母国とは何だったのかWhat Was the Motherland?
母国とは、かつては確かに手触りのあった幻想と実体の残像に過ぎないのだろうか。なぜ人間は残像を抱えながら生きることができるのだろうか。こうした問いを思案している最近ですが、この母国というテーマは今後誰もが真剣に直面する問題であり、しかもそれは同時に「自分とは何者なのか」を新たに問い直すものであると感じています。そこで昨日の記事では、私にとっての母国である日本について、特にこの強い母国の残像が形成された根幹を担っている第二次世界大戦前後、特に戦後から経済復興を遂げる一連の動きを日本映画史と絡めて考察しました。
ですが昨日もお伝えした通り、本、静止画、映像であれ如何なるメディアであっても、ある程度まで当時の風や匂いを感じることはできても、その核心にある熱に触れることはできません。それは、その時代にその場所に立っていなければ絶対に体験できるものではないからです。ここが歴史の致命的な限界なのですが、ゆえに人間が知ることのできる真の歴史は、所詮は自分自身の人生において、どの時代にどこで生まれ育ち、どこに立っているかということにおいてのみ語り得ます。
事実、昨日詳細に見てきた1930年代後半や1960年代後半の若者の熱は言語化できませんが、少なくとも私の生きた時代に関しては、その熱を言語化することができるからです。そして私の場合、それはちょうどかつて日本を覆っていたあの強烈な熱が消え去り、緩やかな、しかし確実な冷え込みが支配する「失われた数十年」と共にありました。経済成長だけが未来だと虚妄した先人たちは、真の問題である母国の主権と独立の問題をなかったことにし、経済的繁栄があるから何でも良いじゃないかと問題を先送りにしていきます。ここに母国の残像において蓄積された負債の姿があります。
しかし、特に二十世紀を通じて先進国の人々は理解したように、人間は経済的繁栄によって真の安らぎを得ることはできない。食うための経済基盤は必要不可欠だが、二十世紀的な繁栄は過剰であり、人間個人の生きる上で別に精神の生育にプラスになるものではなかった。個人的に母国について思索を続けていると、戦後日本から今日の姿において、これほど的確な教訓はないように思えてなりません。というよりも、個人主義的な文脈から、過剰な経済的繁栄に対して、同時に人間の存在意義を問う可能自体は残してきた欧州などと比べれば、日本はこうした問いの可能自体を最初から破棄してしまったため、利益を最優先する社会の仕組みが世界でも際立って進んでしまったと言えます。
これは戦後日本の宗主が欧州ではなく、米国になったことも強く関与していると思いますが、日本の経済的繁栄の真実は、主権国家としての独立精神によって能働的に築かれたものではなかったという致命的な虚偽が孕まれています。現に、日本が20世紀後半の劇的な経済成長を実現することができた主因は、ソ連と激しく戦う米国側が、日本をアジア最後の要塞として反共産主義の砦としたからです。その結果、日本は米軍に100%自身の国家の軍事力を依存・アウトソースし、不安定な世界情勢において「平和(非軍備)」を建前に掲げて、100%のリソースを経済成長に費やしました。しかもこの経済成長は、朝鮮戦争という隣国の悲劇を土台にして成し遂げられています。
ですが本質的な問題は、経済成長という右肩上がりの幻想の力自体にあります。実際には成長すれば必ず衰退があることは誰にでも自明ですが、日本はこの幻想の力に目が眩んで欲望を爆発させ、結果的に経済成長という幻想から一歩も引いて冷静に考えることができなくなります。本来、経済的余裕が国家規模で実現される過程と共に、再軍備を自国で推進し、在日米軍の完全撤退を数十年かけて行うことが戦後日本が真に主権と独立を果たす大前提だったと個人的には考えますが、経済成長という欲望に目が眩んだ日本、さらに占領政策の権益に目が眩んだ在日米軍が強固に結託し、この利権を手放すことができなくなって自律と独立を阻止し始めます。
既に第二次世界大戦の戦勝国規模の経済成長を果たしたにも関わらず、この自律と独立という先進国としての責任を回避し、ここから「平和」を武器にした頑なに変化を拒む奇妙な国際戦略に打ち出します。こうして、少なくとも60年前には解決されていなければならない無数の問題が、何と今に至っても微動だにすることなく最大の問題として君臨しているのです。これこそが、日本衰亡の主因です。問題は今始まったのではない、60年前に既に用意されていたのです。
