C:\SHITSURAE\> TYPE SJ051.TXT

SJ051.TXT2025-02-1711KB

1200年の京都を支えた水文化The Water Culture That Has Sustained Kyoto for 1,200 Years

794年に平安京が成立して以降、1,200年にも及ぶ京都文化を支えてきた「水文化」についてです。

以前お伝えしたように、世界有数の観光都市となった京都には、「本当の京都」と呼ばれる限定された小さな区画が存在します。それ以前に「本当の京都」は、現在よりも少し西側に位置しており、そこがメインストリートとなって大規模に発展しました。

しかし、度重なる自然災害や疫病などの発生により、新しい都市として始まった京都の歴史は大きく変容します。こうして人々は、それまでの居住地を放棄し、東側に新たな都市を形成したことで、現在の京都が成立する動きとなりました。

まず、京都市の地理を理解する時に重要となるのが、京都盆地です。この京都盆地を舞台として、一体なぜ人々が西から東に移動したのかを考えることが重要です。これには複数の要因が指摘されていますが、その1つに考えられているのが地質の違いです。これを最初に提唱したのが、関西大学で環境都市工学部教授を務めた楠見晴重です。

そもそも、どうして京都には多くの日本の伝統文化と呼ばれる知恵が発展し、しかも長年持続することができたのでしょうか。それを理解する際に、切っても切り離せないのが水の存在です。京都観光でも楽しまれている蕎麦、和菓子、抹茶などを始め、着物の染色、さらには禅や侘び寂びの独特の景観に至るまで、水は文化の母体とも言える重要な役割を果たしてきました。

これを深く知るためには、英語ではなく日本語で京都市内の地名に目を向ける必要があります。すると、興味深い事実が見えてくるからです。

例えば「河原町」「白川」「川端」「今出川」「堀川」「御池」など、現在の京都市中心部には、日本語で水に関する地名や通りが多数存在します。

「河」「川」「池」などが「水」に関わる日本語。

ただし、現在では地名を残すだけで、かつての面影がないため、京都観光に出向いた人々は、どこにそのような水があるのかと疑うでしょう。現在では京都市内東部を流れる鴨川や、西部を流れる桂川(嵐山近辺)などがありますが、到底それらが京都独自の水文化を育んできたとは言いがたいからです。

現在の京都を表層的に見るだけでは、水に恵まれた土地と言いがたい事は事実です。しかし、視点を南禅寺近辺の桜で有名な蹴上地区に向けると、話は変わってきます。ここは現在でも滋賀県の琵琶湖から水路が引かれており、京都の水文化を支える一端を担っているからです。

日本最大の湖である琵琶湖は、南北約60キロメートル、東西約20キロメートルと非常に広大で、総水量は約275億トンです。一般的に琵琶湖の水量だけで、流域に暮らす1450万人の人々が1日に使う水の量を、何と11年程度も確保することができます。

しかし、それだけではありません。京都の水文化で最も重要なのが、実は地下水の存在です。実際、この豊富な地下水があったことで、1200年にも及ぶ京都の歴史は支えられたといえます。なぜならば、平安京が成立した時代に琵琶湖から水路を作るような大事業は行われていなかったからです。理由は明白で、財政難に陥っていた当時の天皇家や貴族に、それらの予算がなかったからです。

ですが、水の確保は新たな都市の生命線です。そこで彼らは「ある存在」から多くを学び、京都盆地に存在する地下水を知ったのです。この「ある存在」については、別の機会に記します。つまり事実上、平安京の勃興は地下水によって生まれたのです。地下水がなければ、平安京の持続も、京都文化の発展も不可能でした。

京都盆地は、南北約33キロメートル、東西約12キロメートルの縦に長い形をしており、この盆地の下に広大な地下水があります。特に、現在では地名を残すだけで面影を失っていますが、かつて京都市南部の宇治市近郊には、「巨椋池」と呼ばれた巨大な湖があったことが歴史的に実証されています。この巨椋池は、砂礫層が800メートルもあると判明しており、かつては広大な湖が一帯に広がっていたことを示しています。

現在の京都盆地で地下水が流れ出す箇所は、大きく桂川、宇治川、木津川の3つの川の合流部に位置しています。この地点は、かつて巨椋池が広がっていた地域に建つ石清水八幡宮付近です。

楠見は詳細な調査を行った結果、なんと京都盆地には、琵琶湖の水量に匹敵する211億トンもの地下水が貯蔵されていることを明らかにしたのです。これを楠見は「京都水盆」と命名し、自身のキャリアを通じて、その重要性と保全、さらには積極的な活用を訴え続けました。

なぜならば、この「京都水盆」の効果的な活用こそが、現在の京都文化の母体であることを誰よりも理解したからです。逆に言えば、利便性を重視する現代社会では、こうした地下水を利用する知恵を失っているため、必然的に文化は衰退するということです。

そして、この京都盆地の地下に存在する京都水盆によって、関西の他地域と比べて夏は暑く、冬は寒い京都独特の気候が生まれていることも判明したのです。