神社とは何だったのか?: 神道の発生What Was the Shrine? tama, the Self Without Subject, and the Buried Origin of Shinto
興味深いことに、「神社とは何か?」ではなく、「神社とは何だったのか?」に問いを変えると、突然誰もが答えに窮します。この戸惑いは、神社というイメージが生じた近世から近代の解釈以外に、ほとんどすべての人が答えを持っていないことを示唆しています。
実際、神社に来訪して神職に「神社とは何か?」を尋ねると、大抵は「神を祀る社」という決まった回答が返ってきます。ですが、これは「神道」の正しい回答であって、神社それ自体の起源については何も語っていません。一体、なぜ誰もが共通して同じ回答をするのでしょうか? こうしたことは、誰も教えてくれません。
背景には、神職になるための大学が国内に二つあることが関わっています。ひとつが東京の國學院大学、ひとつが三重県伊勢の皇学館大学です。両校は独立しているように見えますが、実際には神社本庁直下の神職要請機関です。大学では専門的に神社本庁の定めた教義に従い、神道、古典、祭式技法などを学び、卒業後に神社本庁から神職資格が付与されます。これを通過して、はじめて神職になることができる。つまり、信仰とは一切無関係です。
重要なことは、神社本庁は政府の公的機関ではなく、明確に宗教法人だということです。しかも神社本庁は「伊勢神宮を本宗と仰ぐ」新興宗教であり、そこには神道が本来持っていた多元的な信仰の許容はありません。ピラミッド型の権力構造の絶対的頂点に伊勢神宮を据え、直下に全国8万社を統括する組織。この内容だけを見ても、神職の免許制度を掌握する神社本庁が、かなりの問題を抱えている実態が浮上します。事実、この利権を使って神社本庁は、かなり直接的に自民党保守系議員のバックアップになっており、ロビー団体として神道政治連盟を活用しています。
端的に言えば、所属する全国の神社から資金を徴収し、自らの宗教教義に即した政治運動に結びつける。現首相の高市早苗を含めて、保守系の論理は基本的に彼らの意図に立脚しており、今も相当な影響力を保持しています。しかし、今回の記事で問いたいことは神社本庁の政治的問題ではありません。神社本庁の意図に即した形で拡散されてきた既存の内容では、「神社とは何か?」について答えられても、「神社とは何だったのか?」について答える力を持っていないこと。この違和感を解き明かす道を開いていきたいのです。
はっきり言えば、上述の質問に対する回答は、大学機関で教える教科書通りの答えであって、直接的には神社本庁の見解です。少し尖った視方をすれば、その回答は近代神道の歴史を強く抱え、近世神道の名残を残存していますが、それ以前の歴史、文化、精神は皆無に等しい問題があります。なにより私が違和感を感じるのは、神社に対する「神を祀る社」という彼らの回答では、それ以前の神道について何一つ語ることができないことです。より顕著な例で言えば、かつての神仏習合という歴史的な出来事から完全に断絶しています。この事実は、神仏習合という興味深い出来事に対する回答を、実は神職も僧侶も持っていないことを表しています。
日本という観点で見ると、「仏」という後発的な存在に対して、「神」という起源的な存在があったとされます。これは誰もが同意することですが、問題は神社を「神を祀る社」として近代的に規定してしまうと、どのようにして異質な存在が交差したのかについての歴史が不可視になることです。神仏習合の例を挙げるなら、神社本庁の本宗である伊勢神宮の皇大神宮に奉祀されるアマテラスは、仏教側の大日如来の化身となります。この主張の論理は分かりますが、本当に知りたいことは次のことです。
なぜ、神と仏という異質な存在が習合できたのか?
その起源の文化精神の土壌には、どのようなものがあったのか?
整理すると簡潔ですが、論じようとすると極端に難解になります。言い換えれば、日本において異質だった仏教の受容と解釈を考える場合、先に解明しなければならないことは、その土壌となっていた神の受容と解釈です。しかし、ここまで思考を傾けている人は少ない。理由は明確で、日本における神の受容は、古来より連なる伝統だと見なされるからです。ですが、これは本当でしょうか?