私は昨日伝えた年長世代の敗北、そして諦めが蔓延した後の1991年に生を受けました。アメリカで言えば、ミレニアル世代のピークにあたりますが、日本においては少子高齢化へと反転し、バブル経済が崩壊し始めた喪失の始まりに重なります。一体、この前後で何が起きたのか。読者の中でこの時代に日本を来訪した経験がある方なら、今の日本と当時の日本の明らかな差に戸惑うでしょう。この戸惑いは何も外国人だけではなく、日本人でも同じです。そこに私にとっての母国の残像の影が潜んでいるように思えます。
日本が問題を先延ばしにし続けることは、イコールで経済成長の欲望に国民が侵食されていくことでした。つまり、おそろしいほどの利益至上主義が、1億人規模の国民に徹底されていき、反対に精神的育成が蔑ろにされていったのです。この精神的育成については、確かに第二次世界大戦時の日本精神を問題視した戦勝国側が、戦後の占領政策において骨抜きにした経緯があることは事実ですが、だからといって全ての可能性が絶たれたわけではない。この致命的な裂け目、つまり利益至上主義の暴走と精神育成の崩壊こそが、21世紀の日本に持ち込まれた最大のテーマに潜んでいます。要するに、日本はこの問題を自分たちで解決できるのか。いや、自分たちで解決する意志があるのかということが問われているわけです。
私が生まれる少し前を振り返ると、読者の中には覚えている方もいらっしゃるでしょうが、1985年のプラザ合意を契機に、日本がバブル経済へ突入した背景には、米国内でのジャパンバッシンングの高まりに対して、米国政府が対応を余儀なくされた事情があります。これは国家における軍事力を100%米国側(米軍)に負担させておきながら、自分たちは経済成長に100%集中した結果、ついに米国経済を揺るがす存在に日本が上り詰めたことに対する米国内での嫌悪感に由来します。当時はまだ第二次世界大戦を覚えている人も多かったので、感情的にも敗戦国の日本が経済規模で米国を上回ることは許容できるものではありませんでした。
こうして意図的にバブル経済への誘導が始まり、日本は狂騒のバブル時代に突入します。そもそも、この日本の経済成長の幻想は利益至上主義を根幹に秘めていたため、国民規模で利益至上主義の側面を日夜謳歌し始めます。狂騒の時代において精神生育を既に失った日本人に未来はなく、全てが利益至上主義で金でしか物事を換算できない「人間ではない愚かな種族」に成り果てます。そして経済成長の右肩上がりの幻想に固執し、その成功体験があまりにも強烈であったことから、この幻想への執着が次の世代の未来を着実に破壊していくことになります。その最大の象徴は二つあります。一つはソ連崩壊、一つはWindows95に象徴されるパーソナルコンピュータ時代の幕開けです。前者は後のグローバリゼーションへの動き、後者は後のデジタル時代の動きの転換点ですが、日本はこの新時代の二つの波に対して、積極的に取り入れようとはせず、反対の動きに向かいます。
しかし、それなりに日本の当時を知っている方なら、不思議に思うのではないでしょうか。そもそも、かつての日本人はデジタルテクノロジーに極めて長けた民族であり、意欲的な製品やサービスを展開していたし、日本人はかなりデジタルテクノロジーに精通していたではないかと。そして同時に思うでしょう。そう言えば、今の日本人は真逆で、デジタルテクノロジーに疎く、彼らの製品やサービスが自分たちの目に留まることもなくなった。それに今の日本人のデジタルテクノロジーの活用、あるいはリテラシーは、先進国とは言い難い水準であると。この視方は正しい。私自身も、この点が非常に不思議なのです。かつて新たな技術を一気に吸収し、独自のリミックス能力で新たな製品やサービスをどんどん制作・リリースしていた日本人の好奇心旺盛なあの勢いは、いつの間に消えてしまったのか。その鍵は、1980年代半ばにあります。
1985年9月22日にプラザ合意が締結される直前の8月12日。今では忘れ去られていますが、日本のデジタル時代の未来を決定づける重要な出来事が起きていました。1983年頃、当時東京大学助手だった坂村健が、組込みシステム向けのリアルタイムOSとしてTRONを提唱。これは未来のIoT時代の到来を見据えて、TRON(The Real-time Operating system Nucleus)を開発する画期的なプロジェクトであり、日本産OSとして世界進出を念頭に置かれたものでした。ですが、おそらく大半の人々はTRONを聞いたことがないでしょう。実はこの技術は、後のパーソナルコンピュータの潮流を動員したWindowsを駆逐するアイデアによって構築されていました。
