰謀渦巻くファンタジーのような世界が広がっていました。これは本当に興味深い習俗なのですが、ここを理解する鍵は『実名忌避』と『二重の名』です。この視点から今回は、不思議な世界の第一歩を踏み入れていきましょう。

全国各地を巡って古代日本を探究する私自身、いつも強く感じているのですが、日本の旅を誰よりも深い体験に繋げるためにはどうしても名前の理解が重要です。この名前とは日本人の名前に限らず、土地の名前や神社、さらには神の名前など多岐にわたります。日本語は読者にとって難解な言語でしょうが、Shitsuraeを通じて少しでも理解を深めていただき、皆様の未来の人生に深い影響を及ぼす日々を日本で過ごしていただければ嬉しい限りです。現在の観光客が日本の名前に注意を払うことは全くありませんが、ここが理解できるだけで可能性が無限に広がります。

時代を遥かに遡って日本神話をひもとくと、神々の名前は非常に長く独特な響きを持ち、その意味や音には特別な力が宿ると信じられていました。これは日本が元々、中国のように文字文化を必要としなかった事情が深く関係しており、音それ自体が神だという信仰がかなり長く続いたことが影響しています。その発展形態が多くの読者が関心を寄せる『言霊』、あるいは『音霊』と呼ばれる神道の文脈で語られる神秘性です。私も文献のない時代の調査を基本的に行なっていることから、神や土地の名前から見えない歴史を解読することを無数に経験しており、面白いことにそこを通じて古代の実態を垣間見ることができます。馬鹿げているように聞こえるかもしれませんが、事実です。

例えば、『古事記』冒頭に現れる最初の神である『天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)』という神名は、一般的に「天の中心を主宰する神」という意味を持ち、名前それ自体が神格を表しています。この神の名前に関する解釈において大きな貢献をしたのが江戸時代の国学者・本居宣長(1730-1801)です。しかし、神の名前は私たちの祖先でありながら、途方もない昔の日本人の信仰が深く関連しているため、正しい解釈と呼べるものは存在しません。実際、『アメノミナカヌシ』の『天』とは中国的には天上界を示す用語として日本でも輸入・採用されていますが、この『ama』は古い文献だけでも『天、阿麻、海部、菴、甘』など無数に存在します。

これは中国の漢字が流入して以降、日本の音を文字に還元しなければならない背景から適切な概念と近似するものをあてたからですが、日本語の観点から見れば『ama』は天上界という中国の神仙的な世界観よりも、周囲を海に囲まれた日本らしく『海』に関連する概念として使用される傾向があります。今も海側に居住して漁労を営む人々を日本では『海人: ama』、あるいは女性を『海女: ama』などと呼び、地名でも『奄美大島』を筆頭に多くの『ama』を冠する地名が残っています。さらに『ama』を象徴する古代氏族もかつて存在しており、これらは『海部氏』などとして現在も京都府北部の丹後半島の海沿いには、丹後海部氏の末裔が籠神社の社家を代々世襲し続けています。海部氏に関する地名は、他にもいくつか20世紀から21世紀頃に地域の統廃合が行われる以前は残っており、例えば大分県には海部郡など露骨に地名が残っていました。

正直、この『ama』という音の古代史だけでも多くの人々が著作を書けるほど奥深いもので、断定することはできないのですが、このように日本の音にはとてつもない深淵な意味が眠っています。そのため仮に私が読者に古事記の神話を伝えようとしても、『アメノミナカヌシ』だけで膨大な論考が必要となるため、この点だけは注意深く避けているほどです。上記で簡単に「天の中心を主宰する神」という意味を示しましたが、その一般的理解では『アメノミナカヌシ』の神威には微塵も触れることができず、とにかく論じることが日本語以外では不可能な境地であることに変わりありません。こうした音信仰の性格は神の名前において最大限に発揮されるため、日本の神ほど読み解くことが難しい存在はないかもしれません。そもそも日本神話の性格は、名付ける行為そのものが神聖な創造行為であり、名には霊威が宿るという感性を古代日本人が持っていたことが察知できます。それが「言霊」の思想にも通じていくのですが、古来日本では言葉に霊的な力が宿り、口に出すことでその力が発揮されると信じられてきました。一見すると無関係に思える真言密教の空海でさえ、『真言: 言葉の真意』という観点から言霊を密教的に解義した理論を打ち立てています。ゆえに神の名を唱えること自体が尊い祈りとされ、人の名前についてもまた慎重に扱われました。この点に関しては日本に限らず、古代世界のどこでも同じことがあったのは皆様の方が知っていると思います。

ただ、こうした古代日本の音(つまり神)を奉祀する背景のもと、古代の日本社会では他者の実名(本当の名前)を公に呼ぶことを『忌み避ける』習俗が生まれ、その後の日本史に大きな影響を及ぼします。特に政治体制が中央集権的傾向を強める飛鳥時代(538-710)〜奈良時代(710-794)には、この実名敬避の習俗が支配者の権威を高める目的で制度化されている点が注目されます。私の探究テーマである古事記も、実は各氏族の名を天皇のもとで正統化する根拠を体系化し、名前を通じて氏族たちの権威を抑制することが目的の一つでもありました。こうして、もともとあった日本固有の慣習に、絶大な影響力を誇っていた中国・唐から『避諱』という名前の忌避制度が手本に取り入れられて、ついに国家規模で整備されていったのです。

