神から害獣へFrom Gods to Pests
今週、世界遺産である日本最北端の知床で登山をしていた20代の男性が、ヒグマの親子と遭遇し、森の中に引きずり込まれ、数日後に遺体で発見されるというニュースがありました。実際、コロナ禍に入って以降、急速に日本列島山間部の地方で過疎化が進んだ影響もあり、私の体感でもこの5年ほどで熊のニュースが非常に増えたという実感を持っています。
昨年9月前半に北東北を10日ほど巡った際も、青森と秋田の県境に位置する北秋田や大館などでは、日常的に熊が街に降りてきて注意喚起がなされるなどの事態が日々起きており、地元のニュースサイトには熊のカテゴリーが出るほど活発になっています。様々な土地の方に話を伺っても、これほどまでに熊が人の生活圏に出没することはこれまでなかったと口を揃えており、地球環境の大きな変動による熊の生息域の減少が拍車をかけ、山から人里へと熊が降りてくる現象につながっています。しかし、要因はそれだけではありません。
かつて日本の山間部には、山で狩猟を行う専業集団がいて、決まった期間に猟を行うことで、熊の個体数が過剰にならないように人工的に調整されていました。特に北海道や東北、さらには長野県など元々熊の数が多い地域では、熊を捕獲する狩猟文化が数千年の歴史を持って広がっていました。例えば、北東北の秋田山間部に暮らしていた山の猟師は「マタギ」と呼ばれていましたが、今では高齢化、人々の都市流出の影響などもあり、その数がゼロに近づいています。
また、かつて秋田の山間部では秋田犬を飼うことが一般的でしたが、高度経済成長期以降、人々が東京の流行に便乗して小型犬を飼い始めたことから状況が一変します。大型の秋田犬は猟犬としての性格を持ち、熊が接近すると追い払うほど強かったのですが、小型犬では相手にならず、熊が全く怯えることなく人里に入ってくる要因となったのです。実際に現在の北秋田などを訪れても、外に人の姿はほとんどなく、熊からすれば人里に降りても危険が少ない状況になっています。そのため、小学校などに熊が頻繁に出没するのです。
このマタギのルーツ自体は歴史的に不詳となっていますが、一説にはアイヌ語に由来すると言われてきたものの、北秋田のマタギ自身はこれに懐疑的であり、むしろ在来の用語が後にアイヌ語に影響を与えたのではないかと語っています。一方で熊の生息域について言えば、北海道にはヒグマ、それ以外の地域にはツキノワグマが生息しています。
北海道のヒグマに対しては、縄文の人々、北方からの渡来のオホーツク文化の人々、さらにはその他複数の北海道へ渡来した集団が関わりながら、12-13世紀頃に成立したアイヌの文化を見ても、それなりに熊狩りを行っていたことが分かります。北海道ではアイヌ以前の文化を見極めることは非常に難しいのですが、アイヌにおいても「イヨマンテ」と呼ばれる動物の魂を神の世界に送り返す儀式が行われていました。江戸時代頃の記録では主に熊が用いられていたようですが、さらに遡ると、シャチやクジラなど海の生物を対象としていた可能性もあります。これはアイヌ文化の成り立ちに、海を渡ってきた人々の営みが重なっていることを示唆しています。
この列島では古来より熊との接触が繰り返されてきましたが、戦後の高度経済成長以降、自然と人間の生活圏が完全に分断されたことで、今ではほとんどの人が熊に対する抵抗力を持っておらず、駆除という言葉を使っていることからも自明ですが、もはやここに古来のヤオヨロズ信仰の感覚はありません。
実際、私自身もこれまで熊の生息地には頻繁に足を運んできましたが、実際に姿を見たのは2回程度で、足跡などは頻繁に見かけても、遭遇することは稀でした。かつては狩猟の影響で、明治時代に絶滅した日本狼と同じように熊も絶滅するのではないかと言われた時期もありましたが、今では逆に地方の高齢化や極端な人口減少などが重なった結果、むしろ個体数が増加する傾向にあります。そこに加えて気候変動や自然破壊が熊の生息範囲を山以外にも拡大させる時代を迎えており、都市部でしか生活したことのない人々が熊と接触する事態が地域によっては頻繁に起きるようになってきました。北東北に暮らす私の友人も街に住んでいますが、夜になると熊が街を徘徊していると言うほどで、それだけ熊が日常的な存在になってきていることを示しています。
こうしたことを鑑みると、今まで以上に山に入る時には熊と遭遇する準備が必要になってきたと言えます。歴史的に見ると、日本列島が大陸と繋がっていた時代より、マンモスなどの大型動物が生息し、その時代から熊も渡ってきたと思いますが、マンモスや狼など絶滅した動物は多くあれども、熊は数万年以上この列島の祖先たちと共存してきました。今、この共存は近代の暮らしの変化のなかで害悪と見做されており、熊は神だった時代を終えて、今や自分たちの生活を脅かす駆除対象とみなされています。
いずれにせよ、地域によっては熊との遭遇が日常的になってくるかもしれません。