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日本社会の曖昧な領域The Ambiguous Zones of Japanese Society

日本に長期的に滞在したことがあれば、どこか割り切れない曖昧な領域を広範囲に有する日本独自の社会構造に直面した経験をお持ちでしょう。曖昧な領域と言ったのは、その姿がおそらく西洋世界で理解されている意味での国家から違和感を持つ構造になっており、そこには解し難い「不可視の何か」が渾融しているからです。ただそれは「不可視の何か」である以上、当然ながら近代的裁断によっては特定し切れないものであり、ゆえに怪物のように感じられます。問題は、日本で生まれ育つか、あるいは3年以上日本社会でしっかりと暮らさない限り、この不可視の何かは触知することのできない存在だということです。そして、ただでさえ触知不能な不可視の何かであるにも関わらず、別のものと渾融していることによって、それを特定の実態として抽出することができません。この厄介さは「村社会」と安易に呼び替えられて裁断されていますが、それは何も言っていないに等しく、この種の問題を論じることは容易ではないはずです。ですが、奇妙を通り越して時に恐ろしさを感じる得体のしれない日本式システムの実態を考察することは重要です。そこには近代が起源に孕むエラーが露骨に現れているからです。

この問題に緩やかに接近したと言えるのは、今から50年ほど前の1977年に『空気の研究』という著作で日本の共同体が抱える厄介な問題を開示した山本七平です。ただ彼の著作では「空気」という不可視の存在が日本人の行動や意思決定に影響する強い同調圧力であることを提示したに過ぎません。彼は「「空気」とはまことに大きな絶対権を持った妖怪である。一種の『超能力』かも知れない。」や、「この『空気』なるものの正体を把握しておかないと、将来なにが起るやら、皆目見当がつかないことになる。」と曖昧な言い方で記していますが、実は彼の主張は初期的な欠陥を孕んでいます。それは空気によって主体の行動や意思決定が左右されているという彼が指摘する根幹において、主体が存在することを前提に語られているということです。つまり、山本七平は、日本に主体問題はないことへの疑念を全く持っていない。

実際、彼の主張の根幹に据えられているのは「臨在感的把握」という独自の主張です。これは簡潔に言えば「ある対象への感情移入が強力になり、感情移入だと考えられないほど絶対化してしまう状態」です。つまり、感情移入の強度が高まり、やがて自分が対象に感情移入しているという感覚さえ喪失するということで、これによって言論や行動などを規定されてしまうのだと論じたものです。この対象は第二次世界大戦や、戦後の左翼運動、あるいは安保闘争などの諸々のイデオロギーをも含むものです。彼の考えでは、日本人は対象への没入によって人間の主体を喪失すると見做されるのですが、しかし、日本には西洋的な文脈に適合する意味での主体概念など存在しません。この主体問題が存在しないということは、決してネガティブかつ未開性を示しているのではありません。そのような問題自体が日本においてないにも関わらず、この種の問題が「世界の普遍」だと偽装された立脚点を持っているということです。

言い方を変えれば、対象を主客の関係として捉える必要もなく、客体あるいは客観的存在と捉えることもありません。これは日本語の言語構造から生まれてくる必然なのですが、山本七平は明治以降の大半の学者同様に自らの言語自体が英語やドイツ語とは全く異なる構造である観点を考慮していません。ゆえに、個人の主体が空気なる得体のしれない妖怪によって決定されていると前提します。ですが、この誤った前提から「空気」を論じてしまうと、立脚点がズレたまま進み続けることになり、最終的には日本の構造に触れることができないほど距離が離れてしまいます。つまり、日本の構造を論じているはずが、日本の構造から遠ざかってしまう逆作用が生じているのです。

確かに、同著における山本七平の主張は慧眼だと言えます。特に、日本語を西洋の諸言語と同様だと普遍的に考えたがる馬鹿な人々にとっては、悟りに通じるほどのインパクトを持ちます。実際、出版されてから50年が経とうとする今も、頻繁に同著は礼賛されており、日本国内における日本批判でも多用されています。ですが、そもそも日本人という存在自体に主体などあり得ないことを言語構造の観点から見た場合、山本七平の視方は呆気なく消滅してしまうのです。ゆえにこの種の問題は、山本七平のように緩やかに接近するだけでは甘過ぎるため、実際の解決には絶対に至らないことが見えてきます。指摘としては優れている山本七平から私たちが抽出できる唯一のことは、日本では意思決定の上位に「空気」があるという曖昧な点に限られます。これだけでも説得力はありますが、一方で共同体に作用する空気の存在は、別に日本に限ったことではないはずです。これを同調圧力と読み替えれば、そのようなものがない国はどこにもないことは自明です。ただ、強度の差異があるだけです。それに対して「日本人が対象への感情移入が西洋人に比して強すぎる」という聞き慣れた説は、ほとんど何も語っていないに等しい。何より、本人が「臨在感的把握」として提唱した概念自体が、実は日本人には主体問題などないことを主張している事実に彼自身が気付いていません。なぜならば、日本人の主体が対象への全没入を遂げるという性格自体、そもそも主体も対象も日本にはないことを明確に示しているからです。つまり、何となく日本の構造について語っているようでいて、ほとんど何も語っていません。