しかし、ここで画期的なTRONに対する三つの敵が立ちはだかります。まず、TRONで表計算が動くことから、当時、表計算ソフトを稼ぎ頭としていたソフトバンク。次に当時マイクロソフトのOSを搭載した自社のPC-98の販売網が侵略されると懸念したNEC、そして国内教育は国産OSを使うべきだと主張して、TRONをOSに採用したコンピュータ教育を全国の小学校に導入しようとした文部省に対して、利権を取られることに焦った通産省(現・経済産業省)のアメリカンスクール出身者が結託して、米国に働きかけます。
そしてこの日本側の権益を持つ人々からの米国側への働きかけによって、米国が自国に不公正な貿易政策を採用する国を特定し、制裁措置を武器に譲歩を迫る手続きであるスーパー301条のリストに、1989年にTRONは異例中の異例で載ることになります。こうして、世界を変えた可能性を持つTRONは、骨抜きになります。情報通信の歴史に詳しい方なら、このTRONがなぜ世界水準のOSにならなかったのか疑念を持たれるでしょうが、米国側の動きではなく、日本は自国で自国産OSの未来を握り潰したことに発端があります。
ただし、実はこのTRONが国内の権益層に問題視されることと同時期、1989年のスーパー301条とは無縁に、全く異なる出来事が起きていました。それが、前述の1985年8月12日です。この日、乗員乗客524名を乗せた日本航空123便が御巣鷹山で墜落、大半の520名が死亡したのですが、この日本航空123便墜落事故は原因究明が杜撰であり、当時から真相とも陰謀論とも言い難い説が無数に出ていました。ですが、実はこの機内には、TRONプロジェクトに関わる技術者が17名搭乗しており(全員死亡)、さらにプロジェクトリーダーの坂村も予定が合えば搭乗するはずだったと後に語っている事実があります。
また、同僚の死亡に納得のいかない、同じ日航のキャビンアテンダントとして勤務していた青山透子は、事故の真相を究明するために生涯をかけて詳細な調査を実施、2017年にノンフィクションでこの墜落事故に関する新事実を公表しています。それによると、墜落直前の同便を2機の自衛隊ファントム機が追尾していたという複数の目撃情報。そして墜落現場の発見が遅れたことは当時から知られているのですが、公式に機体を発見したとされる翌朝まで、自衛隊が何をしていたのか未だ発表されないこと。彼女の調査証言では、現場にはガソリンとタールを混ぜた強い悪臭が漂っており、現場遺体は通常の事故ではあり得ないほど完全に炭化していたと伝えています。自衛隊を含む軍隊が使用する火炎発射機は、ガソリンとタールを混合したゲル状燃料を使用していますが、このことから墜落から翌朝までの間に、何者かが証拠隠滅のために強力な燃料で焼き尽くした可能性があり、その時に生存者の大半は死去したのではないかとも伝えています。さらに同便の窓の外を撮影した写真を解析すると、オレンジ色の物体が飛行機に向かって飛んできていること。当時、自衛隊の訓練用ミサイルなどはオレンジ色で塗られていました。
つまり、この真相には、米国の情報産業を守るために「誰か」が意図的に墜落した説。もう一つは米軍機の追尾型ミサイル誤射とする主要な説があるのですが、時の中曽根首相は、この事故に関する真実を公表することを頑なに拒み、真実を「墓場まで持っていく」(死ぬまで絶対に言わないという意味)と何度も公言していました。実際、彼は2019年に死去するまでこの事故に関することは口を閉ざし続けました。もちろん、未だ真相は分かりません。どこかの時代に、真相は明らかになるでしょうが、それは米国の公文書から判明するでしょう。
そして違和感のある墜落事故を契機に、正確な発表を何もしない政府に対する不信感が漂う中、翌月にプラザ合意が締結されて、利益至上主義の欲望を満たすことによって、この出来事は闇に葬られていき、人々の関心は問題の真相追求よりも金儲けへと向かっていきます。典型的な「パンとサーカス」です。日本人にとっては母国の下劣な腐敗の真相よりも、自分の金儲けの方が大事だという典型的な象徴です。既に世界水準で経済安定を国民規模で実現したにも関わらず、ここでも日本人は精神の育成に注力することは遂になかった。つまり、最後のターニングポイントを自らの手で握り潰したのです。こうして日本は、軍事戦争における第二次世界大戦敗北に続き、経済戦争敗戦を迎えます。しかもこの二度目の敗戦は、次の30年を決定づける時代潮流を無視し、かつての成功体験だけを貪り食う未来なき選択となったのです。今日に続く「失われた30年」の始まりです。
