奈良の近代文化を形成した高畑サロンThe Origins of Modern Nara Culture: The Significance of the Takabatake Salon Where Cultural Figures Gathered
この記事では、観光客も多く訪れる奈良で、奈良の近代文化を形成した「高畑サロン」についてです。
奈良は、古代日本の政治中心地であり、中国・朝鮮を経由した仏教の伝来、文字文化の醸成、さらに律令制に見られる初期国家段階など、重要な歴史が始まり、多くの文化が育まれてきました。
そのため、現在の奈良観光も、古い時代をめぐるものに注力されていますが、実は、今日の奈良において重要な文化を形成したサロンがありました。それは、たった一人の人物が、奈良への移住したことに始まります。その人物が、「A Dark Night's Passing」などで知られる小説家の志賀直哉(1883-1971)です。
当時、すでに作家として知名度が高く、当代随一の文化人として知られていた志賀ですが、1925年、突然奈良への移住を決断します。
彼が奈良で暮らす場所として選んだのが、市内中心部から外れた高畑です。高畑は、古くから東大寺や春日大社の神官や仏僧たちが居住する地域でしたから、ほとんど開発されていない辺鄙な場所でした。
しかし志賀は、高畑から望む若草山の景色を気に入り、自ら家を設計して、1929年から高畑に暮らし始めます。こうして、文化的な土壌が、ほとんどなかった高畑に注目が集まります。
やがて、あっという間に志賀を中心とした一つの文化コミュニティが生まれ、志賀を尋ねて奈良に来訪する人々が増えたため、「高畑サロン」と呼ばれるようになりました。
このサロンに出入りしていた文化人は多く、作家の武者小路実篤、谷崎潤一郎、批評家の小林秀雄など錚々たる面々でした。さらに、この文化人たちに感化されて、若い芸術家が育ちます。
こうした背景から、志賀の家を中心に多くの人々が居住を始めるようになり、高畑は賑やかになりました。すると志賀は、その変化を見越して1938年に奈良を去り、東京へ移住してしまいます。
こうして、文化的素養を育んでいた高畑サロンの役目は失われそうになりましたが、その志を引き継ぎ、奈良の文化を次の段階へ発展させようとする機運が生まれます。その先導者となったのが、志賀と交流を深めていた僧侶であり、後に東大寺別当になる若き上司海雲(1906-1975)です。
彼は、住職を務めていた東大寺観音院で新たなサロンを始め、志賀の精神を引き継ぎます。開かれた「観音院サロン」には、多くの人々が出入りするようになり、こちらも次世代の芸術家たちを育みます。
すでに現在、このサロンから生まれた奈良文化は消えつつありますが、そこで育まれた文化の土壌は、今も高畑に不思議な余韻を残しています。こうした場所を巡ることも、新たな旅の発見につながるでしょう。