とは言っても、山本七平の主張が説得力を持つように見えることは事実です。逆に言えば問題は、なぜ山本七平の主張が日本の構造を暴いたように人々は感じるのかということです。それは彼が真理を語ったからではなく、彼の論拠がズレた界域において真理が蠢いていることを察知できるからです。ここで日本の構造を把握するために必要不可欠な視点が「禁制」と「黙契」です。山本七平は空気によって個人が主体を喪失し、空気が全てを決定してしまう現象が高まったのは、近代以降の特に昭和(1926-1989)から顕著になったと論じています。これは私も同意しますが、それ以上に見なければならないことは、近代国家において日本は法治国家を自称している通り、そのフレームワークは法律・憲法・制度などの明文化されたルールによって整備されていることです。ただしこれらはほぼ例外なく、1868年の明治維新後に新政府の要職を占めた人々が西洋から移植したものに起因します。禁制について簡単に言えば、「これを破れば罰せられる」という強制力です。この法治国家の側面に顕著となるのが禁制なのですが、厄介なことに、同時に黙契という別の位相の問題がここに渾融したまま放置されています。

黙契の正体を端的に言えば、生活共同体の掟です。黙契は明文化されないものの、特定の生活共同体に属する構成員が暗黙に守る規範であり、不文律です。つまり、その共同体に暮らす誰もが明文化するまでもなく弁えているものです。禁制とは異なり、黙契を破る時に国家的刑罰が下されることはないのですが、特定の生活共同体からの抹殺・排除という形で現れます。日本では典型的に「村八分」がこれに相当します。禁制も黙契も時代や場所によって変様し得るわけですが、注意が要されるのは、近代以降に限定して視線を向けた時、この禁制は土着的なものから乖離した位相で設定されているが、黙契は土着的なものが拡張されているということです。つまり、禁制と黙契は異なる動きによって近代で展開されているのです。この二つの位相を混同しては日本の構造は見抜けません。

禁制は、明治政府の政治家・官僚などが西洋のフレームワークを持ち込んだ輸入品を素材としています。確かに日本に適する形に仕立てる努力は為したでしょうが、到底土着的とは言い難い位相で独自に建造されたものです。何より、このことが意味することは極めて重大です。なぜならば、日本の近代化である明治以降の歴史において、実は法治国家の基本である禁制が、はじめから日本人の土着感覚から乖離していた事実を示唆しているからです。土着性を持たない禁制は、必ず占領を意味します。つまり明治政府が法治国家を建造する時、一部の日本人為政者が他の日本人を占領する動きが生じているということです。

もう一つの厄介なことは、当時の日本人が近代化のシステムを学ぶために留学した場所が、特定の一国ではなく、英国・フランス・ドイツ・米国・ロシアなど分散されていたことです。かなりややこしいですが、政治や議会制度は英国ベース、憲法はドイツベース、法律は初期は英国で途中でドイツベースという具合に、とにかく様々なベースをミックスする形で建造されています。しかしここで生じる問題は、輸入元の西洋諸国では近代国家の禁制の性格が異なるという点です。例えば、西洋諸国の近代国家では、禁制の樹立過程で土着性の拡大がそれなりに担保されながら展開できたが、日本の近代化は、輸入品を寄せ集めた稚拙な小屋のような形で展開されたため、国家の禁制を土着性の拡大によって転移する方法自体を無視できたからです。この時、禁制の建造によって日本人の心に裂け目が生まれてしまい、日本の構造において西洋の法治国家では起こり難い特殊な問題が発現する土壌が準備されたのです。つまり、日本の構造における最大の問題は、土着性を無視した禁制の樹立自体にあると私は考えています。なぜならば、この日本の方法における禁制の制定によって、「あるもの」が、別の位相でほぼ完全な形で残存する余地を与えてしまったからです。それが黙契ですが、この黙契はおそらく西洋諸国の近代国家の過程では考えられなかった性格を持っていると言えます。