ここから、ちょうど私が生まれる1991年前後でバブル経済は崩壊の兆しが始まりますが、崩壊までは7年ほどの時間差があったため、90年代後半までは、強烈な熱だけが日本人に残っていました。実際、子供の頃に父の周囲の大人たちを随分と見てきましたが、誰もが相当輝いていたことが鮮烈な印象として残っています。いかに利益至上主義に陥っていても、まだ日本に勢いがあった時代。父を含めて周囲の大人たちが輝いていたという、あの風や匂いは子供ながらに鮮烈で、今も私の原体験になっています。この原体験を持つからこそ、私はなぜたった30年程度でここまで母国は惨状を極めているのかという問いに真っ向から立ち向かいたいのです。
そして90年代の不穏な栄華と喪失が混淆したような世界で、日本人は狂騒によって我を見失い、母国の未来までも喪失していきます。こうして本来、世界的にも新たな技術を学び、取り入れる速度が早い民族的特徴を持つ日本人の良さは消えていき、自ら新しいことへの挑戦を認めない、そういう動きを見せたら未来を潰されるという反転状態に陥ります。日本の情報通信の敗北として象徴的だったのは、NTTが打ち出したVI&P構想をパクったアル・ゴアによるInformation superhighwayです。これは1993年クリントン政権発足とともにNII(National Information Infrastructure)構想として全国的な情報インフラ整備となり、今日の米国の情報通信戦略の根幹となります。そして米国は巨額の予算を投下して情報通信の未来に賭けたが、日本はそれを提唱したが実行しませんでした。ここが、軍事、経済に続く三度目の情報通信の敗戦です。実は日本は1945年以降、米国に3度も敗戦しています。
こうした自らが生まれる前後の時代を振り返ってみるだけでも、歴史とは何か、母国とは何かという僅かな輪郭が浮上することを感じます。昨日の記事では、映画を通じて感じる、時代の風や匂い。さらに画面の向こう側にある、肌を焦がすような湿度と熱量について書きましたが、それはまさに私の原体験として強烈に残っているものです。しかし現実の私は、その熱が失われた後の廃墟にも似た冷たい母国の風景の中を歩いてきました。この「熱を知っているのに、熱のない世界に生きている」という奇妙な感覚。これこそが、私の抱く「母国への喪失感」の正体なのかもしれません。というのも、かつての若者たちが持っていた未来への渇望や、世界を変えられるかもしれないという切実な思い。彼らの心の動きが、今の私たちと接続されているのかと言えば、私は断絶を感じるからです。彼らの情熱はどこかで途切れ、私たちはその残り火すら消えかけた場所で、ただ立ち尽くしているように思えるのです。こうした感情は、読者それぞれにも何かしらあるのではないでしょうか。30年という時間は、母国の姿をあまりにも残酷に一変させることは、日本に限らず、米国や英国などでも同じです。
そして私が感じているこの断絶は、私よりも若い世代において、さらに決定的なものとなっています。ここに、現代日本が抱える最も残酷な事実があります。1990年代中頃を境に、日本という国の質感が変質してしまったということです。ここまで書き連ねてきたように、私にとっての母国とは、まだ微かに熱や葛藤の匂いを残していた、あの90年代中頃までの日本のことを指しています。そして日本人であれ外国人であれ誰もが「日本」と語る時、そのイメージは常にこの時代以前と同期していることには注意が要されます。しかし、現在の20代、あるいはそれより下の世代の若者たちは、この日本を全く知りません。熱を知らない世界で生まれ育った世代ということです。
彼らが生まれた時には、日本はすでに経済的な停滞の中にあり、社会には閉塞感が漂っていました。そして彼らは、勢いを持って未来を能働的に作り、どんどん他国の良いところは吸収して、自国に足りないところを補填し、次々と意欲的な製品やサービスを生み出すかつての日本人が持っていた熱に一度も触れたことがありません。彼らにとっての日本とは、最初から熱を失い、未来への渇望よりも現状維持の不安が支配する、無味乾燥でクリーンな空間です。この辺りから、現状維持、つまり日本という残像を維持する固執こそが国家戦略となり、このシステムに国民は自己家畜化する動きに向かいます。良くも悪くも、私の両親世代は自己家畜化の転換点に立ち、90年代中頃までは自己家畜化に抗うことができたため、子供の私の目には輝いて見えたのでしょう。