その回答でさえ神社本庁の見解でしかないならば、実は誰も何も知らないという不都合な事実が浮上します。誰も何も知らないが、知っているように振る舞う。これは典型的な新興宗教の方法であり、神道それ自体の本質について語っていません。つまり本当に神道を知るためには、神社本庁という巨大な幻想を消滅させた世界へ向かわなければならないのです。私が知る限り、近代以降の歴史で神道の本質的な境地に触れた人々は、片手で数えられる程度です。
従来の神道の論理では、古来から神を祀る行為は日本各地で見られたと前提します。そこに現在の姿での神社はなくとも、祖型的には森の木、岩、山などが神社と見立てられ、歴史的変容を遂げて今日の姿に至ったと前提します。いわゆるYaoyorozu信仰です。通常、この自然物自体を神社と見る心が変容した契機は、寺院という構造を持つ仏教伝来の影響によると位置付けられます。
確かに寺院の建立が始まったことで、対抗的に神を祀る神社の建立が始まったと言えます。しかし、それは一部地域に限って起きたことであって、日本へと一般化することは不可能です。また外来の仏教的世界観への対抗として、土着の神道的世界観が打ち立てられたという説もかなり怪しい。なぜならば、この考え方は神道が古来より実在したという特定不可能な空想に依存しているからです。懐疑的な言い方をすれば、それはイデオロギーです。
自然自体に無数の神が宿るという考え方は一定の事実を含んでいますが、これを神道の起源とすることに私は違和感を感じます。そもそも木、岩、山自体が御神体であり、神社の祖型であるということは、全国的に今も痕跡が残ることから事実でしょう。ですが、その自然信仰だって発生起源を持っていたはずです。この違和感に到達した時、非常に厄介な思想と向き合わなければなりません。それが神道を「カムナガラ」と解釈する歴史です。
今日のように[神道]をShintoと読むのは近代以降に定着した新たな慣習で、かつてはKamunagara/Kannagaraなど多様に読まれていました。表記自体は、720年成立の日本書紀に[惟神]と記されていたことに基づきます。
惟神の意味として、日本書紀の原註には[惟神者 謂隨神道亦謂自有神道也]と説明されています。日本書紀は完全に中国式の漢文で記されたため、このような記述が原典となります。惟神という用語に対しては、近世以前から僧侶、神職、学者などが様々な解釈を提起しているため、歴史的に重視されていたことは事実です。この解釈は英訳が不可能ですが、無理に言えば「惟神は神道に従うことをいう。また、自然に神道が存在する状態をいう」という具合です。逆に言えば、これが神道の姿を語っているのですが、理解は極めて難解です。
最初に、日本語の厄介さを解消しなければなりません。注目点は、原註にある[自]というたった一つの用語です。この用語は、日本的感性に基づいた概念であるため翻訳できず、特に現代英語のように主語を言語構造に持つ場合、必ず理解はズレてしまいます。ただ、理解がズレるのは現代日本人も同じです。明治以降に始まった近代学問において、言語学が参照点としたのは英語でした。この時、英語に主語があったため、必ず日本語にも主語があると考え、存在しない主語を日本語の言語構造に捏造する虚偽を学者が働いたのです。今や「日本語に主語がある」という認識が一般化していることは、少し日本語を学んだ方ならわかると思います。現に日本人のほぼすべてもそう認識しています。しかし、これは嘘です。主語があると捏造された結果、[自]という言葉を現代日本人も理解することはできなくなっています。
問題は、[自]を理解できない日本人が神道について語る際、必ずこの転倒の影響を被るということです。言い換えれば、日本語に主語があると思い込んでいる日本人が神道について語ると、必ず転倒するということです。この転倒によるズレは、歴史を見る際に甚大な影響を及ぼすため、近代以前の理解を拒む直接的な壁となります。特に大学卒業資格を必要とする奇妙な神職制度では、必ずこの転倒理解が横行します。神を奉祀することと、大学卒業資格に何の関係があるのか私には理解できませんが、今では誰にも疑われていません。ゆえに神職が語るからと言って正しいわけではない。彼らは神社本庁経由の神道については語れても、根源的な発生の歴史を語る力はない。ここは明確に区別しなければなりません。一方で、私の興味はこの発生にあります。そこで、難点となる[自]を見ていきます。