なぜならば、日本には約300年程度続いた強固な徳川将軍家による幕府や藩の禁制が、西洋の動向とは無縁に独自展開されていた歴史を有するからです。ですが厄介なことに、江戸時代の幕府や藩における土着的禁制は、幕府の全否定という明治政府の強い方針によって恣意的に無視されてしまい、その空洞を埋める材料として、完全に非土着的な西洋的禁制を輸入して組み込む建造方法が採られたのです。また西洋的禁制を日本の近代国家構造に明文化する位置に組み込む際、西洋諸国においてそれらの禁制が土着的文脈を伴いながら形成された歴史実情は無視されてしまい、近代国家なる奇妙な理念のもとで独自にミックスされます。この時、必然的にかつて明文化されていた江戸時代的禁制が不可視になっていることに注意してください。そして江戸時代的禁制は明治政府側に不可視にされただけで、棄却されていないことが重要です。ここで既に歪な構造が生じているのですが、こうなると江戸時代的禁制が流れ込む先は、生活共同体へと向かわざるを得なくなります。

当時、日本各地に無数に存在した村落共同体では、特殊な地理的条件から江戸時代を通じて幕府・藩の禁制はさほど強い効力を持ちませんでした。その結果、彼らにとっては、幕政の禁制よりも自分たちの生活共同体の土着的な黙契が何よりも重視されてきたのです。典型的なものとして前述の「村八分」がありますが、これは幕府・藩の禁制よりも村民にとっては死活問題です。さらに村落共同体の土着的黙契は、イコールで数千年規模の場所における土着性の習合形態でもあり、同時に場所ごとに独自性を持ち得るものでもあるため、一概に論じることはできないものです。しかし、近代以降に統一政府が東京で形式的に樹立すると、江戸時代の幕府・藩の禁制は行き場を失い、村落の生活共同体の黙契と渾融する動きに向かいます。しかも日本の村落共同体は無数に存在したにも関わらず、明治政府は可能な限り急速に近代国家を樹立して一元的な日本人という国民を開発して欧米列強と対峙する必要に迫られていたため、この村落共同体が保持していた多元性を不可視にし、残った滓だけで一元的に回収する暴力的措置を行います。この強行的な一元化を特に先導したのが、民俗学者の柳田國男(1875-1962)、国語学者の時枝誠記(1900-1967)、憲法学者の美濃部達吉(1873-1948)です。ここで国家からの一元的な村落、一元的な言語、一元的な理念が近代学問を経由して設計されていることが見えてきます。この時、日本が豊富に持っていた多元的世界は完全に彼らの視座から無視されています。官僚だった柳田國男などは、自分の足で全国各地の村落を歩いたにも関わらず、そこで実際に多元的世界を見たにも関わらず、これを無視するというえげつない暴力を展開しています。日本の近代学問の原点は、こうした日本自体を見ていない杜撰な一部の学者と官僚によって生まれたものです。

この時、場所から疎外されて国家において抽象化された日本の村落共同体において、幕府・藩の禁制と生活共同体の黙契という二つの位相の異なる異物が渾融し得る契機が生まれたのですが、これが成立したのは江戸時代的禁制が日本の土着を源泉にしていたからです。つまり、ここで近代日本は奇妙な構造に陥っているのですが、さらに問題は根深いところにあります。国家としての日本次元において、西洋的禁制が法律・憲法・制度として次々樹立される段階にあっても、当時の統一国家には、日本列島の隅々にまで影響を及ばせる力はなかったからです。1960年代後半までは、かなりの強度で土着的な村落共同体の力学が日本では強かったことを考慮すると、明治時代であればなおさら強かったことが分かります。ゆえに、ここで江戸時代的禁制と村落共同体の土着的黙契という異質な二つの異物が渾融して、「近代的村落共同体の黙契」が成立する土壌になったということです。後にこの「近代的村落共同体」という抽象化された存在に目をつけて、反政府運動を展開していくのが社会主義勢力とカルトです。ですが、その中身が「土着的黙契の抽象されたもの」、「江戸時代の幕府・藩の禁制」、さらには「土着固有の黙契」と非常に複雑になっている点は見逃されています。

ここで単純化した日本の構造から分かることは、仮にシステム構造に上位・下位を設定するならば、日本式システムの構造は、おそらく読者が生まれ育った国のシステムと比較すると反転することです。通常の近代国家であれば、如何に高尚な理念が前提されるにせよ、国家システム上位には法律・憲法・制度などの禁制が位置付けられるでしょう。しかし日本の場合、法治国家とは名ばかりで、国家システム上位には黙契が配備され、その下位に禁制が配備されます。この奇妙な構造になった理由は、何度かShitsuraeで触れているように、日本の近代国家は形式的には西洋を模範にしているが、実はそれは当時の世界に向けた仮面に過ぎず、国内の統治システム自体は江戸時代の朱子学システムをそのまま採用しているからです。つまり明治政府の為政者は、表向きには封建主義として偽装した江戸時代の全否定を行って自由と平等を主張し、そこにおいて新たな近代国家という像を前提に西洋化を推し進めたのですが、中身の根幹となるシステム自体は江戸時代の統治原理をそのまま用いています。このダブルスタンダードが近代日本の創成に大きく関わっています。特に明治政府の実力者であった長州藩出身の山縣有朋が、朱子学システムを近代日本の官僚制度に直接移植したことによって、さらに日本の構造は掴みづらくなります。ゆえに日本の官僚制度は西洋の国家形成の仮面は被っていますが、その実態は300年の統治を実現した朱子学システムです。

