大和から奈良へ:写真家・入江泰吉の美しさFrom Yamato to Nara: The Beauty of Photographer Taikichi Irie
この記事では、生涯にわたって奈良を撮り続けた写真家・入江泰吉についてです。
前回、志賀直哉を主宰とする奈良県高畑で生まれた「高畑サロン」について書きました。志賀が東京に去って以降、その志を継承した東大寺僧侶の上司海雲によって「観音院サロン」が始まりますが、そこに出入りしていた一人が入江泰吉(1905-1992)です。
入江は奈良に生まれ、最初は画家を志しますが、兄からVest Pocket Kodakを譲り受けたことをきっかけに、写真にのめり込みます。こうして写真界で一躍名を馳せた入江ですが、実は写真史の文脈では、ほとんど語られることがありません。
敗戦後の1945年11月17日。東大寺の四天王像が疎開先から奈良に戻される際、アメリカに接収されるという噂が立ったため、それを写真に記録することを決意したことが、入江の写真人生を大きく変える転機となりました。
こうして入江は生涯奈良に住み、生まれ故郷である奈良の寺、仏像、風景、祭りなどを、1992年に亡くなるまで撮り続けました。
日本の写真史において、生まれてから死ぬまで、自身の故郷を撮り続けた写真家は非常に稀です。特に当時、同世代の写真家として著名な土門拳や木村伊兵衛、さらに東松照明が加盟していた次世代の写真家集団「VIVO」のメンバーなどは、社会性をテーマにした作品を次々と発表していました。
日本が敗戦から高度経済成長期に入ると、社会の歪みが大きく注目されたため、多くの写真家がそこに目を向けたのは当然の流れです。しかし、入江はそうした態度を一切取らず、社会的なメッセージを発することも拒否して、ひたすら生まれ故郷の変わりゆく風景を撮り続けます。
入江の写真には社会的メッセージ性はありませんが、それはネガティブではなく、むしろ極めて日本的だと言えます。こうした背景から、国内外で入江の作品が語られる機会は少ないと言えるでしょう。
しかし、入江ほど日本人の情感を通じて、日本の風景を見事に写真に撮った写真家はいません。この言葉にしがたい入江の作品に共鳴したのが、著名な映画監督・小津安二郎でした。
小津は自身の作品において、本物を徹底的に使用することにこだわり、作中に登場する陶器や食事なども、すべて一級品を用意していました。あまり知られていませんが、小津作品には入江泰吉の写真が随所に登場します。
個人的には、日本の美意識を存分に発揮した映画監督が小津安二郎ならば、写真家は入江泰吉がその存在に当たると考えています。
そして、入江の写真を観る際、一つ鑑賞の指標として私から提示するのは、「大和」から「奈良」への変化です。
この「大和」という言葉は、古くから現在の奈良を指すものでした。「奈良」という名称が一般的に使われるようになったのは、比較的最近のことです。つまり、歴史と文化を有する「大和」という風情が、戦後の急速な変化の中で失われていく様子を、入江は生涯にわたって撮り続けたということです。そのため、入江の作品を通して現在の奈良を見ると、日本が失ったものが浮かび上がってきます。
私が最も愛する写真家・入江泰吉。
奈良の高畑から少し歩いたところには、現在、入江泰吉の写真館があります。観光客が訪れることは滅多にありませんが、もし奈良に出向き、奈良という文化に触れたいのであれば、一度ここを訪れてから観光を楽しむことをお勧めします。
「大和」から「奈良」へ。そこで感じる言葉にしがたい情感こそが、日本の心なのです。