典型的な事態としては、第42代・文武天皇の701年に制定された大宝律令では、明確に「皇祖以来の名を避ける」こと、すなわち天皇や皇族の『諱(いみな=忌み名)』を日常で用いないように定めています。続いて757年には天皇・皇后の名を避ける勅令が天皇から出されており、さらに翌年には朝廷を牛耳る権力者の一人・藤原鎌足の子の名前に使われていた『史』という字を忌避するために、当該の字を姓にもつ六つの氏族がわざわざ姓を改めさせられたことが『続日本紀』に記されています 。このように、皇帝や高貴な人物の名を直接口にすることは憚られるようになり、律令国家のもとで公然のタブーとなっていったのです。

おそらく古代からそうした習俗が部族内であったと個人的に考えていますが、実際に強化されたのが奈良時代、平安時代(794-1185)に勃興した貴族社会です。この時代、実名は本人にとって極めて私的で神聖なものであると考えられたことから、日常生活でめったに呼ばれることはありませんでした。そこで他者がその人を呼ぶ際には、代わりに『通称』と呼ばれる別名が用いられるようになります。ここで『諱・忌み名』とも言われる実名は、親や主君など特別な立場の者だけが公式の場で限定的に用いるものと位置付けられ、それ以外の者が口にすれば不敬に当たると考えられました。実際、平安時代の文献や日記を見ても、貴族同士が実名で呼び合う場面は登場せず、代わりに官職名や居住する屋敷の名前に基づく呼称が頻繁に用いられています。

例えば貴族の男性では、自邸の所在地や官職にちなむ呼び名が通常は使用されており、平安時代の貴族・源雅信(920-993)は、京都の土御門大路にあった邸宅と左大臣の官職にちなんで『土御門左大臣』と称されました 。また平安時代中期以降は、女性の呼称にも父や夫の官職名が使われるようになります。有名どころで言えば、『源氏物語』の作者である紫式部は本名ではなく、父の職名が式部丞であることから『紫式部』と呼ばれていたため、未だに彼女の本名は諸説あり不明です。さらに『和泉式部日記』の作者であり、優れた歌人としても知られる和泉式部も本名ではなく、夫が和泉守という役職であったことから呼ばれた呼称でこちらも本名は不明です。このように貴族たちは『二重の名』を使い分け、基本的に実名を隠し、通称によって互いを呼び交わしていたのです。ではなぜ、彼ら貴族は実名をここまで避ける習俗に拘ったのでしょうか?

その底流には、言霊信仰の観点から、名前と人格・霊魂が深く結びついているという信仰があります。そのため、名前は単なる個人の識別記号ではなく、その人の魂を表すものと考えられました。『真名』とも呼ばれた本名を他人に知られたり呼ばれたりすることは、その他者に魂を握られるという畏れを伴い、これが実際にかなりの恐怖と不安を抱いていたのです。事実、古代もそうですが中世には本名が知られることによって、敵対する人物の怨念に滅ぼされる出来事が多発しており、名前を使って呪い苦しめるための秘術も隆盛したほどです。高貴な人々ほど他者からの嫉妬や怒りを買うことが多いことは源氏物語からも知ることができますが、貴族は実名を秘することで身を守り、厄災を避けると同時に、相手への最大の敬意も示すことにも用いました。

また幼子の命名には厳かな儀式が伴い、生後七日目の命名の儀で正式な名を授けるまでは、仮の名前で呼ぶ習わしも見られ、貴族に限らず後の武士においても成長過程や地位によって複数の名前を使い分けるまでに複雑化していきます。さらに幼児が大病にかかった際には、病気の原因が名前と考える性格も強かったため、その時には名前を改めることで厄を祓おうとする例も見られ、名前には人の運命すら左右する霊力が宿ると信じられていたことが窺えます。これは今も日本人は強く信じており、そのため子供の命名が子供の将来を決めると信じる人々も多くいます。だからこそ、日本人一人一人の名前には奥深い親の想いや願いが込められているのです。

そしてこれは生者に限らず、死者も同様です。死者の実名も強い忌避の対象であり、特に天皇や貴人には『諡(おくりな)』と呼ばれる別名が死後に贈られました。これは生前の名に代わる尊号であり、これを捧げることで亡き魂を慰めるとともに、残された者たちが直接その本名を呼ばずに済むようにする役割も果たしました。天皇で言えば、今でこそ現代日本人は元号をそのまま『平成天皇』や『令和天皇』などと時折呼んでいますが、これは明治時代以降の新たな慣習であり、元号と『諡号(諡のことです)』が同一に用いられる近代的現象に過ぎません。そのため神武天皇、天武天皇、桓武天皇などの天皇の名前として一般的に知られるものは、全て諡号であって実名ではないのです。当時の天皇たちは、そのような名前で呼ばれていませんでした。

このように、日本では古代より名前が特別なものとして扱われてきましたが、その影響は現代にも窺えます。ビジネスシーンでも上司や目上の人を下の名前で呼ぶことはあり得ず、姓や肩書で呼称する習慣には名前そのものへの敬意や心理的な距離感が表れています。普段意識されることはなくとも、「名を敬い慎む」歴史的な文化は、今なお私たちの日本社会に脈々と受け継がれていると言えるでしょう。