[自]の用語は儒教の開祖である孔子に由来しており、日本側では文献時代の幕開けから使用例が見られます。文献時代初期に制作された『古事記』『日本書紀』『万葉集』の時代から、[自]の字には複数の訓が日本側で当てられており、8世紀の時点で大きく二つに読み方が分かれていました。ひとつは「おのつから」、もうひとつが「みつから」です。これはどちらかが正しいことを意味するのではなく、文脈に応じて意味が変質したということです。近世から近代にかけては「おのづから」と「みづから」と読みます。
[自]は、かつて「おのつから」と「みつから」と読まれていた古い和語の一種です。「から」は「それ自体や本性」を包摂した用語で、「み」と「おの」の違いは、表記として[身](み)と[己](おの)として明確に使い分けられています。「つ」は、古語における格助詞だと考えられています。
なぜ、たった一文字の意味さえ現代人が解読できないかと言えば、近代以降は必然的に主語が暗黙裡に介入してしまい、主体を前提に物事を解釈する癖がついているからです。これを象徴するように、現代日本人は主体なき世界における思想の「おのづから」という言葉を使わなくなりました。近代以降は「みづから」という言葉に集約されましたが、こちらも近代以前の意味を近代化しており、「主体への再帰」や「主体意識を強調する」意味として規定されています。いわば、[自]の思想はもはや消滅したのです。しかし、この[自]の思想が古来日本の本質を伝えています。言い換えれば、中国の儒教読解においても難解なのは[自]の思想です。私たちは孔子時代の[自]に、近代的主体を想定しますが、そうした視方自体が間違っているということです。
近代的な物事の裁定は、歴史を普遍と見る恣意性を伴います。これによって、あろうことか古代にまで主体を持ち込み、解釈することが横行します。繰り返しますが、日本語には主語はなく、ゆえに主体という考え方など存在しません。存在するかのように偽装された歴史は近代以降の話であり、精々160年程度の歳月しか経っていません。しかも、今も日本人は日常会話で主語など使用していません。日本語に主語が存在するのは、学校教育の教科書の中だけです。
既に、13世紀に親鸞の主要思想では[自然法爾]として[自]を用いていますが、彼は僧侶ですので、和語では読まずに「じねんほうに」と読みます。そのため、「おのづから」という和語が思想的に重視されるようになるのは、仏教や儒教という外来思想の影響以前を探究する国学の登場と結びついてきます。これは江戸時代に登場した国学者が、外来的影響を受容した日本の固有性を理解するために、特に万葉集に目をつけたことと無縁ではありません。万葉集の徹底的な研究を通じて、やがて本居宣長の登場によって古事記の本格研究が始まりました。江戸時代の儒教と国学の隆盛を通じて、[自]の問題が思想的に重要な位置に置かれたのです。この時、私は儒者の側からは孔子の[自]の解釈、国学者の側からは和語の[自]の解釈が重なったと見ています。
何をどうやっても近代解釈にしかなりませんが、あえてその限界を自覚した上で提示します。困難でしょうが、読者も主体という近代的な固執を一度忘れて考えてみてください。
「みづから」と「おのづから」の違いを伝わるように言えば、「みづから」が「引き寄せて憑く」ことであり、「おのづから」が「自然に憑く」ことです。なぜここで「憑依」が登場するかと言えば、古代日本の世界では、魂の動きがこのように捉えられたからです。もう少し噛み砕いて言えば、「引き寄せて憑依する」という祭祀的な行為と、「自然に憑依する」という祭祀を伴わない行為です。重要なのは近代的な意識・無意識ではなく、行為(practice)の多様性です。
