C:\SHITSURAE\> TYPE SJ214.TXT

SJ214.TXT2025-09-1418KB

九州で見えてきた新しい茶文化A New Tea Culture Seen in Kyushu

この9月はほとんどの時間を九州で過ごしています。これまで縄文時代に深い関心があった私は、特徴的な縄文時代の文化を複数持つ北東北に魅了されて頻繁に通ってきましたが、一方で、九州は何度か訪れたことがあるものの、じっくりと時間をかけて過ごし、思考し、深い洞察から、その豊富な歴史や文化について考える機会はなかなかありませんでした。しかし、今回それなりに九州で過ごしながら思考を深めていると多くのことに気づかされます。それは1つの大きな島である。九州は複数の文化圏が圏域として古代から別れており、読み解くためには、様々な共同幻想を無化しなければならないということです。

特に、歴史的に常に日本の洞察において大きな障害となっているのが、島国を陸地の視点で中心化して考えることと、大和や京都、そして江戸などを中心化して考えることです。これは引いては日本、日本人を暗黙ながら前提して考える誤謬の元となるのですが、この障害を無視することはできず、私たちはこの列島に生きる以上、この点とどのように向き合い、そこから新たな界域を開いていくかと言うことが求められています。なかなか島国の日本と言う印象が過度に強まってしまったことから、そうした視点を持つ事は難しくなっている事は事実ですが、だからこそ、歴史的な海を舞台とした人々の動きを想定以上に取り込まなければ見えて来ないことを痛切します。

この海洋部族の視点から日本を見抜こうとする態度自体は、決して新しい試みではありませんが、特に戦前の帝国主義化しなければならなかった日本の実情と、戦後の敗戦から、急速に復興しなければならなかった。日本の実情が複雑に絡み合い、この問いは真剣に問題視される事はありませんでした。しかし、海を重視しなければならないと言う視点自体は、考古学や歴史学の観点では、今もほとんど無視されていますが、実地調査を主とする民俗学の観点からは頻繁に主張されてきたことです。この意味でも、民俗学の視点を取り込みながら、考古学や歴史学などの成果を踏まえて、どのような心構えで日本を見ていくかと言う難しい舵取りが各人に要求されます。

そして九州各地を巡っていると、様々な日本の問題が凝縮されたように見えてくることも事実です。例えば今日、日本ではほぼ30%が65歳以上の高齢者となったと言うデータが発表されましたが、大都市圏以外をめぐっていると、そのデータでは甘すぎるのではないかと言うほど極端に自体は進展しています。そのためほとんどの若者たち、特に女性は生まれ育った土地をいち早く出して、東京や大阪などに出ずともその地域の中の都市部に率先して出ていく。流出が加速しています。

そのため、九州で言えば、博多が最大都市になりますが、この博多でさえ、既に人口過剰的な印象を私は強く受け、むしろコンパクトな観点で、心にある程度のゆとりを持って暮らせる都市と言う観点で見ると、九州なら小倉や大分市などが非常に有利であるように感じます。これは九州と言う島で見ると、北東部一帯を示していますが、逆に宮崎や大隅半島まで何かすると都市としての勢いがなく、宮崎市から南側の青島や日南周辺には、それなりに移住者が増えているのですが、地元の人々と移住者たちのやりたいことが全く噛み合ってないことが見えてきます。

特に、青島から日南にかけては、素晴らしい気候と海があり、日本のサーファーにとっては楽園のような場所として位置づけられてきたことから、多くの移住者を魅了してきました。実際今回も移住者と話す機会があったのですが、この土地に移住してくる人々の多くはサーフィン、あるいはもっとゆったりと生きたいと言う都市部の競争社会に疲れた人々の避難場所として注目が集まってきたことが見えてきます。しかしその一方で、異なる問題が生まれているのも事実です。というのも宮崎の問題は最近もお伝えしたように神話を中心とする歴史や文化資本を豊富に持ちながら、その歴史や文化資本を受け継ぎ、味わう機会が細り、それを通じたコミュニケーションが不全化していることにあります。本来であれば、移住者たちがそこに働きかけて相乗効果をもたらすのがベストですが、こちらも目的がサーフィン、さらにはスローライフなどに目を奪われてしまっていることから、宮崎が持つ本当の真価に触れる場が、地元にも移住者にも十分に開かれていないという残念な状況があります。この結果、何が起きるかと言えば、誰も彼もが似たようなことをやってしまうと言う閉塞した状態への帰結です。

