美々津:神武東征の出発地Mimitsu: Where the Eastward March Began
今日は九州沿岸部をさらに降って、宮崎県沿岸部にある美々津に来ています。ここは東の果てに理想郷があると聞いたカムヤマトイワレヒコとその兄弟たちが東への進軍を決意し、日向と呼ばれたこの地を出発して大和へ向かったと伝わる由緒ある土地です。
ただ、これまで多くの人々が誤解しているのは、カムヤマトイワレヒコという呼称は固有の個人名ではなく、むしろ部族、複合部族を示す言葉であったということです。つまり神話を読み解く際に重要となるのは、カムヤマトイワレヒコなる個人が存在して、たった一代で日向から大和へ進み、最終的に大和を征服して初代・神武天皇として即位したのではなく、数十世代を経てこの偉業が成し遂げられたと言うことです。その痕跡は遥か昔に消えてしまいましたが、はじまりの地である美々津の港には、今もどこか神秘的な雰囲気が漂っています。
しかし、宮崎県北部の延岡から美々津を含む日向市一帯にかけての衰退ぶりは極めて深刻で、町を歩き回っていても、町そのものが息をひそめているように感じます。各地を巡っていて強く感じる事は、土地の素晴らしさが暮らしの中で受け継がれているかどうかが重要だということですが、この地域では、これほど神話が豊富であるにもかかわらず、それを知り、語り継ぐ機会が細り、日々の暮らしの中でほとんど触れられなくなっています。その状況は町づくりの観点に表れてしまっており、宮崎の魅力が活かされていません。
実際、神武天皇となるカムヤマトイワレヒコの出発地とされる美々津の浜には、驚くべき量の漂着物が積み重なって荒廃しており、人に出会うこともありません。この記念すべき場所を定期的に掃除したり、景観を整えることすら行われず、歴史資本、文化資本を守り伝える仕組みが整わないまま現在に及び、高齢化と人口減少で維持できなくなった姿がはっきりと見て取れます。海岸は酷く荒れ果てており、とても神話の舞台であったとは思えない惨状となっており、ここが宮崎中北部の極端な衰退そのものを象徴しているようで、なんとも悲しい気持ちになります。
美々津港から日向灘を見渡すと、二つの岩場のような島が見えますが、古代の人々であれば必ず重要視したであろう神聖な離島も、無数の海岸沿いに設置されたコンクリートによって景観が遮られており、波もせき止められて澱んでいます。昨日、延岡の街づくりを見たときにも感じたことですが、素晴らしい神話や歴史を受け継ぐ仕組みが細っていること、そしてそれが街づくりに生かされていないことが、全体に影響を及ぼしていて衰退に歯止めがかからなくなっていることを強く感じます。『始まりの地』がこの有り様では、神話を体験として伝えることはほとんど不可能に近いのですが、これは神々の本拠地と伝わる宮崎県高千穂も事情は同じです。ある意味、宮崎全体の深刻な問題といえます。
日向灘は、石並川と耳川が合流して広がる地点にあり、沖合に二つの孤島がありますが、灘から河川を通じたルートは、古くから古代部族にとっても重要な航路の一部だったと考えられます。二つの河川は灘から海洋部族が内陸に進むための主要な入口であり、カムヤマトイワレヒコ一行が出発の地にこの地を選んだのも、環境的な要因があったことが伺えます。今も海は穏やかでありながら波が強く、この辺りは古代から難所として知られていました。それでも神武天皇の進軍はここから始まり、九州沿岸を北上し、瀬戸内に入り、最終的に大和へと向かったのです。
また、地名においても興味深い点があります。大分側では温泉で知られる「別府」という地名がありますが、この地域では同じ漢字をあてて「ビュウ」と呼びます。これは、この地に古くから別系統の音が存在していたことを示唆しており、大分と宮崎は古くから文化圏が異なっていたことを示しています。
七年前、私はここでカムヤマトイワレヒコが出発した海岸を眺めているうちに、ふと、すべての東征ルートを辿ってみようと思い立ち、そのまま神武東征の主要ルートを追って東へ向かい、最終的に大和に入った思い出があります。今日は予報は豪雨で、昨日の夜中から雷が頻繁に鳴り響き、朝には豪雨が降っていましたが、まるで神が再訪を祝福してくれるかのように、私が外に出ているときには雨を降らず、太陽の光がわずかに差し込む中、ゆっくりと訪れることができました。
そして美々津の沿岸部に建立されている由緒の古い立磐神社の境内にいると、カムヤマトイワレヒコの伝承が様々に伝えられていますが、ここは衰退著しい集落とは異なり、吹き寄せる日向灘からの風は心地よく、不思議な霊力を感じます。
観光戦略だけが先行し、自分たちの場所が持つ歴史資本、文化資本を無視し続けた宮崎県の現状。観光戦略が土地の神話や古代史と結びつかないままでは、太古より祖先の語り継いできた物語を学ぶ機会が失われ、素晴らしい場所資本に気づかないまま、衰退する道を進んでしまいます。そこから宮崎市に移動したのですが、どこか全体的に宮崎は町づくりが噛み合っていない印象が強く、全体的に不調和が起きていると感じます。
消滅可能性都市の県別ランキングにおいて、宮崎は九州の中では福岡に次ぐ持続性があると出ていますが、その実情はとても持続可能とは言い難く、各所に不具合が生じている姿が見えてきます。ただ宮崎は気候が良いと言う優れた利点があり、特にサーファーからの人気が最も高い地域として知られるため、それなりに中南部は人がいます。そして、今日も何人もの地元の人と対話しましたが、人は素晴らしい。だからこそ、素晴らしい神話、歴史、人が町づくりに反映されていない大問題があると感じ、それが将来的に見ると大きな負の影響を与えるだろうと感じます。