ですが若年世代にとって、かつて人々が路上で叫び、命を懸けて何かを変えようとした「熱」は、歴史の教科書の中の出来事であり、肌感覚としてのリアリティを持ち得ないのです。私が感じる「失われた」という感覚すら彼らとは共有できません。なぜなら、彼らにとっては最初から「無い」ことがデフォルトであり、失う以前の状態を知らないからです。彼らにとっては日本の残像が日本であるが、そこには質感がないということです。触れることのできない母国と言えますが、ゆえに彼らには母国がないのです。この気付きは私にとって大きいものです。一体、なぜ日本に限らず先進国の若年層は、自らの生まれ育った母国をあれほどまで嫌悪し、攻撃するのか。それは年長世代には理解不能でしょうが、彼らの叫びはここに由来しているのではないでしょうか。
風も匂いも消え失せた、消毒されたような社会。そこで育った彼らは、私たちがかつて感じたような、国という土壌から立ち上る土着的なエネルギーや、あるいはそれに反発する強烈な個の衝動といったものとは無縁の場所で生きています。私が母国と呼び、愛憎入り混じる思いで見つめている対象と、彼らが認識している日本という記号の間には、埋めようのない深い溝が横たわっています。この認識の断絶こそが、私の孤独を深め、同時に「母国は死んだ」という確信を強めるのです。私たちが共有すべき共通の原風景は、もはや存在しないのです。これが国内の世代間闘争となって現在、先進国で高まっている現実的な問題なのです。
米国は先進国では唯一、世代交代が進み、ミレニアルズとGenZが2028年に有権者のマジョリティになるため、2028, 2032年の大統領選挙では大きな潮流を生むでしょうが、日本や欧州などは共通して高齢化社会の問題を抱えており、米国のように世代交代による価値観の刷新はできません。ゆえに米国のように世代間闘争が、結果的に政治としての国家運営に反映される可能性を持つ国とは異なり、日本や欧州はこれができない限界を抱えたまま、次の世界に進まざるを得ないわけです。すると、若年層は発散する場所もなく、現状維持をルールとする高齢化社会の問題を数の力では覆すことは不可能なため、為す術がなくなるという具合です。
昨日伝えたとおり、超高齢化社会において高齢者が有権者のマジョリティである日本の世論は、簡単に在日米軍横田基地が握るマスメディアの情報管理によって操作できますから、若年世代の価値観や意見は全く通らず、反映されません。おそらく日本に住んでいなければ、この「全く反映されない」という感覚は信じがたいでしょうし、理解できないでしょうが、文字通り、若者の価値観や意見は本当に何も通らず、反映されません。なぜならば、世界的に言うところのミレニアルズとGenZは、日本ではマイノリティだからです。
つまり、私たちが今、一般的に日本と呼んでいる国家の枠組みや社会のありようは、1990年代の中頃には既に終わっていたのだと言えます。それ以前の、熱と葛藤を孕んでいた歴史的な連続性を持つ日本は、そこで一度死に絶えたのです。今の日本は、その抜け殻か、あるいは全く別の原理で動く何者かによって運営されている別の国なのかもしれません。若年世代がその抜け殻の中で、かつての熱を知らずに生きているという事実は、この死が不可逆的なものであることを何よりも雄弁に物語っています。
だとすれば、もはや母国は残像でしかないという冷徹でありながら、認めなければならない事実に直面します。すると、私たちが真に未来へ進むために必要な儀式はただ一つです。それは、死の受容です。母国は死んだのだと、深く認めること。かつて私たちが愛し、誇りに思い、あるいは憎みながらも執着したあの国は、もう存在しないのだと葬送の鐘を鳴らすことです。
「母国を殺す」。
あまりに強く、不穏な響きに聞こえるかもしれません。しかし、これは破壊の扇動ではありません。死の後にこそ、必ず再生があるという真理への信仰です。愛する母国が、母国という形をなさなくなったことを直視し、心の中でその死を看取る。古い幻想の残像にしがみつくことをやめ、全てを一度終わらせること。その深い絶望と静寂の果てにのみ、新たな芽吹き、次なる再生の道が見えてくるはずです。
昨日と今日の記事を通して書いた、私が感じるあの時代の映画から漂う熱や匂い。それはもう戻らない過去の遺物として懐かしむためのものではありません。私たちが一度殺し、弔った母国の墓標の上で、再び自らの手で火を灯すための種火なのです。死の後に必ず再生があると信じること。愛する母国が母国ではなくなったことを感じ、苦悩するすべての人々へ。それは、私たちが新たな地平を切り拓くための、痛みという名の出発点なのです。