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神社合祀令と熊野の自然破壊The Shrine Merger Order and the Destruction of Kumano

20世紀初頭に日本有数の豊かな自然環境を有する和歌山県で起きた、致命的な自然破壊についてです。

あまり知られていませんが、世界遺産にもなり、多くの方々が来訪する熊野古道は、この160年程度で大きく変容しました。かつては豊かな自然環境に育まれ、無数の日本古来の信仰を残していた熊野ですが、20世紀初頭に入ると、存続の危機に追い込まれます。

近代の深刻な自然破壊によって、熊野の自然の重要性が改めて注目を集めていますが、現在の姿は、実は破壊された後の荒廃した光景に過ぎません。その原因となったのが、明治時代の1906年頃から始まった政府による「神社合祀令」です。

神社合祀令とは、当時、日本全国に無数にあった神社を次々と統合し、政府による国家管理のもとに神社を併合するための政策です。特に統廃合の対象となったのが、かつて集落の数だけ存在したと言われる小さな神社です。

小さな神社といっても、集落に暮らす人々にとっては、歴史的に重要であり、その固有の信仰が土地の文化を育んできた源泉です。政府には、この細分化された信仰を国家的に統一し、一元的な「国家神道」を形成する目論見がありました。

この背景は理解が難しいのですが、古来、日本人の信仰は場所が変われば一変する具合に、非常に多様な神への信仰を持っていました。しかし明治政府が1868年に樹立して以降、特に神道界で絶対的な権力を獲得した伊勢神宮を頂点とする国家神道システムが形成されます。

この主眼は、為政者が国をまとめるための象徴として天皇を国民に崇拝させ、ひとつにまとまった国民を国家として形づくることにありました。その目的は、欧米水準での経済規模を実現することと、戦争のためです。

しかし、集落ごとに信仰する神が異なる多様な状況では、国民の創造には至らず、明治政府が樹立して約40年が経とうとしていた当時でさえ、統一感のない状態が続きます。

こうして窮地に追い込まれた政府は、信仰の破壊と統一に活路を見出し、内閣の主導のもとで、無数の神社を破壊する暴力的な国家政策を発布したのです。

端的に言うと、神社の信仰の多様性を無くして、1つの町や1つの村に対して、それぞれ一社だけ神社を建てることを許可し、それ以外の神社を全て廃止して統合するものでした。

これだけを見ると、いかにも近代的な合理主義の影響に思えるでしょうが、日本人の信仰の観点から見た場合、影響は非常に深刻でした。なぜならば、統合された神社に祭祀する神を決めるのは、土地の人々ではなく、政府や役人であったからです。しかも、これらの為政者は、特に伊勢神宮の影響を強く受けていたので、多様な神の奉祀が許されなくなっていきます。

この政策が与えた影響は甚大であり、神社をとりまく豊かな自然環境、信仰の多様性、土地固有の習俗、文化を破壊するまでに至りました。この影響を最も被ったのが和歌山県、続いて隣の三重県でした。

なぜ、政府が和歌山と三重に対して集中的に介入したかと言うと、世界的にKumanoとして知られる奈良、和歌山、三重の山岳地域の一帯は、日本有数の自然環境があり、その分、非常に豊かな信仰が無数に存在したからです。

また、これらの地域は峻厳な山岳によって都市部から隔てられていたため、統一国家の樹立を目論む為政者からすると、なんとしてでも、強い制限をかけなければならない地域でした。なぜならば、歴史的に為政者への反逆の動きは、監視の及ばない山岳地帯から起きていたからです。

同時に、神社を強制的に廃止した目的の一つには、豊富な森林を伐採して、産業促進へとつなげる目論見があったことも関わります。古来より神社には「鎮守の森」と呼ばれる重要な自然環境が存在し、その生態系が土地の暮らしを支えていました。これがあったことで、人々は信仰の観点から河川や土壌を汚染したり、森林伐採を行う行動に抑止をかけていました。

つまり、自然を産業へと転用する近代的な目論見は、実は日本固有の信仰によって行き詰まっていたのです。ここに統一宗教としての地位を確立したい伊勢神宮との思惑が一致し、容赦ない国家的な介入が加えられるのですが、この時に和歌山生まれの賢人が大きな反対運動を起こします。

それが、超人として知られる南方熊楠です。