松尾芭蕉『奥の細道』の旅の謎Matsuo Basho's Journey and the Mysteries of Oku no Hosomichi
日本の俳句と聞けば、その代表的人物である松尾芭蕉(1644-1694)を知る読者も多いかもしれません。松尾芭蕉は江戸時代初期に俳句を大きく発展させた人物であり、各地を旅しながら次々と俳句を制作し、生涯で1000句もの作品を残します。
中でも彼の代表作は、『奥の細道』です(残念ながら松尾芭蕉による原本は発見されていません)。
『奥の細道』は、平安時代末期(12世紀)の歌人であり、俳句文化の開祖として讃えられる西行(1118-1190)や、中世日本の代表的な俳人である宗祇(1421-1502)から影響を受けた松尾芭蕉が、過去の歌人や俳人に敬意を示して、彼らの足跡を辿る目的で制作されたものです。ある意味、日本文学の巡礼の旅でした。
松尾芭蕉がこの旅に出たのは、1689年の46歳の時です。当時の旅は戻ってこられないことも頻繁にあったため、旅立ちの時には、死を覚悟して家族などに別れを告げて、たった一人だけ弟子を連れて旅立ちます。
こうして江戸を出立し、東北から北陸を巡って現在の岐阜県で旅を終えた芭蕉は、各地で名作を残します。しかし、この旅には今日まで多くの謎を残しており、それらが後に様々な伝説を生む源泉となったのです。
例えば今も定かでないことの一つに、芭蕉はこの旅に係る費用をどこから調達したのかがあります。パトロンや裕福な弟子に一部を援助されたことは事実ですが、それだけでは到底足りません。そこで旅の資金源がこれまで調査されてきましたが、どれも確証には至っていません。実際に『奥の細道』の旅に使った金額は、現在の通貨価値に換算すると約200-300万円程度です。
芭蕉は出自の系譜は侍でしたが、父の身分は既に農民でした。農民としては豊かな家だったと言われていますが、この旅費を工面するには至りません。
しかし、何より驚愕するのは、その移動速度と距離です。
ここで一度、平均寿命を考慮して考えてみましょう。江戸時代の日本人の平均寿命は、一般的に30-40歳程度と考えられています。これは乳幼児の死亡率が高かったことも要因ですが、成人まで生き延びた場合は50-60歳頃が平均値であり、70歳以上まで生きる人も珍しくありませんでした。
当時の松尾芭蕉の年齢を現代に置き換えると、現在の60代から70代に相当しており、一般的には全ての仕事を終えて、静かに余生を楽しむ年齢です。実際、芭蕉は旅で頻繁に体の不具合を訴えています。
さらに当時の旅は、背中いっぱいに重いバックパックを背負って移動しなければなりません。松尾芭蕉の荷物の総重量は、何と15-20kg程度あったと考えられています。バックパックには紙・筆・墨の多くの必需品から、衣服、雨具、薬などが含まれていました。
また、野宿も頻繁に起こります。特に現在のように山岳部は切り開かれていない場所も多かったため、旅の主要経路である東北から北陸は悪路が続きます。その上、山に隠れて旅人を襲う山賊や、熊や狼(既に絶滅)に襲われる危険もありました。
そんな中、何と芭蕉は一日平均で16kmもの距離を歩行で移動します。実は『奥の細道』の旅では、150日間で2,400kmを歩いています。現代の60-70代が15-20kgの荷物を背負い、たった150日間で悪路を歩行で2,400km歩くなど夢物語でしょう。
一般的に旅の途中で荷物は減るものですが、芭蕉の名声に感化された各地の人々が、芭蕉が立ち寄った場所を訪れては様々な贈り物をしたため、総重量は日に日に増えたとも言われています。しかも今日とは異なり、旅の前にハードなトレーニングを積むこともありませんし、十分な食料が常に入手できるとは限りません。
では一体、どのようにして松尾芭蕉はこの偉業を成し遂げたのか?
芭蕉の死後、後世の人々はこの信じがたい成果に対して様々な想像を巡らせます。その結果、いつの間にか驚くべき伝説が生まれるようになり、今日に語り継がれていくのです。この興味深い伝説について、次回は書いていきます。