C:\SHITSURAE\> TYPE SJ192.TXT

SJ192.TXT2025-08-1515KB

終戦記念日という言葉The Word 'End of the War'

お盆の中でも古くから最も重視されていた今日、新暦の8月15日は、80年前にその性格を大きく変え、それ以降は第二次世界大戦が終わった日となり、日本各地で終戦記念日の式典が行われています。この第二次世界大戦が終わった日の認識については、当時、敗戦国側の日本と、米国などの戦勝国側とではズレがあり、国によっては1945年9月2日とする米国、9月3日とする中国などに分かれています。しかし一方で、この日は「第二次世界大戦が終結した終戦の日」と呼ばれていますが、これは法的に何かが決められているわけではなく、慣習として80年かけて根付いたものだといえます。そして、この日本語の使い方には、当時の為政者たちの責任逃れが顕著に現れており、今後20年かけてこの点が大きく、日本の未来を動かすことになるでしょう。実際、この点については日本国外からはほとんど理解されていないと思いますので、今回はそこについて見ていきます。

まず、80年前の1945年8月15日。この日の正午から、事前に録音されていた昭和天皇による玉音放送がラジオを通じて流れ、国民は日本が連合国側に降伏したことを初めて知ります。実際には前日の時点で、政府閣僚たちは連合国側から突きつけられていたポツダム宣言を受諾することを決め、日本が降伏することも決定していました。しかし、国民への発表という形になると、ここでかなりの政治的思惑(為政者の保身)が動き、最終的に「昭和天皇による声明が国民を抑えるための最も有効な手段である」と判断されます。この辺の歴史については、先日も触れたように、岡本喜八監督の映画『日本のいちばん長い日』が最も参考になると思います。

日本政府は軍に武装解除を要求しましたが、ここで「まだ負けていない」とする陸軍・海軍の部隊が激しく抵抗します。その影響で、日本政府としては降伏を連合国側に認めながらも、一方で軍部を抑え込む力を失っており、この軍部の反乱をどう食い止め、政権を軍部に移譲させないかという政治的策略が展開されます。つまり、今から80年前を振り返ると、このポツダム宣言受諾および日本の降伏は政府側が一方的に決めたことであり、そこには陸軍大臣や海軍大臣も参加していましたが、前線で戦う軍部の兵士たちには全く伝わっていなかったのです。特に陸軍は「最後の一人まで戦い抜く」ことを信条にアメリカとの戦争に挑んでいたため、途中で戦争をやめるという発想は最初からありませんでした。この軍部への配慮が露骨に現れているのが「終戦記念日」という呼称です。

実際、日本はイタリアやドイツと同様に敗戦国であるため、この日は通常であれば「敗戦記念日」となるはずです。しかし為政者たちは「敗戦」という言葉を頑なに拒み、「終戦」という言葉に置き換え、この80年間を維持してきました。なぜなら、敗戦となれば誰かが責任を取らなければならないのは自明ですが、この時、為政者は誰一人として責任を取らなかったからです。また、この戦争自体が当時の国際関係の圧力に対する反動という側面もあったため、国民に対しても「敗戦」という言葉は使いたくなかったのです。戦争はそもそも双方に理由があって起こるものであり、一方の側の論理だけでは理解できません。特にドイツやイタリアなどヨーロッパ圏内での戦争とは異なり、東アジアでの日本はかなり特殊な立場にあり、簡略的な理解は不可能です。

こうした事情を踏まえ、為政者たちは責任逃れを重ね、最終的に昭和天皇を前面に立て、天皇の声をラジオで国民に宣布させることで「戦争が終わった」というイメージを与えました。つまり、「敗戦記念日」ではなく「終戦記念日」という言葉を使うことで、日本がアメリカに負けて戦争が終わったのではなく、昭和天皇が戦争を終わらせたというニュアンスを作り上げたのです。これこそが当時の為政者にとって最も重要な点であり、この維持は戦後も徹底されています。現在でも政府は絶対に「敗戦」という言葉を使わず、「終戦」と呼び続けています。

このように、敗戦の事実を認めないことで、結果的に誰も責任を取らない状況が定着しました。東京裁判で連合国側が誰かを裁いたとしても、それは個人を裁いただけで、日本のシステム自体を全く裁き切れていません。そのため、このシステムは戦後も生き延び、時代に応じて復活しながら今日に至っています。日本の最大の問題は、この第二次世界大戦を敗戦として認められるかどうかですが、80年経った今も全く起きる様子はありません。このままでは「天皇が終わらせた戦争」というイメージがますます強まり、将来的にここを利用した新たな勢力が台頭するでしょう。

玉音放送の内容を聞けば明らかですが、日本語の昭和天皇の声明のニュアンスは、日本人の誰が聞くかによって解釈が大きく変わる性質を持っています。例えば、第二次世界大戦を賛美する保守的な勢力からは、この放送を「一時的に日本の力を蓄えるための休戦期間」として捉え、必ず未来にもう一度戦争に挑むための一時停止というニュアンスで理解します。この解釈は今も根強く残っていますが、80年経った今も表立っては語られないのは、戦後から今日まで、国際的な枠組みの影響が非常に強かったからです。

しかし現在、その枠組みが揺らぎつつあり、今後20年かけて終戦記念日100周年を迎える頃には、世界情勢も大きく変わっている可能性があります。その際、第二次世界大戦を「日本は負けていない」というニュアンスで語り、「あの戦争は終わっていない、1世紀かけて力を蓄えた」という主張が一部勢力から再び現れる可能性は高いでしょう。なぜならば、2045年には当時の戦争経験者は誰も存命ではなく、戦争の脅威や時代感覚を持たない新世代によって社会が構成されるため、この主張は国内で広がるからです。特にShitsuraeで伝えているように、既に起きている人口の移り変わりや暮らしの困窮などの複合的な問題が、今後さらに悪化する過程で、この主張はそれなりの賛同を得ることが予想されます。

おそらく日本にとっての次のターニングポイントは、2045年の第二次世界大戦から100年の節目であり、この時も「敗戦」という言葉は使わず、「終戦」という言葉を使い続けるでしょう。その結果、再軍備や核配備など軍国主義的な要素を加え、「あの戦争は終わっていない」と主張する勢力が台頭し、一定の国民的支持を得ることが予想されます。こうした背景からも、日本語における言葉の選び方は極めて慎重に見極めるべき問題であり、この言葉の選び方が外から見えにくかったため、構造は問われることなく、今日まで密かに生き延びているのです。

ただし、仮に日本がその未来に向かうとしても、もはやかつてのような国力はありません。そのため、ここから20年かけて、これまで誰も考えなかったような決断を行わなければならなくなるでしょう。