現に、古代日本では魂を動かす技術者集団が実在し、これらを自在に憑依させたり、離脱させる力を持っていました。この技術が重視された理由は、土地の魂を引き受ける存在がそのまま神だったからです。ただし、非常に難しいのですが、この神となる存在を主体や個人と見た途端、古代世界は近代世界へと転倒します。わかりやすく魂と言いましたが、厳密には[魂]は「タマ」と言います。
古代日本で起きていたことは、場所のタマを引き受ける存在自体を「幻想領域」で疎外し、神なる存在を生成したということです。つまり、特定の主体を持つ個人が場所のタマを引き受けて君臨したのではありません。今も勘違いされているのはこの点ですが、現在の神職もここを全く理解していません。この無理解は、必然的に神を実体とする誤った解釈に転倒します。この幻想領域の動きを語ったのが、神話の起源です。
歴史を見れば、首長や王や天皇と呼ばれる存在が登場して以降、土地のタマを彼らが個人存在として引き受け始めたことは事実です。しかし、これらは私たちから見れば太古の昔のことですが、歴史では相当新しい時代の習俗です。この状態に到達する数千年から数万年規模の動きが、ここで無視されていることを見極めることが重要です。なぜならば、そこに神道の起源、日本人の自然信仰の起源があるからです。同様に、ここに仏教のような異質な存在を受容する土壌が育まれています。
問題は、天皇と天皇制を極度に混同する現代にあります。この結果、神という実体を伴う個人が歴史的に実在したと架空してしまい、あろうことか天皇を支配の統治者へと位置付けてしまいます。しかも天皇制を引きずると、代々特定の血統において皇位継承が行われたとするイデオロギーを棄却できなくなります。すると、古事記や日本書紀が記す歴代天皇の記述を、あろうことか血統の記録と錯覚してしまうのです。この誤った視方から生まれるのが、初代・神武天皇から連なる万世一系の天皇という解釈ですが、これは大きな過ちです。
ここを理解するために必要となるのは、[氏]という存在です。[氏]はウジと呼ばれ、古代の大和朝廷時代から律令制時代に成立した特殊な政治的・技術者集団を指す用語と考えられています。8世紀前後の古事記や日本書紀の時代には、既に氏を血統と重ねる傾向が強くなっていますが、本来は血統ではありません。つまり、特殊な技術者集団として集っていたのが氏と言えますが、これも新しい時代の話でしかないのです。なぜ、このようにひとつの歴史の姿を知ることが、ここまで厄介なのでしょうか? その理由は、起源に前述のタマが関わっているからです。
民俗学者・折口信夫は、氏の源流は「威力あるタマの及ぶ範囲内」であり、そのタマの威力に守護を受けていた人々のことだと指摘しています。タマの威力が及ぶ範囲は、innerの意味で[内](ウチ)と呼ばれ、そこに属する人々は[内人](Uchindo)と呼ばれました。つまり、UchiからUjiへと変移したのです。重要なことは、彼らは共通祖先という血統ではなく、共通するタマの力を受けていた人々であり、その紐帯によって氏を構成していたことです。この時、共同体が血統ではない紐帯で結ばれていた姿に目を向けなければなりません。また、単に一般的解義から、彼らを特殊な技術者集団と決めてしまうと本質を見誤ります。なぜならば、彼らは氏に属する人々の意味である[氏人](Ujibito)ではなく、[内人](Uchindo)と呼ばれていたからです。
氏人は710年の奈良時代以後の呼称と考えられており、世襲の職掌をもって朝廷に奉仕する人を意味しました。ですが奈良時代にはそうであっても、起源としては特定技術の占有による紐帯ではありません。つまり、世襲を血統に持ち込むと、古代世界は消えるということです。例えば、古代氏族の筆頭格だった物部氏は、今も特定の血統集団と勘違いされていますが、色々な部族が入って物部を維持していたということです。実際、彼らは単一の技術を共有する人々ではなく、複数の技術を氏の内部で保持していました。
一般的な説に惑わされずに、タマの視点から歴史を照射すれば、血統を問題視する習俗は、古代日本に存在しなかった姿が見えてきます。言い換えれば、複数の氏を束ねる位置に動いた存在が[氏族](clan)ですが、それらをさらに統括する位置に天皇が登場したということです。しかし、これも血統の問題として生まれたのではなく、本来的にはタマの所在を巡る話です。