ここで江戸時代の統治原理が近代日本に引っ張られたという視点を最低限掴み取ることができれば、なぜ日本の近代システムの上位には禁制ではなく、生活共同体の黙契が配備されたかが見えてきます。それは、この近代日本の抽象化された村落共同体の黙契の性質が、前述の通り江戸時代の土着であり、しかも江戸時代の禁制自体が直接的に流れ込んで渾融しているからです。つまり、村落共同体を中央政府側が抽象化したところで、それは所詮東京の僅か一区画(千代田区霞ヶ関)の人々にとっての密室における普遍的常識でしかなく、広く山脈に覆われた日本各地の村落共同体にとっての普遍的常識には至りません。そして後者が当時の日本のマジョリティですから、必然的にこのダブルスタンダードの重複は、村落の生活共同体で生きる人々が守るべき上位概念として黙契を維持することは避けられません。これは近代化を主張する明治政府の国家システムが、実は単に霞ヶ関の密室における一部の人々だけの世界であり、その他日本全国の村落共同体の場所固有の人々とは無縁であった不都合な事実を語っているのですが、この構造は今も全く同じです。言うまでもなく、長野県の村落共同体の村民にとって重要なのは、霞ヶ関の閉ざされた帝国議会よりも村落の土着的黙契であり、彼らが最も恐れたのは国家の法的処罰ではなく、村落の生活共同体から抹殺・排除される「村八分」です。彼らにとって明治政府の定めた憲法などどうでも良く、ましてや法律を守ることなどどうでも良い。最も実生活で深刻なのは、この黙契以外にはないからです。

ここで生じたズレは、言い方を変えれば日本の近代国家が創祀された時点でのズレであり、最も深刻なものと言えます。私はこの観点から西洋の外で真っ先に近代化を遂げた日本の歴史を鑑みれば、近代化は西洋の一部に限定される閉ざされたものであって、普遍として拡張することは絶対に不可能だと断言します。つまり、近代化の輸出を西洋という領域の外部に向かわせても、必ず失敗します。日本が近代化に一時的に成功したように見えながら、たった160年でとんでもない衰亡を迎えている現在の惨状を見れば自明ですが、これは近代化という理想が世界的強度など持っていないという冷徹な事実を示したものです。これに追従した中国も時差を伴いながら同じ道に向かっていますし、次はインドだ次はアフリカだと言っても、時差を考えれば数十年後には同じ衰亡に至ることは自明です。これは近代における特徴が場所を無視することにあるからですが、土着性を徹底的に排斥する前提条件の傲慢さを暴いています。母国の完全な衰亡を目にしている私にとって、近代が普遍でないことは自明であり、ましてや一部の領域に閉ざされた範疇での正解(普遍)が、その領域の外部においても正解だと信じる近代的態度は、根本的に間違っていたことの実証です。つまり今日の日本の衰亡は、まさに近代がはじめから失敗していた事実を語る最良なモデルだということです。この観点から展開される世界や人類の理想や理念は、必ず思惑とは反転した絶望的状況に向かいます。この事実は、普遍は多くの人々が考えている位置には存在しないということです。

ゆえに先に進もうとする私たちは、この近代という問題への直視から逃れることはできない。ある意味、これらを踏まえた上で、どこに真理があるのかを探るには、これまでとは全く異なる思考から開発される方法でしか到達し得ないということです。今回はざっくりと日本の構造における近代的欠陥を開示することに集中しましたが、このズレはやがて地方から都市へという産業化が高まる潮流に呼応して、激しい混乱をもたらす主因となっており、そこに軍閥国家の樹立、そして戦後の都市部への流入という具合に、幾つものファクターが絡み合いながら展開されています。つまり、相当深く潜っていかなければ、提示し得ない問題なのであるにも関わらず、あまりにも日本の構造は抽象化されて短絡的に語られてしまっています。本来、近代自体の投影であるにも関わらず。また日本の治安が良く思える原因は、国家の禁制が機能しているからでらなく、黙契を今も上位として日本人が生活しているからです。言い換えれば、黙契を守るためなら法律も憲法も犯しますが、黙契によって治安維持は為されているため、黙契が一時的に消える地震などが起きると、反転します。

近代を終わらせることは、日本に限らず、世界各々の協働によって成し遂げられるものです。単なる他国の固有事情として処理するか、あるいは真摯に自国について思案する武器とするか。その選択の意思は、今後世界的に高まっていくことでしょう。