例えば、青島界隈にはカフェが非常に多いのですが、これはもともとサーファーたちはサーフィンの時間をしっかりと取りたいと言う希望があるため、会社勤めではなく、カフェをオープンすると言うことがかなり一般的となっているからです。しかしこの結果、地元の目から見ると、移住者の新しいことをやろうとする意欲とは裏腹に、土地の歴史や文化資本に触れる機会を持てないまま、同じようなカフェがいくつも並び、地域の力になりきれない状況に陥っていることが目に付きます。

逆に言えば、それ以外のアイディアが地元民にも移住者にもない。それこそが神話の方向でありながら、どこか微妙なまちづくりしかできていない宮崎が抱える行き詰まりの構造の本質なのではないかと今回感じました。気候が素晴らしいことから、この問題を見つめる余裕が奪われ、サーフィンやスローライフなどの心地よさの中に、問いが埋もれているようにも見えます。つまり今後も宮崎から文化資本を活用した新たなモデルとなるような提案が起きるとは到底思えなかったのが実情です。

しかし、この長らく続いてきた沿岸部中心の宮崎と言う印象に対して反旗を翻すような動きが生まれていることが大変興味深いのです。それが、九州南東部の大隅半島で、宮崎と県境を共にしている鹿児島です。

現在まで過度に茶道に注目が集まっている印象は強いですが、冷静に考えれば、茶道が成立するのは茶葉の生産があってのことです。この商品化される前の茶葉のことを日本では荒茶と呼びますが、実はここで大きな変容が起きています。このひっそりと始まった新たなムーブメントの先頭を担っているのが、実は鹿児島です。荒茶の生産量は、長らく静岡県がトップを占めてきましたが、静岡の高齢化や後継者不足などの影響が、強まったことによって、徐々に勢いが落ちたところに、鹿児島が勢いを持って2024年の荒茶生産量で初めて日本トップとなりました。

もちろん、鹿児島を始め、九州各地は日本のお茶文化の起源値でもあるため、様々なところで独自の調和生産が行われてきたのですが、これまでのお茶の印象と言うのは、どうしても京都東京などの大都市圏の茶道の影響が強いこと、さらにはコーヒーブームに隠れてしまって、実態がなかなか見えなかったことから、注目されてきな来なかった事は事実です。そして静岡はこの動きに対して新たな提案ができなかった。だからこそ、周囲の座を鹿児島に譲ったと私は今回確信しました。

では、一体、この鹿児島が茶葉生産の先頭に立った中で、静岡ができなかった。新たな提案を茶葉生産の観点から行う企業はあるのでしょうか?皆さんが関心を持つのはそこだと思いますが、実は1社先頭に立っている企業が存在します。それが鹿児島県志布志市でお茶農家を営む「堀口製茶」が、鹿児島側ではなく、同じ大隅半島の宮崎県都城市で開いた大隅茶全です。

今回、私は茶葉やお茶生産のエキスパートの方と散々対応して多くの知見を獲得しましたが、何よりも彼らの勢いは、今の宮崎県、沿岸部や鹿児島県南部にはないものを感じており、今後、京都や東京の茶道を介さない独自の視点でお茶文化を日本から提案する重要なポジションに立つ可能性を秘めているように感じます。

もしかすると、宮崎県沿岸部は、これまでの問題からの逃避を避けられずに、完全に行き詰まる未来へ向かっており、逆に内陸部の都城市は、むしろ文化圏の近い同じ大隅半島の鹿児島側と組みながら、独自の視点で宮崎全体の衰退を1人免れるのかもしれません。この動向がどうなるのか今はまだわかりませんが、もともと九州から日本のお茶、文化が始まったことを思い返すと、再び新たな文化の提示は九州それも、力点は、南東に動いて、大隅半島から始まるのかもしれません。