どこかの時代に血統が問題視されるようになったことは事実であっても、それを歴史一般へと還元することはできません。天皇でさえ、血統の問題から生まれたわけではないからです。ただこのような発言は、日本国内では神社本庁系の保守から強烈な反発に遭います。わかりにくいでしょうから、一例を挙げます。
まさに今、国会では自民党が皇位継承問題に関わる皇室典範改正を強硬的に進めています。これは現・天皇の娘・愛子内親王の次期即位を拒否し、既に皇室を去った人々の中から男子の皇位継承者を復帰させる案です。高市首相含めて、自民党首脳部は今期中に必ず改正すると最近発言していますが、これは保守系のバックアップである神社本庁に関わる人々の悲願だからです。厳密には神社本庁に限りませんが、母体としてここが主要であることは事実です。彼らのイデオロギーの主柱には万世一系の天皇が据えられていますから、必然的に血統問題として扱われます。
しかし、天皇の存在が古代において重視されるようになった起源は、別に血統が優れていたからではありません。だとすれば、一体彼らの存在は何によって担保されていたのでしょうか? ここからは、その点を見ていきます。
起源を見れば、天皇は[食国](ヲスクニ)の祭祀の担い手として登場しました。ヲスクニとは、古事記や日本書紀に登場する世界ですが、この世界観が天皇の土台にあります。ちなみに世界や世界観と言いましたが、要するに幻想領域の話であって、本当の土地のことではありません。特に重要なことは、幻想におけるヲスクニだけでは天皇の存在は成立しないということです。では、天皇の存在を担保したのは何なのか? それがヲスクニにおける天皇の存在は、「天つ神の勅令」を背後に抱えていたことです。
天つ神の勅令を受けた存在が、この国に来訪して田を作り、秋になると祭祀を行い、収穫した稲を天つ神に献上する。これがヲスクニの祭祀であり、この祭主こそが天皇です。つまり、厳密には天皇は特定の血統に由来するのではなく、水田稲作という習俗を有する人々の中から、祭主として相応しい人物が時々に選定されて即位したということです。言い換えれば、天皇は誰でもなれるわけではない。日本に水田稲作をもたらした集団にルーツを持っていなければ、天つ神からの勅令を受ける資格はないため、即位できないということです。ここが重要ですが、ここを血統と混乱する人々がほとんどです。
改めて、前述の言葉を思い出してください。氏の源流は「威力あるタマの及ぶ範囲内」であり、そのタマの威力に守護を受けていた人々のことです。つまり、天つ神というタマの威力が及ぶ範疇のUchindoの代表者が、天皇として登場したということです。これだけでも、明らかに水田稲作を習俗に持つ新たな人々が古代日本に入ってきたことが察知できます。現在も天皇の存在は稲と明確に直結していますが、これは彼らが水田稲作を生業とする人々の出自にあるということです。
この天皇が持つ本来の性質を、国家を統治する権威へと変換したのが天皇制イデオロギーです。天皇制イデオロギー自体は、近代に入る手前の江戸時代末期に用意されていましたが、ここに深刻な問題があります。なにしろ、天皇は別に国家を統治する力を持っていたわけではなく、天つ神もそのような勅令を降したことはないからです。実際、歴史的にも天皇自身が国家を統治した例は非常に稀で、今も天皇は政治的実権や国民統治など行なっていません。天皇はヲスクニに奉祀することが本来の職務であり、その職務を勅令したのが天つ神です。ゆえに天つ神の代理者として、この土地を治めることが天皇の存在を保証しているということになるのですが、起源は幻想にあるということを忘れてはなりません。
これだけでも明瞭ですが、天皇の本来の姿に血統の問題は全く関与していません。今では天皇を主体を持った個人と見做す誤った視方が横行していますが、これも第二次世界大戦後に持ち込まれた視方であって、本来的ではありません。敗戦後に行われた天皇の人間宣言は、その象徴的な出来事でした。当時の占領の論理では、これによって天皇制のイデオロギーを解体したつもりだったのでしょうが、幻想領域の世界における天皇の存在は微動だにしていません。大前提に理解されていませんが、天皇でない人間が天皇になるのは、この天つ神のタマを引き受けるからです。その遥か後代に、三種の神器と呼ばれる神宝の所属先が重視されるようになりますが、本来はタマから見なければなりません。
つまり、天つ神の代理者としてヲスクニを治める資格を、天つ神のタマの威力が及ぶ範囲のUchindoとして引き受ける。血統から世襲されるのではなく、神によって選定され、祭祀によって天皇となるが、誰でもなれるわけではなく、ルーツを日本列島に水田稲作を持ち込んだ集団に持っていなければならない。これが天皇を血統の問題に位置付ける天皇制とは異なる天皇本来の姿です。そして人間が天皇になるために必要な祭祀が、皇位継承者が生涯に一度だけ行う[大嘗祭]です。
[大嘗祭]は「だいじょうさい」「おおにえのまつり」と呼ばれますが、天皇の即位儀礼でもあります。最高位の秘儀であるため、現在も祭祀の内容はまったく不詳です。様々な情報が論じられていますが、実際には誰も見た者はいません。大嘗祭について語られるすべての情報は空想です。
この秘儀は、皇位継承者、特定の氏族の末裔、もう一人の人物しか知りません。しかもある氏族の末裔であっても、実際に大嘗祭の内部で行われる人間から天皇への変移という最高レベルの秘儀が、どのように起きているのかは知りません。なぜなら、これは天皇から皇位継承者への口伝だからです。おそらく古代では、代理人がいたことが神話から想定されますが、今日ではどのようにして継承されるのかは天皇以外には知りません。私もひとつの氏族の末裔に会ったことがありますが、大嘗祭には関係していても、何が行われているのかは何も知りませんでした。
大きく見れば、新たに即位した天皇がその年の新穀(稲)を神々に供え、自らも召し上がることで、天皇としての神聖性を確立する儀礼とされています。ただ大嘗祭は古来より存在したわけではなく、第40代・天武天皇(在位: 673-686)の時代に開発されたものであり、歴史的には幾度も断絶しています。つまり、明治時代に復古した祭式は古式を失っているのですが、それでも大嘗祭の役目としてヲスクニを代理で治める天皇の存在が継承されていることは重要です。天武天皇がアマテラス信仰の母体であったため、大嘗祭で皇位継承者が引き受けるタマは、天つ神で皇祖神に位置付けられたアマテラスということになります。
この即位儀礼を経て、皇位継承者はアマテラスの代理者として天皇になります。大嘗祭は一度だけ行われますが、以降は毎年新穀を神々に供え、自らも食する収穫感謝の祭儀として[新嘗祭]が行われます。こちらは「にいなめさい」「しんじょうさい」とも呼ばれますが、宮中祭祀の中でも最重要の恒例祭の一つです。
ここまでを踏まえれば、少なくとも一般的に語られる神道のイメージが、ほとんど例外なく近代以降の反映であることに気付きます。この影響を被るため、神社に関するイメージも必然的に近代解釈に留まってしまい、本来の姿を見つめたい人々にとっては、ほとんど役に立たないのです。全国の神社に出向き、神職に尋ねたところで、神社本庁の影響下にある以上、答えは基本的に同じです。要するに、神社の古層を語れる人自体がいないのです。
改めて、冒頭の問いに戻りましょう。一般的な「神社とは何か?」という問いに対する回答は、「神を祀る社」となっています。しかし、ここまでを踏まえて、仮に私がそれは間違っていたと言えばどう思うでしょうか?
神社が「神を祀る社」ではないなら、一体「神社とは何だったのか?」。
問いを転換させた時、神社の発生という起源には、神道ではない異質な世界が浮上してくることを予感させるのです。
前述の「惟神は神道に従うことをいう。また、自然に神道が存在する状態をいう」という解釈を、今回の[自]の観点を押さえた上で再考してみてください。注意点は、とにかく主体を想定しないこと。ここを徹底できた時、ようやく神道の発生が目の前に現れてくるのです。